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「精神科の極意」の話

先生らしくない先生

息子さんが院長、副院長に世代交代して
担当患者さんを減らし少しのんびり過ごされていた
患者さんと一緒に畑作業をされているところ
福祉事務所の所長さんが声をかける
「先生!そうやっていると、誰が患者さんで誰が先生かわからんなー!」
先生は応える
「わかっとらんね!それが精神科の極意よ」
このやり取りをよく聞いた

その福祉事務所の所長さんは僕をよく飲みに誘っていただいた
毎週のように飲みながら「精神科の極意」の話をよく話題にしていた
「飲んで酔って帰ると家に入れてもらえないんだって」
「先生らしくないのがいいんだよね」

僕も同感だった
先生らしくなく誰に対しても田舎のおじいちゃんって感じで自然だった
患者さんにも、職員にも、地域の方にも、町の偉い方々にも
新人の僕にもいろんなことを教えてくれた
「人前で話すのが苦手で先生のように話し上手になりたいんですよね」
ある日僕が先生に言うと
「話上手なんかじゃないよ、下手だからちゃんと話そうと準備するだけ」
「講演を頼まれると広告の裏に話す内容を下書きして話してみるんだ」
「たくさん訂正していくよ」
「それを繰り返して、何を話すか整理するんだよ」
「準備を怠ると何話すんだっけーてなるから、そん時は適当に話すけどね」
「準備しないと下手なままですよ」(;^ω^)

お茶目なところもあり、普通のおじいちゃんと話す感じだった


極意は単純で難しい

新人の頃「精神科の極意」わかるなーと思ってた
でも、なんとなくだった

簡単にいうとすれば
ひとりひとり「誰に対しても個人を尊重」していた
そして「共にいる」という存在感があった
それも無理してなくて自然に思えた
そこにいなくても「いてくれる」と感じる大きな存在感

説明されたり、そうしなさいと指導されたことはなかったけれど
そうやっていつも近くで示してくれていた
周囲に対して「怒り」「不信感」が膨らんでいる新人の僕
器の大きい懐の深い先生だな・・自分もなれるかなぁと思った
2年目にはスーパービジョンを受けるチャンスをもらい
振り返る機会をつくれるようになったことで
ふとした時に考えることがあった
精神科だけの極意ではないんじゃないかな
人と向き合う極意なんじゃないかな

そんなこともなんとなく思っていた

交流分析でいうとするならば
常に態度がAなんですよね

今は、その奥深さに、できないけれど忘れないでいようと思う
「いつも」「常に」「誰に対しても」とかとても難しい
いろんな人がいる
優しいと思っていた人が冷たいときもある
自分の気持ちが変わるときもある
ゆとりがないときもある
忘れている時がよくあるのです( 一一)
先生の「精神科の極意」に出会えていたことが
僕にとっての財産で今でも感謝の気持ちです

この「精神科の極意」を身に着けていると思う方に
この30年間で何人か出会って刺激を受けた
別な方の話はまたいつか振り返ってみようと思います



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