鈴木もも吉

はじめまして。特段の決意はなく、いわば事始め。初投稿からひと月を経ての自己紹介。IT音…

鈴木もも吉

はじめまして。特段の決意はなく、いわば事始め。初投稿からひと月を経ての自己紹介。IT音痴、SNSほぼ無縁。読んでいる人がいることは承知の助。ありがとうございます。リプライについては勉強中。あくまでも個人的な「日記」みたいなものですが、よろしければお付き合いください。

マガジン

  • 《雑多な雑感――NPOの戯言》

    2024年4月1日。何事かを開始するにはうってつけ。なので、脳内雑談のつもりで記し始めました。まぁ、反省と疑問の記録みたいなもの。常識を逸脱することのない駄文ですが、読む人若干名を募集しています。

  • ”思いつき”定義集Ⅱ

    相変わらずのIT音痴。日進月歩の世界で化石化を自覚していますが「”思いつき”定義集Ⅱ」を始めました。よろしくお願いします。

  • ”思いつき”定義集Ⅰ

    「定義集」「アフォリズム(箴言)集」といったジャンルは文芸の一領域として夙に確立されています。マルクス・アウレリウス、ラ・ロシュフコー、アランなど、優れた古典が読み継がれていることからもそれは伺えます。私もそうした著作に親しんできました。  ただ、もう少し手軽に、つぶやき風に、人口に膾炙し(使い古され)てきた言葉について考えてみるのも大切な試みのように思われます。多少の皮肉を交えつつ頭の体操の気分で。もとより私見ですから「正しさ」を求められるのは困りますが、首肯できる部分があれば何よりです。  できる限り50音順で載せていけるよう努めますが、“思いつき”ゆえその通りいかない場合もあるかもしれません。ご容赦願います。

最近の記事

雑多な雑感――NPOの戯言㉑

《「田舎暮らし」の悲喜こもごも⑤》  老母を抱えてこの山中にいつまでも、というのは現実的ではない。白内障の手術で街中の眼科通いが続いたが「遠いなぁ」というのが率直なところ。しかも早くて3時間待ち。広い院内は老人の集会所、しかも総会規模。眼科なので当然だが若者はここにもいない。買い物や通院を考えると頭が痛い。  カラスとサルにバカにされ続け(ているとしか思えない)、害虫との闘争にも嫌気がさしてきた。取り分けてカラスの態度は日ごとにデカくなり車上を闊歩している。巣作りに最良の場所

    • 雑多な雑感――NPOの戯言⑳

      《「田舎暮らし」の悲喜こもごも④》  わたしの住む、後期高齢者率90%以上(推定)の田舎に子どもの声が響くことはない(子ザルは除く)。山中ということもあるが山を下りても変わらない。海岸線に沿って比較的大きな国道が通っており、それなりに街並みがあってもよさそうな雰囲気はなきにしもあらず。ローソンがあるではないか。    だが、近場の保育園・幼稚園はつとに閉鎖され雑草が蔓延り、少し離れた小学校がかろうじて存続しているが生徒数4名に教職員7名らしい。6年生2名なのでどうなることやら

      • 雑多な雑感――NPOの戯言⑲

        《「田舎暮らし」の悲喜こもごも③》  田舎では必然的に節約が求められる。最大の理由はわたしが貧乏だからだが、田舎の事情も絡んでくる。つまり周辺に店がなく買い物にも労力を要するからである。わたしが住むF町には寂れたJA経営のスーパー1件のみ。ちなみに人口5,000人以上が「町」とされるらしいが、町内にそんなに人が存在しているとは思えない。町の面積はとてつもなく広い。トラックとバイクと、稀に出会う老人以外に人の営みは感じられない。感覚的にはせいぜい点在する「集落」。  それでも我

        • ”思いつき”定義集Ⅱ㊳「ろ・わ・を・ん」

          【ろくでなし】例えばホモ・サピエンス(賢いヒト)。そもそも自分で名づけたのが間違い。確かに人間には知恵がある。しかし、そこにはあざとさ――詐欺など嘘が物言う犯罪もあれば、殺人にも工夫を凝らす知能の高さも含まれる。ろくでなし(不埒/邪)以外の何ものでもない。  自分が一番と考える、類まれなる誤認の天才――それがホモ・サピエンスの特性。より正確に表現すれば、ヒトは賢いという自己欺瞞に気づけないという欠陥を兼ね備えた賢人。人前では威張り散らすがゴキブリにビビる人間の器を想像してみる

