『学習する学校 子ども・教員・親・地域で未来の学びを創造する』第10章今のビジョン【369】
学校が産業化時代から抜け出すための考え方や現場でできる実践を本書では学ぶことができます。大学卒業後に公立高校の現場に出た私にとって、自分がしてきた経験に基づいた価値判断を無意識にしてしまうことがあったので、なかなか根本的な解決をどうすべきか考えることが難しかった記憶があります。
この本を読むことによって、そういった私たちの無意識の領域にある前提や当たり前を問い直すことができるので、とても役に立ったと思っています。これまで大切だと思ったことをまとめているのですが、今回は「今のビジョン」という形で記録していきます。
コラムで紹介されていた学校教育に対する興味深い考え
本書では、学校教育に関する問題提起として、参考文献がいくつも紹介されています。とても興味深いものがあったのでここに紹介します。
厳しく学ぶことを強制すると、学びの可能性は制限される
これは、『子どもたちがもつべき学校』という著書で紹介されている、学力達成ばかりを強調して厳しい標準テストばかりに躍起となる動きが学習そのもののあり方を破壊した5つの決定的な誤りについて書かれた本です。
「人々が他の人々に学ぶことを厳しく強制するほど、学びがもつ可能性そのものが制限される」ということが示されているようで、無理やり学ばされる子たちには選択する権利がないので、自主的に学ぼうという気持ちがなくなってしまいます。それは無理やり学ばせて身につける学力以上に失っているものがあることを示しています。
『フリーサイズは誰にも合わない』
平均的な内容、平均点の部分にはほとんど誰もいないにも関わらず、そのレベルに合わせて教えようとするところです。このタイトルにもあるように、万人に合わせた内容は結局は誰にも合わず、機能しないことを理解しておかなければいけません。「教えることで恐ろしいのは、自分のあり方に疑問を呈することなく、子供もまさにそうなるように教えているということ」で、自分自身の取り組みにおける思い込みや前提を見つめ直す必要性を述べています。
『ギーグス』
この作品も私自身読んだわけではありませんが、ここでも学校教育そのものを見つめ直すために必要な言葉が書かれています。「学校教育の社会に適応できないが、高度な電子社会で力を発揮する子もいる」というように、学校に合わないからといって社会不適合のような扱いをすることの問題を指摘しています。多様化する社会の中で子どもたちの個性をいかせるようにするのが大切だということが分かります。
不確実性へのシナリオ・プランニング
私たちは学校のこれからのあるべき姿について考える時に、ある程度将来を予測しそれに合わせて今をどうするかを考えます。しかし、現在は社会の変化のスピードが速まっており、その予測が偏ってしまうことがあります。
そのため、複数の未来をチームで想像して共有することが大切です。不確実な未来ということは、いろんな可能性があり、それをなるべく広く捉える必要があります。簡単には言うものの、私たちが日頃は気づいていない部分にも目向けないといけないので、相当の時間がかることを覚悟しておかなければならないと書かれていました。
こちらの活動は本書に詳しく書かれています。大きな流れを示しておくと、まずは、今最も関心があって時間・エネルギー・資金が必要になるような重要な決定について考えていきます。そして、その不確実な未来に進む今の世界の外部環境に目を向け、その要因についても深く考えていきます。そして様々な重要事項を挙げた後に、重要だと考えられるものを5つ選択してまとめ、他のグループにそれを伝えます。そして、最後は自分たちが想定したことと現況についてを比較し、それについて対話を進めていくというような流れでした。
成功者の成功
何かに成功した者は、次の成功にもつながりやすく、何かに失敗した者は次のチャンスを得るための機会すら与えられることがなく、次の成功を掴むチャンスが限定されるという指摘があります。
その循環を見つけることで不当な格差が生まれるのを防ぐことができ、一度失敗をしてしまった子にもチャンスが訪れることになります。
私たちは何かを図る時にも自分の中にある無意識のバイアスの影響を受けていることがあります。成功者の成功について考える時にも、「自分が信じるものを測る」ことがあります。そういった偏りに左右されない中立的な判断ができるようにする必要があります。そのためには、今の関係を犠牲にしたり、今のルールを破らなければ悪い循環からは抜け出すのが難しいと考えられています。
