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嬢とお客さまとの恋愛は成立するのか。

「飲み屋の女の子となんだけどね」 

優しそうで、けれど目元が少しだけ鋭い彼はそう話を続けた。どうやらその子のことが好きらしい。 

「どこが好きなんですか?」
「どこって言うのが特にないけれど、なんとなく。悪い意味じゃなく、なんとなく好きなんだ」 

風俗でも水商売でも、所謂"恋仲営業"というのは健在だ。その四字熟語の後者の方が圧倒的に多いだろう現実は、夢を見せるし砕きもする。けれどゼロかヒャクかではないのが人と人の営みの所以。たとえ実際には営まれるのがゼロ時までなのだとしても。

恋仲になったキャバ嬢と客を知っている。風俗嬢と客も知っている。一方「あのクソ客マジでキモい」という声も聞いた。言いながら金の為に媚びる姿も見た。そんな客の為に耐えることが耐えられないと、素直に伝えた人も見た。悪者はいない。人と人の折り合いがつくかつかないか。結論はない、答えもない、ただそういう世界で、流れも足も早い世界で、だからこそ可能な限り誠実で現実的で在りたいと私は思って今日も吉原に居る。


───かつて昔の店で、一番仲良くしてくれたお客さんが居た。お店の卒業の日、私の時間全てを買い占めてくれた。買い占めた時間の中で私を外へ連れて出てくれて、共に晩餐を楽しんだのは今でも覚えている。お店を辞めた後も、飲みに行って、たまにシて、落ち込んだ日は抱き締めてくれて、何度も繰り返し励ましてくれた。

けれど、距離が近付く程に、何かが届かないのは明白になっていった。"答えがない"世界であり、"応えられない"世界なのだと知った。キャストは私一人、お客さまは多数。その時点で、天秤はとうに壊れている。唯一の推しになれても、唯一推す側になってはあげられない。差し入れを沢山頂いても、それに同じだけ皆に返したら破産してしまう。何もかもに応えられないやるせなさと切なさを抱え乍ら、だからこそ、その一時しかない一対一の時間を大切にすることしか出来ない。


そんな想いを抱えているのはもしかしたら私だけなのかもしれないし全てのキャスト達なのかもしれない。強く求められることは売上には繋がるかもしれないけれど、何かが溢れ出す罅を入れることにしかならない気がしてならない。結果、私はかつてそれを溢れさせてしまった。だから今は断っている、「仕事以外の連絡は返しません。期待しないでください。それでもいいと思ってくれるなら」とメールアドレスを渡す。それもすごくすごく限った人だけに。罅をこの人ならば入れないだろうと確信の持てる人だけに。渡さなかったからと言って「嫌われちゃったんだね…」とか言わないで欲しい。怖いのは此方だということを、どうかどうか分かって欲しい。


話が吉原五十間道よろしくS字カーブを描いてしまった。あわよくば、という期待から生まれた世界だからこそ、期待しない場所で期待が生まれるのではなかろうかということなのだ。私達はその"期待"に人一倍敏感だ。それらをお金に変えて今日も生きさせて貰っている身だからこそ、その純粋な不純物のない目をした人は他と違って見える。少しだけ安堵できる。「ああ、応えなくていいのか」と溜息を吐いた瞬間だけ、客とキャストではなく、人と人の営みに立ち返れる。


題名に対する答えを提示できなくて申し訳ないけれど、私を「人」で居させてくれる人には私は好意を持つ。それが「付き合う」とか「恋愛」という帰結点は結ばないが、だからこそ健全だと思うのだ。卒業した数年後とかに、ふらりとお酒を飲み交わすような、そんな出会いの方が結果的に近付ける物のような気がしてならない。



……と、つらつらと書いたけれど、このマガジンは7割ノンフィクションという事で送りたい。題材はノンフィクション、けれど私の主観と記憶に頼っているから3割はフィクションだ。事実とか正解とかそんなくだらないことじゃなく、ただ消費される読み物として、読んで頂けることが幸いです。



ささら

出勤前に飲むコーヒー。ごちそうさまです。