見出し画像

雑多な雑感――NPOの戯言⑭

《たぶん普遍的なテーマ⑦》 神様と仏様(1)
 日本人の多くは寺にも社にも参拝する。わたしも然り。クリスマスもハロウィーンもそこかしこで盛り上がる。宗教宗派に厳格な人もいるだろうし、冠婚葬祭に臨むたび悩む人もいるにちがいない。ゆえに宗教上の「ロミオとジュリエット」も普遍的テーマであり続ける。
 わたし自身は、浄土真宗本願寺派の仏教徒だが自分で選択したわけではない。あくまでも偶然。母親の家系がそうだったから。親が離婚していなければ神道だったかも(《自己紹介》参照)。大半の人たちは宗教宗派を受け継ぐものと考えているのではないか。このあたりは一神教であれ事情は同じだと思う。
 わたしは仏教や神道その他あらゆる宗教宗派について頓着しておらず無知である。したがって断固たる信仰者とは言えず「事実上の無神論者」。ただし貧乏神だけは実在すると訝っている(依然として絡みついて離れようとしない)。いずれにしても、クリスマスを祝い初詣に繰り出すのか。珍しくまじめに考えてみた(明日は雨が降るだろう)。
 一つ目はイベント好き。ざっくり言って祝祭である。日本風に言えばハレの日を楽しむこと(祈願祈念を込めてのことではあるが)。以前、長野県や愛知県の田舎町で「ザ・伝統」に値する祭りを見物したことがある。なかでも火祭りという荘厳な行事には、その心意気みたいなものに心が動かされた(酔っぱらってはいる)。行事には様々な祈りが込められている。多くの地域で伝統行事が廃れていると耳目にするが、だとすればなおさらイベントこそは重要な紐帯を守ることになる。リアルなつながり。
 二つ目は自分が無力であることを感得しているから――意識的か無意識的かは別にして。人生は思い通りにならない。合格祈願も健康長寿も祈ってどうなるものでもない。受験しなければ受かる可能性はゼロに決まっている。健康第一でも思わぬ病におかされることもある。どんなに節制しても病気になるリスクはゼロになることはない。
 こんな実例がある。大気汚染地域を離れタバコの副流煙を完璧に避けた人が肺がんになった。悔しいには違いない。理解はできるがリスクをゼロにすることは不可能であることの証左。わたしのように日頃の行いが善くても地震や洪水に襲われるかもしれない。つまり安心安寧を望んだとて「自分ではどうすることもできないこと」がある。
 どうにもならない――それを知悉するがゆえに人は祈り続ける。
(つづく)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?