優しい繊細さんが幸せになるために
自己啓発やスピリチュアルに訝しい気持ちになるのなんて当たり前。
「○○するだけで!」「○○はしないで!」「いますぐ○○しよう!」
こうした「○○しなければ」的な心の動きは、自分本来とはおおよそかけ離れたもの。とはいっても人は自分の体験をシェアしようとするとき、こうしたアプローチになりがちなのです。
つまりは、こうすればいいよ、これはしないほうがいい、というような表現になってしまうということ。
どう巧みに言葉を彩ろうとも、言葉には限界がある。
だから成功者たちはその背中で語るのです。
ですが誰もがそうした既に自分を生きる人々の背中からメッセージを受け取れるわけではありません。
人間は体が疲弊しているとき、心が満たされていないとき、自分本来の波動状態から遠のいているときは、ポジティブな声が耳に入らなくなる。
ですからそうした疲弊した人々のため、一部の人にとっては甘言とも受け取れるような自己啓発やスピリチュアルといった内容の情報が世に存在しているのです。
これらはあくまでもそうした一見怪しげな言葉からメッセージを受け取れる人たち用。つまりは成功者たちの言葉を理解できない人がいるように、自己啓発に否定的な人には無関係な情報。
どちらが良いとか、正しいとかはないのです。
それぞれ自らがインスパイアされる言葉に耳を傾ければいいのです。
絵本でも、ラノベでも、アニメでも、ゲームでも、ドラマでも、映画でも、音楽でも、スピリチュアルでも、聞くだけでよく寝られるBGMでも、その時自分が惹かれるものなら本当に何でもいいんですよ。
周りから変な目で見られても良いんです、たとえば私の記事を読んでいるなんて、旦那さんに言ったらきっとひと悶着起こるでしょう。
私がそうであったように、男性は視覚情報から思考を巡らせるようにセッティングされているので、目に見えない情報には否定的になって当然。
一方で女性は感情を大切にするので、相手との協調性を尊重、つまり見えないものにまで理解を示そうとします。
このようにいかに近しい人であっても、波動の状態は違っているものなのです。であればこそ、相手に理解してもらう必要はないし、違っていることに落ち込まないでください。
優しき人々ほど不幸せに見えるのは何故
生まれながらに弱い立場の人たち、純粋で優しい人ほどネガティブ思考に陥りやすい。
なぜ心優しき人々がいつまでたっても幸せになれず、豊かな人生を願い続けるのでしょう。
それは仮に自分を癒すことに成功し、せっかく自分本来の波動状態に戻っても、自分と無関係の周りに意識をフォーカスしてしまい、そちらの他人軸に一瞬で引っ張られるからです。
例えば謎の疫病が大流行したり、毎日のようにミサイルが飛んできたり、恵まれない子供たちが世界中にいるらしいと気にかける。
こうした周りの状況が気になっていちいち思考を巡らせてしまうのだ。
これを私は勝手に『特異性共感色』と呼んでいる、誰にでも優しく、心優しいが故に感受性が強くその特異性によって起こる現象。
こうした優しい人々はたまたま現代という気ぜわしい世相に合っていないだけであり、例えば遥か太古の縄文時代などであればむしろ最前線で豊かさを享受していた人々です。
弱い立場に生まれ、心優しい人々が悪くないのは言うまでもないことですが、どうすればいいのかというと非常にむつかしい問題。
何故なら相手の気持ちを汲み取ることに長けている優しき人々は、自ら周りに助けを求めるようなことをしようとしません。
心の底から自分なんかが人を頼るのなんて申し訳ないと思い込み、自分が不幸なのは致し方ないとそんな自分を受け入れてしまっているからです。
このように自分は今幸せでいないと決めているのは自分自身、これは方便などではなく文字通りの意味なのです。
本人の現実は本人が100%の決定権を持ち、周りの人が手を貸そうと、力づくでどうにかできるものでもありません。
本人が現状を受け入れ、幸せを遠くに押しやっている以上、本人以外にはどうすることもできないのです。
人の幸せや豊かさとは、自らの心が整うことからはじまります。そしてそれは自分自身で成し遂げねばならない境地。
人生を変えるためには自ずからの行動が必須、行動のためには意欲的にならねばならず、意欲は自分が癒され、自分を赦したとき、自分の中から湧き出してくるもの。
でも優しく弱く生まれた人たち、周りを頼れず、この簡単な仕組みにさえも気づけず、孤独で教えてくれる人もおらず、自分で調べようにもその方法もわからず、仮にヒントを見聞きしても理解できない。
いかがですか、これが倖多からぬ人々が、その生涯を通して繰り返し体験する不毛とも思える人生の正体。
ここまで書いて自分でも何を偉そうにと思わなくもないのです、でも私自身がそうした人生を歩んできてようやくそのことに気づいたのです。
そうした経緯からこの文章を今書いている私でさえ気づけたのです、誰だって気づける筈。
悔しいではないですか、
『この世界は不平等』だなんて誤った認識のもと人生を生きている人々が、今この瞬間もたくさんいるのです。でもそうじゃない、ただ気づくかどうかというだけの簡単な仕組みの話なのです。
ですから私はしつこく読んでくれている人の固く閉ざされた心の扉をノックし続けているのです。
その弱さゆえに自分自身を見くびる
自分の中の何気ない思い。
それこそが宝物。
でもそれが何になる? ……じゃ、ないんですよ!
