2019年4月9日_春のしあわせ講座_特別講座__190409_0004

春のしあわせ講座 特別講座 香葉村 真由美先生を迎えて

しあわせ講座の春特別講座開催にて、香葉村 真由美先生の講演でした。

真由美先生の話の中でいつも話している

大切な3つのこと、そしてその原点はお父さんの言葉から、真由美先生のお父さんとのエピソードから「自分は出来る!」そういう言葉をお父さんから声をかけてもらいそれが原点となったとの事でお話しいただきました。

1、「自分を信じる、自分を大好きになること」
2、「いのちを大切にする」
3、「愛をもって生きていく」

1、「自分を信じる、自分を大好きになること」
子供たちが自分から自発的になるきっかけだと思いますが、キラキラ朝礼というのをされていて元気よく挨拶し自分の夢を語る。そんな目がキラキラしている子供たちの様子が、学校がつまんないという感じが全く無く、何かちょっとした面白いこと、楽しそうなきっかけさえあれば全然子供たちの心はイキイキしてくるのだと、見てて感じる所でした。

子供だけでなく大人でも、理屈ありきで計画立てたり夢を考えたりもいいのですが、子供が尊敬したい、こうなりたい大人像というのは壮大な夢を明るく語れる大人なんじゃないかと。

今の子供が大いなる夢を持てないとしたら、それは日ごろ身近にいる大人がなりたい姿、憧れの存在であるかどうか?

も見ないといけないのではと思わされる内容で、、スポーツ選手、音楽家はじめ一流と言われる人は小さい時、若い時に始めた遊びが一生懸命やるうちに仕事になり、その道をひたすら究め続けていく感じがあり、それが一般の企業、仕事でも持てる様になれば変わってくるのではないかと!

だからこそ、若く、子供のうちに自分に何が興味あるかのきっかけをつかむ事を多く触れる、また、男性脳の場合だと財を成した、業を成した人を見てしまうのですが、生き方でこうなりたい、尊敬できる人が子供の頃に見つける事が出来ればかなり素敵な事ではないか!と思います。

個人的には吉田松陰の生き方、生き様が子供心に印象深くこうなりたい!像としていつもあるのであります。

(松下村塾にて、生徒さんが1人でも楠木正成の話(千早城の戦い)を涙を流して講義された)そんな魂込めた学校の授業があればそれは興味津々で聞くだろうと!

いつも思うのは実質2年あるかないかの田舎町の寺子屋がその後の人間を創り、明治を創って、日本を創る基になったのはたった1人の壮大なマインドと行動から起きている事ではないかと思うところで、財を成した訳でもなく業を成した訳でもなく、むしろチャレンジ途中で頓挫してしまっても、教えを受けたお弟子さん達が受け継いで叶えていった。

そんな素敵な大人が今、どれだけいるのか? いなくてもこれから目指して頑張ろうという大人になりたいと。

松下村塾に行った頃を思い出します。と共に自分も何気なく現地に行ってみるというのが今となって良かったなと。 (吉田松陰を尊敬してます。って言ったら怒られて、松陰先生と呼びなさいと言われました)

2、「いのちを大切にする」
お父さんを交通事故で亡くした生徒さんとの会話をきっかけに、先生はいのちの授業をしようと決めます。

その子の願いはお父さんが帰ってきてほしいという願い。 真由美先生はお父さんのことを思い、講義の前に一人一人の机の上に手を当てて、お父さんの命を蘇らせたい!と強く願ってから講義をされたとの事で、その後雨がやんで太陽が出てきて、講義の後に教室からいつも聞えてきた悪口が無くなったとの事でした。

自分だけではなく、自分の命はご先祖様も含めての自分の命。

たくさんのご先祖様の為にも生きようという想いがあると伝える言葉も変わってきた。

子供たちも純粋に感じてくれて自分の命は1つ、1人のものではなくずっと受け継がれてきたもの。

※我が青森においても、中学生の自殺が問題になる事が多く、残念ながら自殺率ワースト3にいつも入っているのですが、自分の仕事とも関連して、いろいろ考えるとLINEやメールは心や思いを伝える道具ではない。(本来は情報を伝えるツールで思いや心を持っている道具ではない)にも拘わらず対面でというのが無くなってきている時代においてメールでLINEで助けを求めて、さらに傷ついてしまう。

それが1対1ではなくて、1対大勢の感じで、いじめの対象が1人集中になって攻撃され続けるのが学校でも学校にいない時間帯も含めて攻撃され続けているのではないかと。

特に冬の時期なんかは一日中家にいる事も多くて、家と学校と部活が生活の全てになっている子も多い中、身近に助けを求めるのがどこかになければ、四面楚歌になってしまっている子も多いのでは?