問題のすり替わり
学校で何かの問題に直面したとき、即時的な対応としての「応急措置」と「根源的な解決」という2つの主な方法があります。応急処置的な措置は、一時的には必要ですが、根本的な原因から遠ざかる可能性があり、応急処置に頼ったままでいると問題解決に必要な取り組みができないままになります。
私たちは一般的に問題にすぐに対処したくなるので、応急処置を選んでしまい、時間がかかる不確実な根源的な解決にはなかなか目が向かないことが多いです。
標準テストで学力が向上するという思い込み
学力低下を防ぐために学力テストを導入すると、根本的な学力低下問題は解決されるのでしょうか。学力が低いと判定された学校に対して、応急処置的なテスト対策が行われ、短期的な視点ではスコアが上昇するものの、テストが終わると学んだことを忘れてしまい、根本的な問題は置き去りになっています。そして、勉強に対する向上心を持てないままさらに落第や中途退学が増えて、さらなる応急処置として難しいテストが導入されます。根本的な学力問題は時間がかかるにも関わらず、他の学校区でスコアが上昇するという知らせを聞くと、応急処置的な取り組みがより強化されることになります。こういった「問題のすり替わり」に私たちは気づかなければいけないのです。
「テストの結果が悪かったら課外活動は禁止!」は効果があるのか
成績の悪い生徒を課外活動に参加させないという方針があったとして、これはどのような問題が発生するでしょうか。短期的には成績が上がるとしても、自分が間違っていて否定されているという思いが強くなり、その体制に反発心を持つようになります。すると、本来学力を高めるという目標からはより遠ざかってしまいます。
根本的な問題解決のために
問題症状が見極められず応急処置的な対処法に頼っている場合、自分で問題を発見することができず、外部に任せようとします。そうなると、本来の目標が達成されないどころかより問題が深刻化することがわかっています。
そのため、ここでも対話にじっくりと時間をかけ、今講じている対策が応急処置的なものなのか、もしくは根本的な問題解決のものなのかをグループで話し合い見極めることも大切です。
ユース・リーダーシップ・フォーラム
学校のことで話し合う時に、生徒たちにも参加して話し合うことができれば学校が学びの場としての価値はより高まります。そのために生徒たちも話し合いのスキルを身につける場として、「ユース・リーダーシップ・フォーラム」が紹介されていました。単に話し合うといっても、話し合いのためのスキルを身につけることも重要です。具体的には、「聴く」「問う」「アイデアの追加」「尊重」「思いやりと共感による安心」「理解しようとする忍耐」などがあります。
生徒の関わりで主体性が生まれる
学校のことが大人に任せきりになるのではなく、生徒自身も関わっているという意識をもつことで、喜びと自信を感じて何かを変えることへの期待がもてるようになります。つまり、主体性を発揮できる場を用意してこそ、そういうスキルが育つということです。
あらゆる会話の方式
会話の方式にはいろんな種類があります。ジグソー議論、ワールド・カフェ、ギャラリー・ウォーク、チームプロジェクトなどが本書では紹介されており、それらの特徴を生かしながら対話の場を設けると、学校の中で対話が盛んになると期待できます。
草の根主義の学校づくり
この章で読んだことを最後にまとめておきたいと思います。トップダウン方式の運用ではなく、教員や生徒・保護者など学校に関わる人々それぞれが、学校のシステムに関与しているという考えをもち、個人がある程度共有された目標に向かって進むために「対話」が重要だということが分かりました。一部の人に権限を渡すことで物事がよくなることはなく、私たちの見えていない前提に立ち戻り、学校に関わるそれぞれの人がビジョンをもって行動することができれば学校はもっと良くなっていくのではないかと考えられるようになりました。
<参考文献>
・ピーター・M・センゲ他著、リヒテルズ直子訳『学習する学校 子ども・教員・親・地域で未来の学びを創造する』(英治出版、2014)
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