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いつだってはじめは一方通行、でもあとから双方向

自分が満たされるまでは自己満足。

満たされた自分から溢れる波動が周りを動かす力。

その心奮わせることで周りと共鳴できる。

その一方、
自分の心の穴を埋めるための行動が世界のバランスを歪ませる要因。

・・・何事も力みすぎてない?

話を聞いて頂戴!と言うと、必ず周りから敬遠されます。

話さなきゃ、聞いて欲しい!とつい力むから。

この世界は常にバランスで成り立っている。

自分が10の力で話すと、周りは一方的に聞かされる立場となり、聞く耳を持てないのです。

校長先生の話を誰も聞かなかったように。
街頭演説に耳を傾けたことがありますか?

そうです、では自分が5の力で話した場合は?

この場合は相手にも5の余力がありますので、ある程度は聞いてくれるでしょう。

では2なら?

ひょっとしたら物足りないからもっと話して頂戴!となるかもしれません。

自分が話さなければと思うほど、周りは離れていくのです。

自分の話を聞いて頂戴!もっと反応を頂戴!は、自己中心的な姿勢だと受け取られかねない。

そもそもどうして自分でそう思うの?

だって、自分が満たされることによって、はじめて自分を表現できるから。

そのためにはまず、自分の表現を届けるためにはどの位の発信力が好ましいのかを自覚しないと。

そのうえで創意工夫をすることが大切なのは言うまでもない。

自分が表現するということは、受け取ってくれる相手がいるということ。

その人たちのことを無視して、一方的に自分だけが表現し続けようなんてそれって強欲すぎ。

相手のために余白や余力を残してあげなきゃ。

彼らに”受け取る”という表現の喜びを感じさせてあげて。

そうすることによって双方向の表現に繋がるから。

自己実現のために最も大切なのは、お互いに響かせあうということ。

そう、これは所詮仕組みの話。

これは人生のあらゆる局面において応用が可能。

何故なら人生とはそもそも自己表現と自己実現の舞台、毎日が行動の連続。

であれば、その都度全力で取り組んでいては疲弊が物凄いことになります。

更に暑苦しい自分の話は誰もが聞いてくれないものですから、ますます必死に伝えようとして更に疲れる。

これではいつか倒れてしまうでしょう。

人生はマラソンのようなものであって、緩急も自分次第なのです。

気負いすぎず、気楽に人生を謳歌しましょう。

最後にもう一度、自己表現において一番大切なのは、自分の表現が滞る際に起こる表現の大渋滞、つまりはその表現を受け取るために待ち望んでいる次の表現者が出番を与えられずこの世のどこかで待ち続けているということなんです。

そうしてその列は、自分が表現を実現させ、次にバトンタッチするまで無限に伸び続けるものなのです。

だからこそ自己表現とその実現は、この世において最も尊いものであり、何物にも代えられない最重要事項。

自分の人生は、自分だけの問題ではない、双方向どころか、この世界の全方向に自分たちの自己実現は広がりゆくものなのだから。

いつも本当にありがとう。 これからも書くね。