よしおか

・大学生 ・ゆったりnote ・感情のままに投稿します

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最近の記事

覚悟に近い自己分析がありまして、、、

久しぶりのnote更新です 若いころ?(2~3年前)は毎日投稿しようみたいなモチベーションが存在していて「あれは何だったんだろう」とふいに考える時がある きっと満ちていなかったんだろうなと、目標を達成した未来の自分はそれを満たしてくれていると勘違いしていたんだろうと今なら思う 自己分析のようなものは自己で完結する部分は最後だけで過程では自己以外のだれかが存在するものだと思う。 自己分析の自己の部分は「自己責任や意思決定」のフェーズだけで0から100まで一人でできることは少な

    • もう理屈はこねられるので待ってください

      久しぶりにnoteを書く 僕はおそらく考えるのが好きだと思う。その時の感情や行動を分析することが暇つぶしであり、音楽より気分がのるものである 考えるということは筋トレと同じようなもので量が増えて、フォーマットのようなものができるので質も担保されるようになっている。 考えたことは要点を抑えて伝えることもできるようになったし、複雑なこともラベリングして記憶の引き出しにしまうこともできるようになった。 こういうことを昔はできなかったコンプレックスが強いので”これが出来る現状”と

      • 適切なことばを探したい瞬間

        人とのコミュニケーションは、適切な言葉を使わないといけない瞬間がある 伝わるか伝わらないかという別れ方をしていることがあるから 定義を決める途端に物事は表現ではなく、正解へ向かっていくような感覚があり、それがあまり好きではない。 例えば高校生の時に「勉強」を狭義として考えていた。 問題があって、それを解く。決められた範囲で覚えて問題に取り組む。 定義しなければ勉強なんて自由でどんな形でも表現ができるものだなと思う。 枠組みの中で取り組む楽しさと、枠を決めずに取り組む

        • 精神が等身大の自分を生成する

          自分の精神面は粘土みたいにこねてこねて曲げて伸ばして捻って作るものだと仮定しているんです。 じゃあその粘土で作るものというのは自分自身だと思っています。 蛇足だけど、本当は「精神が自分を生成するまでにすること」と書こうとしたが、そういうの嫌い。わかったような顔すんなって思う。 個体差はやはりあって、粘土をあまりこねなくてもいい人もいる。 私は比較的、細かい修正を繰り返しながら粘土をいじっている。 精神世界は、お金の稼ぐ価値もないし、他人の評価も価値がない。 それらは部品

        覚悟に近い自己分析がありまして、、、

          孤独と立ち向かうには?

          はじめにこの記事が印象深くて好きです。今回はかなり影響を受けています https://note.com/marisakura/n/n4615d36d2789 簡単に説明する必要もあまりないぐらいそのままです。 「孤独というのは課題を共有できないこと」ということです。 ただこの方は(素晴らしい)経営者であるのでビジネスの中での話で進んでいきます。 僕は「孤独とは自分の頭の中を共有できないこと」なんだと定義しています ほぼ同じですww 話しているときにスマホを見られると人

          孤独と立ち向かうには?

          不安になる状態とは

          不安になる状態日常にふと起こる不安の状態は空虚によく似ている。 何もない状態、真っ白な空間に何もないイメージが近い。 ある意味何でもできるような状態ではある 物事は表裏一体だと思っているので、不安の裏を考えてみる 私は不安が強く続くと「不安で何もできない」という状態になる これはかなり危険で負の連鎖に入るので改善する方法をこの記事の中でやりたい。 「○○だから何でもできる」の○○を解き明かそう ここからは謎解きパズルのような時間になる 現状、”不安”というものは枷にな

          不安になる状態とは

          自己紹介が苦手ってどういうこと?

          1.はじめに基本的にこのnoteは自分の思考の塊(ゴミ)をはきだすためのものですもしかしたらこのゴミをゴミとして扱う人もいるし、このゴミは使えるって思う人もいるかもしれません きったねぇって思う人もいれば、ビンテージやんこれ!と興奮する人もいるかも 2.自己紹介とは最強の自己紹介というのはどういうものなのかと考えた 例えば1時間自己紹介できる人はきっと最強自己紹介マンだと思う とはいえ感覚ではあるが、自己紹介とは難しいと感じている人が多い 構造分解できてないことが多い

          自己紹介が苦手ってどういうこと?

