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子どもが自主性を育てるための家関わり〜家庭学習に関する考察まとめ【261】

 前回の記事で、「家庭学習に必要な保護者の考え方や姿勢」についてまとめました。そして、今回の記事ではそれを実践しながらこれまでに私自身が考えたことをまとめています。
 いろんなことがスピーディになっている社会の中で、子どもの自主性を待つというのは、よほど意識しないと難しいです。ついつい、何かを急かしてしまう、問題を見て考えているのに「早くしなさい!分からないの?」などと余計な声かけをしてしまうこともあると思います。
 ただ、日々の小さな積み重ねが子どもの生きる力の土台になっていると考えた時、一番関わりが多く影響力のある保護者からのアプローチをどのようにするのかを考えることはとても大切なことです。子どもの健全な発達を阻害しないようにするために私が重要だと思ったことを、7歳の娘を育てる父親として、また小学生から高校生が通ってくれている学習教室の講師としてまとめさせておきたいと思います。

何にしても「理不尽な強制」は避ける

 改めて、家庭学習のサポートは本当に難しいと私自身も親として実感します。家はリラックスをする場で、親は甘えられる存在でもあるので、子どもの年齢が低いとなかなか学習と向き合う環境を作るのは難しいです。

 私の娘は現在7歳です。娘の学習状況として、オランダ現地の学校に通っており、言語ではなく算数の「大きな数の繰り上がり、繰り下がりの計算」に少し苦戦しています。担任の先生からも、「オランダ語の学習は問題なく、算数での概念や抽象的な操作を理解することに時間がかかるから家庭学習でのサポートもしてあげてほしい」という連絡をもらっています。

 ただ、「あなたは算数ができないから」とか「先生は算数が苦手と言っている」というような、子どもに大人の価値観を押し付けるようなことを言わないように注意しています。子ども自身が「私はできないんだ」と思ってしまうと、それ以上の期待ができなくなるからです。
 ある本を読んだ時には、学習の理解度というのは小学校低学年ぐらいでは、まだみんなバラバラな状態だそうです。そして、10歳を迎える頃ぐらいに、大体全体のバランスが整ってくると書いてあるのを読んだことがあります。そのため、そのことを伝えた上で苦手なところを少し底上げしておこうというスタンスで取り組んでいます。

 娘と勉強のことについて話す時は、「数の計算のところを理解するのに少し時間がかかるみたいやから、家で少し練習が必要やね」という話をしています。また、そこでは他の子はできているとかそういう話をするのではなく、オランダ語の読解が得意な子、スポーツが得意な子、逆に計算が苦手だったり、読むのが苦手な子だっているから、みんなできることと苦手なことはバラバラで当たり前なんよ。あなたはオランダ語の読解力はとても素晴らしいって先生から聞いてるよ。本当にすごいことやね。」というような、比較ではなくその子の課題として取り組むように声かけをしています。

 そして、苦手とされている計算も練習を丁寧に積むことで、できる問題が増えたり、解くスピードや正答率が上がってきます。その小さな成長を必ず言葉にして褒めるようにしています。勉強は、なるべくその子自身の成長を感じさせることが低学年の子たちに必要なアプローチだと思います。

 私の本心としては、中学年ぐらいまではのんびりとした学習の進め方をしてほしいと思うのですが、オランダでは小学校卒業段階で進路が大きく分かれます。そのため、あまり放任しすぎることにもリスクがあるので、早いうちからのサポートをしておかないといけないという現状があります。ましてや娘にとってのオランダ語は第二言語にあたります。そのため、あまり楽観的になりすぎても良くないと考え、適度にサポートとしての介入は行うようにしています。そのため、本人がなぜやらなければならないのかを理解できないまま強制的に進めるのではなく、こちらの考えも伝えて本人が納得に近いものを持ってから取り組むようにしています。そして、それが学校での勉強で「学校の算数が少しできるようになったよ!」という充実感や達成感につながるようにします。
 「宿題があるんだからやりなさい!」とか「学校からやるように言われているからやりなさい!」というのでは、本人も分からないままただ処理するだけの時間になってしまいます。せっかく学習をするのであれば、ただ終わらせてしまう作業にするのではなく、成長につながる仕組みを作ることが理想的です。

 そんな中でも、子どもらしい生活をなるべく維持するために、たくさん遊び、好きなことをする時間もたくさん用意しています。そして、勉強の時間というのは、そんな子どもらしい生活の中のほんの一部として捉え取り組んでいます。

家族で学習について話し合い「なぜやらなければいけないのか」

 子どもを長期的な視点で見ながら成長を促すのはとても難しいことです。しかし、小さな一歩一歩が子どもの学習や生き方の土台になっていると考えることは重要です。

 一時的な措置として、高圧的な態度で強制的に勉強させようとしたり、何かの報酬(多少はあっても良いものです)でつって学習させるようなことをしていると、それは小さく積もっていきます。それがやがて、達成感を味わう以前に「勉強することそれ自体が嫌い」になってしまったり、保護者との関係を将来的に壊してしまう危険性もあります。保護者自身が余裕を持てない状況でもあったりするので、そういう時は自分の状況を再確認する必要があります。
 以前私が子どもの心理に関する本を読んだ時に学んだことですが、嫌いな人がやりなさいと言ったことは、そのこと自体に価値があると分かっていても「やりたくないという気持ちが勝ってしまう」そうです。このことを考えると、無理やり勉強させることよりも、親子関係を優先しつつできるサポートをするという考えが重要になりますね。

勉強は処理するものではなく、自分を成長させてくれるもの

 最近は宿題の代行サービスや、読書感想文やレポートの課題などでインターネットに掲載されているものがあります。こういうものに対して、勉強をただ処理すれば良いだけのものと意識している子たちは、そう言ったものに手を出してとっとと終わらせることを優先するでしょう。しかし、勉強は自分を成長させてくれるということを理解していれば、そう言ったことをするのが「何も得るものがない無駄なこと」だと、自ら判断して自分で課題に取り組めるようになると思います。

以上が私が家庭学習について考えたことの記録です。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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