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【百年ニュース】1920(大正9)6月18日(金)波多野敬直宮内大臣更迭。親籍降下ルールに関し皇族の反対を抑止できず。皇族会議以降も久邇宮邦彦王が「彼の準則は何も役に立たぬものなり。そのままに致し置けばそれにて宜し」と露骨に無視の態度。山県有朋が波多野に辞職要求。

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久邇宮邦彦王

波多野敬直

宮内大臣の後任は中村雄次郎。「大分意外の人なり(倉富勇三郎日記)」。中村は山県有朋系軍人で陸軍中将,八幡製鉄所長官,満鉄総裁を務めた。なお波多野から中村への宮相交代は山県の「裕仁皇太子婚約解消への布石」との説があるが、最新研究では否定されている。永井和「波多野敬直宮内大臣辞職顛末」

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