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「象は忘れない」 柳広司 著 文春文庫」

東日本大震災の福島第一原発事故をめぐる短編小説集。

「道成寺」は、原発作業員の純平とスナックに勤める奈美子の物語り。純平は原発の地元O町の出身で、地元の同級生の親はほとんどが原発関係で働いています。小さい頃から「たとえジェット機が落ちてきても壊れません。原発の建物はそのくらい丈夫にできているのです」と聞かされた純平は、やがて自然に原発の下請け会社で働くようになります。奈美子は夜の仕事についているもののどうやらインテリらしいのです。アパートには難しそうな本が並んでします。二人が付き合うようになってしばらくしてから、奈美子がしきりに純平の仕事を心配し始めます。原発は安全ではないと言うのです。純平は、この町に長く住むつもりなら、原発は危険だなんて言わないようにと美奈子に言います。そのことが原因で口論になり、美奈子はいなくなってしまいます。ある日突然、アパートを引き払って出て行ってしまったのです。それから2週間して、あの東日本大震災が起き、純平は現場での作業にあたり、3号機の爆発に巻き込まれ入院することになります。
原発に支えられ、原発を信じてきた町で暮らしてきた人たちにとって、あの事故は世界が一変したような体験だったのだと思います。普通に生きてきた普通の人たちの戸惑いが、静かに伝わってきます。


その他の物語も、考えさせられるものでした。
「黒塚」は、原発事故後すぐに避難したけれど、そこは風向きにより最も放射能の被害を受けた場所だったという話です。

「卒都婆小町」は、福島から東京に3歳の娘を連れて避難してきた女性の話です。彼女は東京で居場所を見つけることができなかったのです。

「善知鳥」は、原発事故後原発周辺での極秘任務に参加したトモダチ作戦に参加したアメリカ海軍の曹長の恐怖の体験です。

「俊寛」は、仮設住宅で暮らしながら地元の獅子舞を復活させようとしていた3人の若者の話です。3人は幼なじみです。しかし、俊寛以外の二人の家は、年間20ミリシーベルトという基準放射線量を下回り、慰謝料も避難支援も受けられなくなるため、自分の家に期間することになります。俊寛のみが仮設住宅に残されることになりました。


どの物語も、普通に生きていた人たちの話です。普通の人たちの普通の生活が、あの事故で一変してしまいました。現在でも福島から圏外に避難している人は、3万人もいるのです。


短編集のタイトル「象は忘れない」は、英語のことわざからとっています。象は記憶力が良いのだそうです。自分に起きたトラウマティックな出来事を忘れないという意味なのでしょう。そして、チェルノブイリ事故で溶けた燃料棒の残骸が「象の足」と呼ばれているのだそうです。そのことは最初の短編の「道成寺」の中で出てくるエピソードです。象の足は、今でも強い放射線を出しているのだそうです。


なお、全ての物語のタイトルは、能の台本「謡曲集」の中の物語から基本構造を借りて書かれているとのことです。



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