          第二の故郷で得た知見~ベトナム留学last~

          前回の続き 1.海外留学すること海外留学は色々な形がある。大まかにまとめると海外留学は異文化交流というのがメインになると思っている 海外の人と生活をしたり、海外の人と生活を一緒にする 別の意見はもちろんあると思うし、異文化交流という部分だけに注目すると「え?留学ってそんなもん?」と思う でも僕のいう異文化交流でできているという状態は少し条件がある ■あくまで交流であること ■○○らしさを持つということ ■そこに対して心を持つこと ■あくまで交流であること よく海外に

          第二の故郷で得た知見~ベトナム留学last~

          第二の故郷で得た知見~ベトナム留学④~

          前回の続き 1.仕事の100点とはベトナムでの生活は毎日が光の速度のように感じた。 "生活ができる"ということの幅は非常に大きくて、海外であろうと買い物に行ってお金を払って、家に帰ってきて電気をつけて、シャワーを浴びる 生活をしているといつの間にか、私はそこに長い間いたような感覚になった。 便利さには大きく差があるが、日本もベトナムも大きくは変わらなかった。 学生とのつながりも強くなり、休みの日はいつもどこかへ遊びに行っていた。 仕事では、日本語教師として実際に教壇に

          第二の故郷で得た知見~ベトナム留学④~

          第二の故郷で得た知見~ベトナム留学③~

          前回の続き 1.仕事において長所を伸ばすこと大きいイベントを終えて、自分たちで反省会をした 反省会は細部までわたっており、会議の進行方法、一緒に運営していく工夫、来年のための引継ぎ資料などしていた。 反省の中でもっとコミュニケーションが必要だったという指摘を相方から受けた もちろん、今考えるとかなりその側面はあると思ったがその指摘はかなり印象深かった コミュニケーション自体は苦手ではないことに加えて相方も話しやすい人だったのであまり意識していなかった しかし二人で仕事を

          第二の故郷で得た知見~ベトナム留学③~

          第二の故郷で得た知見~ベトナム②~

          前回の話 https://note.com/yoshioka0101/n/n779da7bf16e0 1.ベトナム生活のスタート!私の研修先はベトナム・ホーチミンという場所でその町はベトナムでも都会のほうにあるので、観光客や駐在員も多くいる。 ただ道路などは微妙に工事中になっていて、インフラ整い中という感じだった。 研修はまず日本語学校でのガイダンスを受ける。 教務部長の方がメインで教えてくださって、とにかく面白かった。 これは笑ってしまうという感じではなくて聞き入って

          第二の故郷で得た知見~ベトナム②~

          第二の故郷で得た知見~ベトナム留学①~

          2020年はコロナで海外留学を予定したものや旅行をする人はほとんどいなかったと思う この問題は日本だけではなく世界的にといえるだろう そんな私は18年度に留学へ行った。月並みな言葉だけど、第二の故郷での生活は楽しくて、辛くて、たくさん逃げながら笑った思い出がある。 今回はnoteを通してそんなベトナムでの生活を振り返りたいと思う ※タイトルは20代で得た知見という本を参考にしてますww 2018年にベトナムのホーチミンへインターンのため留学をした。 大学の制度ではなくて

          第二の故郷で得た知見~ベトナム留学①~

          2021年の抱負

          激動の2020年が終わった。 コロナの影響で色んな事が変わったり、日常のあらゆる部分に侵入してきた あっという間だったのはコロナの影響なのか、もしくはただ一年というのは短いだけなのかわからないけど今年も例年通り「あっという間に終わったね」という話を何回もした 2021年はどんな年にしようこういう時はもうシンプルにね、やっていきたいですね 3つぐらいのテーマで目標を設定していて 【生き方】【自己研磨】【健康面】 【生き方】 〇自分に素直に生きる 僕はMr.忖度といえる

          2021年の抱負

          "理屈じゃない"ことを説明しようじゃないか

          説明口調の方が自己像と近い関係性で語れるのでありのまま(let it go)で話します 昔から友人関係には半ば諦めてるところがあってちょっと希薄なんです もともといじられることが多くて小学生の時はいじりが増長していじめだろこれという行為とそれを見てるだけの友達にある種の裏切りとそれでも助けてくれる友達への信頼みたいが目まぐるしくありました また僕は集団の圧力に対して歯向かう勇気はなかったので自然と自分で友達を選択するようになりました だから昔と比べると友達と言える人は

          "理屈じゃない"ことを説明しようじゃないか