精神が等身大の自分を生成する

自分の精神面は粘土みたいにこねてこねて曲げて伸ばして捻って作るものだと仮定しているんです。
じゃあその粘土で作るものというのは自分自身だと思っています。

蛇足だけど、本当は「精神が自分を生成するまでにすること」と書こうとしたが、そういうの嫌い。わかったような顔すんなって思う。

個体差はやはりあって、粘土をあまりこねなくてもいい人もいる。
私は比較的、細かい修正を繰り返しながら粘土をいじっている。

精神世界は、お金の稼ぐ価値もないし、他人の評価も価値がない。
それらは部品として必要ではあるかもしれないが、核にはならない。

例えば私は「楽しいことを永遠にしていく」
くそみたいなアプリを開発するチームを作成したり、あほみたいな絵を作ったりしたい。

一方で難しいなと思うのは、20代前半で内省するのは就職活動のタイミングだと思う。
就職と自分の核を見つけるのは、かけ離れているように感じる。

企業は個人にお金を払うし、個人は会社の利益に貢献する。そうするとお金の価値がない精神世界に経済や評価が発生する。

精神が等身大であることは、他人と比較することも、誰かに嫉妬することっもない世界を作ることに同等だと思う。

「誰かと比較しない」に対する治療に「比較しないように心がける」ということをする人が多いけど、一番は距離があることだと思う。

風邪薬を飲んでいるときは風邪の状態で、風邪から一番遠いのは栄養満点で「風邪?ああ、あの咳とか出るやつ?忘れてたわ」という状態である(これを距離がある状態)

時間をかけながら徐々に不安なことを忘れるほど、裸一貫で過ごせる精神世界を構築することが重要だと思うし、おすすめ。

つまり、精神世界で等身大の自分を生成するのはどう?

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