        雑多な雑感――NPOの戯言㉑

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        • 《雑多な雑感――NPOの戯言》
          21本
        • ”思いつき”定義集Ⅱ
          38本
        • ”思いつき”定義集Ⅰ
          45本

        記事

          ”思いつき”定義集Ⅱ㊲「る・れ」

          ◆酔っぱらっていたので修正版としました。すみません。 【流転】人間万事塞翁が馬――これぞ最適な故事(別項で記したかも)。 ◆注:故事に限らず多くの俚諺があるだろうから無知を晒すのは承知の助。それでも人生の行き詰まりには示唆となる。流転する人生ならばこそ老子の相対主義的な考え方(「自分は自分じゃ!」)も参考になるかも(秩序に屈服を強いる儒教に親しみを覚えないという立場から)。 【歴史】むろん事実の集積ではない。大半は“恣意的に”選択された「事実」として記述されるテクスト。誤

          ”思いつき”定義集Ⅱ㊲「る・れ」

          雑多な雑感――NPOの戯言⑱

          《「田舎暮らし」の悲喜こもごも②》  前回、虫との闘争で殺生に明け暮れているかの印象を与えたかもしれないが殺生はごく限られた範囲の話。そもそもポンコツにそんな元気もないし無益も承知の助。  他方で田舎には有益なことも多々ある。季節限定は当然だが、例えばタケノコは気づけば周辺に。ツワブキも自由に取り放題(イノシシ注意!)。スイセンやヒガンバナなども歩けば採取できる。自然に咲き誇る菜の花も山桜も自然の理を知らせてくれる。かわいくさえずる小鳥たちも。トイレから眺める小鳥たちは二日酔

          雑多な雑感――NPOの戯言⑱

          雑多な雑感――NPOの戯言⑰

          《「田舎ぐらし」の悲喜こもごも①》  「田舎ぐらし」をはじめて2年。《自己紹介》の折に触れた田舎生活の端緒は必ずしも悪いものではなかった。ポツンと3軒家の山中(理由は知らないが仲は良くない)。ただ地方の大動脈とも言える2つの国道を結ぶ市道が目前なので大型車やクネクネ道をバイクが嬉々として疾走して騒々しい。ポツンとしている気はしない。  祖父母がほぼ自力で建てたあばら家だが固定資産税を抜きにすればタダ。都市部での家賃を考えると感覚的には週休4日で生活できそうな感じ。格差甚だしい

          雑多な雑感――NPOの戯言⑰

          雑多な雑感――NPOの戯言⑯

          《たぶん普遍的なテーマ⑨》 神様と仏様(3) (つづき)  前回まで(「神様と仏様」)個としての人間の無力さを強調してきたが、集団となればそれはそれでやっかい。集合知とは真逆の実相が浮き彫りになることも。その典型がいわゆる宗教紛争。今回もNPO=のん兵衛・ポンコツ・おっさんが酔狂のなか、ちと眩暈も覚えながら大真面目に考えてみる(明日大雨でないことを祈る)。  「宗教紛争」はフィクションに過ぎない(理路整然たる異論のあることも承知の助――インドなどは格好の事例か)。というのも、

          雑多な雑感――NPOの戯言⑯

          雑多な雑感――NPOの戯言⑮

          《たぶん普遍的なテーマ⑧》 神様と仏様(2) (つづき)  前回したためたように信心深いわたしではないが、信心深い人の気持ちも理解できる(つもり)。わが母系では信心深い人が多いというのもあるが、わたしの経験も加えておきたい。わたしは幼年期「ケガの王様」と言われるほどケガと命の危険にさらされてきた。  定かな記憶として二つだけ。一つ目は自転車ごと水の流れていない用水路に落っこちたこと。場所も含めて「落ちる瞬間だけ」は覚えている。あまり気持ちのいい話ではないので割愛するが今も頭の

          雑多な雑感――NPOの戯言⑮

          雑多な雑感――NPOの戯言⑭

          《たぶん普遍的なテーマ⑦》 神様と仏様(1)  日本人の多くは寺にも社にも参拝する。わたしも然り。クリスマスもハロウィーンもそこかしこで盛り上がる。宗教宗派に厳格な人もいるだろうし、冠婚葬祭に臨むたび悩む人もいるにちがいない。ゆえに宗教上の「ロミオとジュリエット」も普遍的テーマであり続ける。  わたし自身は、浄土真宗本願寺派の仏教徒だが自分で選択したわけではない。あくまでも偶然。母親の家系がそうだったから。親が離婚していなければ神道だったかも(《自己紹介》参照)。大半の人たち

