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Column #10 音楽を世に出すことを、もう一度初めから

ようやくファーストアルバムが完成した。ピアノ弾き語りのアルバム。まだ誰も全貌を聴いてないので、内容についての詳しいことは避けたい。なので、ここに至る経緯をあらためてまとめようと思う。

今年の前半はレーベル探しをしていた。今までお世話になっていたところも含め、お会いする方みな親身になって相談に乗ってくださるものの、こちらの思うような条件で今のままの僕を迎えられる体制のところは少なかった。ならば自分でやるしかない。幸い、音楽業界で働くBLUE BOY時代からの友人が、足りない部分を補う形で協力してくれることになった。

レーベル運営。実は昔から、ミュージシャン として何歳まで働き続けようと、それだけは避けようと思っていたことだ。自分には曲を作ったりアレンジしたりパフォーマンスしたりといった、いわゆる音楽活動は躍起になって頑張れるけど、余計な欲が出たりして、他のことまで手を出すと痛い目に会うと思っていた。

そう言いながら、HARCO時代後期はハルコレートレーベルを運営していたが、それはあくまでオリジナルアルバム以外の企画盤に限っていたし、何から何まで当時のスタッフがサポートしてくれていて、乗っかるだけで良かった。

今回立ち上げた「Symphony Blue Label」は趣が違う。どこまで続けていくかは決めていないものの、オリジナルアルバムを出して行くつもりだし、フリーになって内輪のスタッフがいなくなった今、経理のことや申請手続き、プロモーションから販売まですべて最終的な責任を自分が持たなければいけない。例えば読みがはずれたりして大赤字になっても、誰も助けてくれない。

そう、とにかくお金のことが心配。ひとまず予算を立てる。不安が先に立つから、HARCO時代よりもずっと低い見込みで収入を計算し、次に支出の予想を立てる。すぐに膨らむ金額にますます不安になる。でもかつて必要だったこの項目はいらないかも、とか、弾き語りだと予算が少なくて済むから今まで出せなかった広告を出せるかも、とか、考えているうちに楽しくなってくる。

同時にあらたな協力者探しだ。すでに報告しているように、とある出会いからブランディングやロゴデザンに強いSKGの助川誠くんに、イメージ戦略も含めたお手伝いをお願いすることに。さらに今までの自作ウェブだとコンテンツにどうしても限界を感じるから、時代を読んだ設計と清潔感もあるページが得意なフタキダイスケくんに、オフィシャルサイトを託す。これには助川くんもたくさんアドバイスをくれた。

さらにエンジニアは、HARCOの後期ベスト盤のDVDを担当してくれた東京工芸大学の橋本裕充さんに思い切ってオファー。他のエンジニアに比べたら経験は少ないけれど、オーディオ機材にとにかく詳しく、低域から高域まで幅広い音の響きを、最新の機器やソフトを使って作り出してくれるのではと思った。つい先日、朝7時まで20時間お互いスタジオにこもり、こだわり続けたミックスはその証である。

そのほか今までHARCOで携わってくれた方々にも、それぞれ得意分野をお願いしている。予算は全然ないけれど、宣伝を担当してくれる昔からの友人も加わった。

今年の1月にニューヨークにいたときは、日本に帰ったら「チーム青木慶則」を早く編成するぞと意気込んでいたのだけど、そのときはどこか小学生がクラスの中でヒーロー戦隊を組むような、現実離れした感覚があった。そして帰国してからの、挫折に継ぐ挫折。ああ、この歳から自分で身を立てて行くなんて無理なのかもと、挫けてばかりいた。

それでもなんとか、当初自分が定めていた目標通り、2018年のうちにアルバムを発売することができそうだ。それに向けてまだまだこの先も、経験していないミッションがたくさんある。今までのように「作ったからあとはまかせた」とは、全然いかない。

ひとつ発見があって。これだけは一番やりたくなかった、音楽を世に出すための様々な機関への申請というのがあるのだけど、やってみたら一番楽しかった。しんどいかもしれないと思うことほど、実は楽しくて、早く終わったりする。克服していくことは、楽しいことに満ち溢れているということ。それを体現している僕を、この先の音楽の片鱗として見つけてほしい。