「推し」のことを知るのが怖いって感覚、わかる?
「推し」というのを明確に作らないようにしてるけど、やっぱり生活してると勝手に好きなものができていく。
好きなものができるのは、心が死んでない証拠だよな。
人に限らずアニメでも漫画でも美味い飯でも、まじで鬱のときはまったく好きって感情湧かないもんな。どんな刺激があっても時間だけがただ過ぎてく間隔。
よくドラマなんかで、それこそドラマチックな出来事があって、まさしくドラマチックに再生する描写があるけど、あれこそドラマの中だけの話だよ。
心が終ってるとき、解決してくれるのは家族でも友人でも絆でも思い出でも夢でも希望でも怒りでもなくて、時間。ただただ時間が過ぎるのを待つしかないよな。
話が逸れたけど、最近はよく「推し」と呼んでいいくらいに好きなものができるようになった。嬉しい。
だけど、積極的に「推し」について調べないようにしてる。
いや、調べたいよ?出身地から生年月日からペットの名前から、小学生の時のニックネームまでほんとは全部知りたい。一番詳しくなりたい。
けど、知るのは怖いんだよな。今、「推し」が好きでこんなに僕は幸せなのに、理想の「推し」を見つけてすごく充実しているのに、もし「推し」に推せない部分があったらどうしよう。
学生時代、いじめっ子だったらどうしよう。
動物虐待してたらどうしよう。
鳩山政権をめちゃくちゃ支持してたらどうしよう。
まあ、そういうんだったらまだ許せるんだよ。でもほら生活で譲れない部分ってあるじゃん。あれが合わなかったらどうしよう。
鮭の皮食べないタイプだったらどうしよう。
シングルのトイレットペーパー買ってくるタイプだったらどうしよう。
シャワーの後使ったバスタオル何日か使いまわすタイプだったらどうしよう。
別に困らない。一緒に生活する予定もないし。
困らないはずなんだけど、今僕の中で「推し」は理想で膨れ上がってパンパンになってるんだよね。ちょっと傷がついただけでパンって爆発、それも大爆発しそうな感じ。しかもダメージ受けるのはたぶん僕だけっていうね。
たぶんちょっとでも嫌なとこが見つかったら、もう裏切られたショックで嫌いになっちゃうと思う。
頭おかしいと思うけど、いろいろ考えるとこういうことなんだよな。
勝手に幻滅したくないから、できるだけ見ないようにしてる。
最近はSNSに出てきたらすぐにスマホを閉じるようにしてるくらい。
勝手に幻滅したくないからね。
見れない分はしょうがないよ、想像するしかない。
だから「推し」は、だんだんだんだん、自分の中で、どんどんどんどん、理想に近づいていく。そうするともっと好きになれるもんね。
「推し」をずっと好きでいたいから、できるだけ知らないようにしてる。
いつまでも理想のままでいてください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?