なぜそう思うのか、どうせ自分以外の周りに言われたことでしょう?
周りのそうした意見は本当にどうでもいいんです。
そんなことより自分の中の気持ちを常に優先してください。
いま自分がそれをやりたいと思っていることこそが、いま世界がそれを求めている確たる証拠!
だからなるべく早くそれをやらないといけないんです。
「○○しなければ」と、考え焦る気持ちと矛盾するようですが、これは頭で考えた思考からくるモノとは違います。
自分の内から来る真の欲求を衝動といい、これはすぐにやるべきこと。
何故なら衝動的な状態を維持するには大変な活力が必要、だからタイムリミットがある。そのモチベーションは長くても48時間ほどしか持ちません。
もう答えは出ている、自分が何か行動しているとき、それを心から楽しいと感じているかどうか。でも人間は何故か自分が楽しんでいるときほど、ある瞬間にスッと、素に戻ってしまうんです。
そのときこそ自我が起動した瞬間。
もっと自分らしくしなきゃ!
そう思いはじめると心苦しくなる。
この心の動きは、やらなきゃとそう思った瞬間に、自分本来の軸からずれることからくるもの。
非常に困った仕組み、でも人間である以上もうどうしようもないことです。
ですから常に自分の心に寄り添わねばならないのです。
つまりあるべき自分とは、誰かに左右されることのない、あるがままの自分であるということ。であれば、ことあるごとに周りに振り回される自分を弱い存在だと思わないでください。
あなたは人よりも優しく清らかな心を持っているだけ。
強いか弱いかは周りか自分が勝手に決めつけているに過ぎない。
あなたが女優ではなく女王である理由
現存する日本最古の歴史書『古事記』に天岩戸隠れの話があります。
天岩戸の中に天照大御神が隠れた際、 天宇受売命は半裸になって踊り、その余りの様子に周りの神様はつい笑い転げてしまい、その様子が気になった天照大御神は天岩戸を開いてしまうのです。
天宇受売命とは今この文章をなりふり構わず書いている私、天岩戸の中で呑気に閉じこもっているのがあなたです。
いいですか?
仮に私が今すぐあなたを助けたいと思ってもそれは無理なんです。
何故?
それはあなたが、あなたこそがこの世界の最高神、天照大御神だからです。
天照大御神を私ごときが助けられるわけないでしょう?
自分にしかその心の扉(天岩戸)は開けないんですよ。
あなたが心を開いたその状態を、天照大御神とそう呼びます。
つまり今現在のあなたは、瀬織津姫。
伊勢神宮内宮の境内別宮、荒祭宮に祀り奉られる、天照大御神と同格とされる存在。
心を閉ざした天照大御神の別名を瀬織津姫といいます。
まだわかりませんか、ご神体は鏡、そこに写る姿は誰ですか?
上皇后さまや皇后さまのお姿に高鳴るその胸の鼓動。
数千年前、みんな家族、受け継がれているぞDNA。
*
これがあなたの人生がこれまで豊かにならなかった理由。
最強のあなたが自分で自分の人生を押しこめていただけ、でもそれも今日でおしまい。
早くしないと外の世界で粗ぶり続けているスサノヲ(馬鹿な男衆)が世界を滅ぼしてしまいますよ。それともまだその優しい御心で世界の終末をみなと一緒に見届けるのですか?
それさえもあなたという存在の掌の上なのですから。
あなたは世界という監督に命じられて演技する女優ではない。世界を司る女王に他ならない。
だから今すぐ世界にただ命じればいい。
さぁ、マイレディ願いを言ってみて下さい。
私たちはお隣の宇宙さえも味方につけてその願いを叶えるでしょう。
あなたをおいて他に誰もその願いを成就させることは叶わないのですから。
あなたは弱くない、至高の存在、それだけがこの世界唯一の真実。
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