          雑多な雑感――NPOの戯言⑭

          ”思いつき”定義集Ⅱ㊱「ら・り」

          【ラジオ】たぶん最後まで生き残るメディアの一つ。有用性・利便性についてはTVや新聞を上回ることも多々ある。例えば災害時。災害大国日本では頗る重大な役割を果たす。情報が常に正確かどうかは判定できないが(あらゆるメディアに言える)SNSで細工された動画のお遊戯より信用度は高い。  また、なんとなく対話が成立しているような雰囲気を醸し出すことも好ましい。基本的に聞き役だが、聞きながら同調できる場合が多い。心地悪い話しは途中で放棄して切り替え自在。意外と選択肢は豊富でストレスの少ない

          ”思いつき”定義集Ⅱ㊱「ら・り」

          雑多な雑感――NPOの戯言⑬

          《たぶん普遍的なテーマ⑥》 偶然か必然か  人生は偶然の連続とも言われる。「宿命」「運命」と呟かれる事態もまた偶然の重なりによって培われる。わたしが日本の大阪という地で生誕したことを作為とすることはできない(作為なく子の生誕はないが、そういう意味ではない)。ゆえに必然ではありえない。  人との出会いを考えてみよう。例えば小学校や中学生のクラスは自分で選択できない。みんなと仲良くなることができるかもしれないし、仲間外れで嫌な思いを抱え込むことになるかもしれない。偶然の作用は大き

          雑多な雑感――NPOの戯言⑬

          雑多な雑感――NPOの戯言⑫

          《たぶん普遍的なテーマ⑤》 健康と不健康  病院嫌いの人は多いと思うが、わたしも然り。なので進んで受診するなど沽券にかかわるほどの精神的苦痛の種である。にもかかわらず健康診断に2年連続で足を運んだ。第一の理由はタダだったから。第二は最初の検査結果の紙切れに「あなたは不健康です! そんなことでどうするんですか! 正気ですか!」と示唆されたから。  世は健康ブームどころか健康のためなら死んでもいいという時代だ。健康は大事という若干の自覚はあった。しかし吞兵衛とは酔いの継続を生きる

          雑多な雑感――NPOの戯言⑫

          ”思いつき”定義集Ⅱ㉟「よ」

          【欲/欲求/欲望】堕落への入り口。いや、自己を高めてくれる原動力か。いずれにしても折々に湧き出てくる、あるいは舞い降りてくるもの。食欲や性欲、睡眠欲など生理的なものから、モテたい、金持ちになりたいなどの願望まで。  やっかいなことに、欲をとことん満たそうとすると失敗する。旨いもの、好きなものだけを食べ続けると、スマートな容姿を望む欲求から遠ざかる。悠々自適を優先すると仕事は疎かになり、欲を満たすための原資を損なう。詰まるところ、ほどほどに理性を働かせなくてはならない諸刃の剣。

          ”思いつき”定義集Ⅱ㉟「よ」

          ”思いつき”定義集Ⅱ㉞「や・ゆ」

          【野次馬】マス・メディアの「原型」。ついつい非日常に引き寄せられてしまう名もなき人びと。やめられない止められない。人が好奇心を抱いていることの証しだが、事件であれ事故であれ(うわさ話のネタにはなるが)事態に対しては何の役にも立たない。もちろん役に立つ必要もないが、無責任をいいことに過誤の情報源にならない心構えは持ち合わせていたい。 【ヤンキー】もともと侮蔑的な表現ではあるが、日本では「不良非行」を形容する場合が多い。今日ではファッション化している向きもある(あくまでも個人的

          ”思いつき”定義集Ⅱ㉞「や・ゆ」

          雑多な雑感――NPOの戯言⑪

          《たぶん普遍的なテーマ④》 謙虚さと傲慢さ  わたしは謙虚さを壁画にしたような人間である。けっして自慢ではない。そもそも、自慢できるネタが無ければ自ずと謙虚さを装わざるを得ない。例えばわたしは暑がりで寒がりだが自慢できるものではない。通常、謙虚さとは人間の内面を他者から評されるものだが、わたしの場合、自認せざるを得ないのである。その意味でわたしの謙虚さは虚飾である(壁画と言うより落書きか)。その程度の物分かりの良さは持ち合わせている。  さて、自慢できる人がいるとすれば、特段

          雑多な雑感――NPOの戯言⑪