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コピーライター先生

鎌倉で「木村文章店」という屋号のコピーライター事務所を運営する傍ら、「木村文章学校」という”文章の総合学校”もやってます。

「木村文章店の木村吉貴がやる文章の学校だから木村文章学校でいいよね」というノリでつけた、コピーライターとは思えない安易なネーミングですが、覚えやすいみたいで、意外と好評です。

受講者の皆さんからは「先生」と呼んでいただいていますが、僕は教員免許は持っていませんし、政治家や士業でもないので、ちょっぴりくすぐったくもあります。

ただ、先生というか、講師歴はわりと長いんです。

木村文章店は今年の1月で創業12周年を迎えましたが、振り返ってみますと、創業から半年ほど経った頃でしょうか、大手のカルチャースクールから「文章教室の講師をやりませんか?」とオファーをいただきました。

なぜ僕に?
と思いましたが、僕は学生時代に脚本家を目指して、シナリオの学校で勉強をした経験があり、(クオリティはさて置き)物語も書けるんです。

また、取材記事も書けます。
若かりし頃には、ミュージシャンの「ゆず」さんに憧れて、アコースティックギター片手に、自分で作詞作曲をした歌を路上で歌っていました。なので、歌詞も書けます。
また、コラムっぽい文章も書ければ、エッセイっぽい文章も書ける。さらには、ポエムっぽいものも書けます。

つまり、コピーライターでありつつ、なんでも書けるんですね(クオリティはさて置き※2回目)。

そこに目を付けていただいたのかもしれません。

とはいえ、人に文章の書き方を教えることなどありませんでしたので、当初は手探りでした。
脚本家を目指して勉強をしたことや、コピーライターとして身につけてきた技術などをまとめ、ちょっとした”木村版文章の教科書”みたいなものをつくって授業に臨むなどして、「教える」経験を積んでいきました。

ありがたいことに、受講者の方々に喜んでいただき。
受講者の方々が、どんどん増えていき。
いつの間にか、講師業も板についてきた気がします。

その後、学校の特別授業や、企業の研修などにもお呼ばれするようになり、講師としての幅がどんどん広がっていきました。

木村文章店の創業から5年ほどは自宅の一室で仕事をしていたのですが、事業が順調に育ち、仕事場が手狭にもなったので事務所を借りまして、「なら、ここでも文章を教えればいいじゃん」ということで、2017年に木村文章学校を開設したわけです。

これまでの受講者さんの中には、作家デビューをした方もいます。
小学生の受講者の子が、作文コンクールで大賞を受賞してくれたこともありました。
原稿用紙に一行も書けなかった中学生の受講者の子が、一年学んでくれたら小説を書けるまでになってもくれました。

僕は教師ではありませんが、これが「教える喜び」なんだな、と思います。

文章を書く職業はいろいろありますが、とりわけコピーライターは、「伝わる文章」を書けなくてはなりません。

別の機会にあらためてくわしく書かせていただければと思いますが、広告とは本質的に嫌われ者です。
テレビを見ていて、いいところでCMになると、イラッとしますよね。
ご自宅のポストに、なんだかよくわからない商品やサービスのチラシだのDMだのが入っていたら、ゴミになるだけでうっとうしいですよね。
そんな嫌われ者である広告を通じて、興味や関心や購買意欲を文章(コピー)で喚起しなくてはならないわけですから、確実に伝わる文章でなければならないんです。

つまり、コピーライターは「伝わる文章を書くプロ」といえます。

今や、誰もがブログやSNSで、自分で書いた文章を発信できる時代です。
「一億総物書き時代」といっても過言ではありません。
ですが、「伝わる文章」を書ける人は、ごく一部です。
残念ながら、残念な文章を書いている人が、あまりにも多いです。
だから、「伝わる文章」を書けるようになりたい人が、たくさんいるのだと思います。

コピーライターの僕に、文章指導の講師のオファーが絶えないのは、そういう理由なのでしょう。

教える側でいるからには、自分も相応の実力がなくてはなりません。
なので僕は、コピーライターとして常に研鑽を積んでいるつもりです。

講師をやっていることで、コピーライターとしても成長できています。
コピーライターとして成長していくと、講師としても成長できます。

講師をやってきてよかったな、と心から思います。

とはいえ、10年以上やっても、やっぱり「先生」と呼ばれるのは、前記の通りちょっぴりくすぐったいです。
あ、でも、なんかちょっとカッコイイかも、「無免許先生」って。

……カッコイイですか?


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