「ソ連が満州に侵攻した夏」 半藤一利著 文春文庫
戦争に勝ち目がないと悟った時、日本のトップの多くは、ソ連が仲介してくれるのではないかと言う淡い期待を持ちます。それは、あまりにナイーブな考え方です。戦争は、負けた方からいくら多くの利益を得るかという戦いなのです。善意で動く者などいません。交渉が可能なのは、言うことを聞かないと面倒なことになるぞと、相手に感じさせるほどの戦力がある間です。
ドイツと戦っている間は有効に機能した日ソ不可侵条約は、ドイツが敗れたら、もう必要ないのです。ソ連が裏切って日本に侵攻してくるのは時間の問題だったでしょう。そして、終戦直前、ソ連は満州を攻撃します。その時、とても残念なことが起きます。日本の軍部とその家族、そして満鉄社員とその家族が、特権を使って優先的に列車に乗り込み日本に向かって逃げて行きます。逃げ遅れた人たちは、子供も容赦なく自動小銃で殺されます。女性たちは強姦され殺された人もいましたし、自殺した人たちもたくさんいました。これは、もはや虐殺です。何といっても、被害者は非戦闘員なのですから。
生き残った人たちは、シベリア送りです。その数57万5千人。彼らは、戦争終結後に拘留されたので捕虜ではありませんでした。日本に安全に帰国させなければならない人たちでした。これは、明確に国際法に違反しています。
終戦間際のどさくさに紛れた、いわゆる1週間戦争でソ連が得た資産は400億円、今の価値に直せば、何兆円、いや何十兆円にもなるかもしれないとのことです。
戦後、日本はソ連のこの国際法を無視した残虐行為、略奪行為に強く抗議をしてきませんでした。抗議すべきところは抗議すべきだったと思います。
満州と同じくソ連に侵攻されたのがドイツです。ドイツのカール・デーニッツ海軍元帥は、ドイツ降伏の4ヶ月も前から、ソ連の侵攻に備えて全ての水上艦艇を東部ドイツからの難民や将兵を西部に移送するために投入しました。その数は200万人を超えたと言われています。このため、ソ連による略奪・虐殺の被害を最小限に止めることができました。
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