と特に地元近くの学校で痛ましいニュースを聞くたびに感じる所です。そんな子供がいても真由美先生の様な方が1人でもいれば全然違ったのかもしれません。

3、「愛をもって生きていく」
先生が初めて担任したクラスの生徒さんで、卒業後も親交があったそうです。

その彼女が、ある日学校に先生をたずねてきます。そして彼女は、とても辛い目にあって自傷行為を始めたこと、さらに、そんな彼女の心の支えとなっていた人まで事故で失ってしまったことを先生に話し、その数日後に自らの命を断ちました。

先生が彼女に言った「頑張らなくちゃダメだよ」の言葉に思い悩んで、先生自身も心の病気になってしまい、ベッドから起きる事が出来ない生活が続き、愛、希望、夢という言葉が大嫌いになってしまった。 そこから助けになったのは娘さんの生きているだけでいいという言葉。

毎日石を拾って石に日付を書いて今日は起きよう!

次の日も石に日付を書いて今日は起きよう。そんな姿を見た娘さんの言葉をきっかけに子どもの本当の気持ちと向き合う教師になる決意をされたそうです。

先生との会話の中で、照らし合わせてみていたのは同じ福岡の昇地のおじさんの姿


お二人の子供が脳性小児麻痺になった際は“なぜ自分の家族だけが、こんな苦しみを味わわなければならないのか”何度も死のうと思った。。

そんな経緯があっても頑張ってこれたのは 頑張る姿であったと。

それを生きがいにして自分も頑張ってこれたと。

当時は、脳性小児麻痺の有道さんに歩行訓練から始めて、片手で有道の腰を抱いて、もう片方の手を足に添えて、足に力を入れさせることから始めました。

立つようになったら、次は歩く訓練。手を引いて歩かせたり手を放したり。川土手の階段を上がらせた。

心を鬼にして訓練一点張りの父親。6、7歳の時、まだ歩けなくて2年連続で就学猶予に。

なんとか歩けるようになって学校に入学したものの、倒れている有道さんに児童数人が砂を掛けている。

中学でもいじめられ2階から押されて転落して前歯を8本折る経験や鉛筆で顔を刺されたり、病むに病まれず

義務教育だから「行方不明」という手続きを取って中途退学させたとの事でした。

しいのみ学園の名前の由来も
山の中に捨てられた小さなしいの実は、落ち葉の下に埋もれて、人や獣に踏みにじられているけれども、温かい水と太陽の光を与えるならば、必ず芽を出してくる。
それを名付けてくれたのは奥様の露子さんでした。
その奥様の言葉がきっかけで「科学には限界があるが親の愛情には限界はない。必ずこの子をよくしてみせる」 息子たちの小児まひにうちひしがれていたら、これはもう心中するほかない。人間の生きるべき本当の道というものを、子どもたちが教えてくれた つらい出来事を通してしか知り得ないこと、感じ得ない幸福が必ずあります。暗闇の中でそっと輝く、その「小さな光」に目を向けられる、心の強さをぜひとも持ってほしいのです。
世の中に出ていけば、いろんな問題にぶつかります。問題にぶつかった時に、そこから逃げずに解決してやろうという意欲を、人間は持たなければなりません。結局は、問題にぶつかったら自分で解決できるような人間になることが重要 貧困だとか、家族の事情だとか、自分を取り巻く環境をマイナスに捉えて自分の生き方を制限してしまうと、人間はダメになります。だから、どんな状況にあっても、自分の能力を最大限に出すこと。知能の高い者は、知能の高い仕事を、そうでない者はそれなりに自分の力を最大限に発揮して生きることが、一番の幸せにつながるのです。
そんな素敵な方が身近にいたことを当時は何とも思っていなかったのですが、、今となってやっと気づく事が出来ました。

奥様の露子さんがパーキンソン病になっても

成すべきことは成した。自分のやるべきことはやったのだから、死のうが生きようが、泣いたりわめいたりすることはない。いつもそういう心持ちで生きることを学んだのです。身内の者が私にそういう生きる道を教えてくれた

そして子どもたちが教えてくれたのは、

「教育とは情意(感情と意思)を安定させること」
感情を揺れ動かす為に、例えば

・時間割をなくしその日の天気と園児の様子で決める。 ・教室での授業を止めるときもあり、運動場で教えて、教室は休息の場にした。 そうすると、園児は運動場に大きな字を書いて学ぶのを自発的に行ってくれた。 大切なのは決して叱らず、笑顔でいること。
本人自身は笑顔を絶やさず、優しい人で難しい話をする人ではなかったのですが、きっと長生きや教育手法やメディアの露出以上に、こんなストーリーがあってその人の生き様が出来た。その生き方の部分の方が知る、学ぶ事として大切なのではないかと思います。 その後90歳超えてから世界一周を毎年行うのですが、

体力なんて考えていたら世界旅行なんかできんよ。「途中で死んだら海の中へ投げときゃええ」と
そんな方が身近にいたのもきっと何かのご縁なのだと今は思う様になり、直接話を聞いたり、遊んでくれたり、メディアには書けない苦労話も含めて、真由美先生の話を聞いて、こんな素敵な人がいたんだというのを少しでも伝えれる人間になりたいと思うのでした。