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『学習する学校 子ども・教員・親・地域で未来の学びを創造する』第14章アイデンティティ【374】

 第3部に入り、学校と外にある人や機関とつながりをつくり、1つのコミュニティとして機能するために必要なことがまとめられています。前章では、そのコミュニティの捉え方についての再定義を確認したところで、第14章ではアイデンティティについてまとめていきたいと思います。


コミュニティのつながりを吟味する

 VUCAの時代になると、世の中の不確実性や複雑なところを受け入れるよりも、それを分かりやすく整理して安心したい心理が働きます。しかし、簡略化をしすぎることで問題の本質が見えなくなってしまいます。そういった不確実性と向き合うためにも、多様な人々とのつながりが重要で、学校内外の結びつきが必要だということになるのです。

 それでは、コミュニティとしてのつながりを強くするにはどうすれば良いのでしょうか。
 主な取り組みについては本書を参考にしていただくとよく分かると思います。簡単にまとめると、学校の周りのコミュニティについてブレーンストーミングを行い、人物や地域の安全性、生徒が学習に使えるような組織や活動などを調べていきます。そして、それらを分類してリストを作成し、実際にその人たちからの意見ももらうようにします。

話し合いを通じてシチズンシップを取り戻す

 世界に変革をもたらすためには、上からの指示や力ではなく、合意や結合性が重要であると述べられています。
 私たちが暮らす社会に目を向けることで社会問題を解決するためのいろんなアプローチが生まれてきます。しかし、その社会問題による生活不安から、学校や企業内での競争に勝つことに必死になってしまうことがあります。しかし、自分のキャリアや属する組織の経済的な豊かさのためのものに過ぎないため、社会全体で見ると問題解決には至らず、むしろマイナスであることもありえます。

 何かに変化をもたらすというのは、欠けた部分や弱い部分を見て誰かが起こす変革を待つことでありません。それぞれの優れた部分に焦点を合わせ、選択肢を人々に委ねていくことだと考えられています。
 私はかつて、カミュの『ペスト』を読み、一人ひとりが自分の目の前にある大切だと思うことに愚直に取り組むことで、それがやがて大きな変化につながるのではないかと考えたことがありました。
 選択肢が与えられている状態で、人々の目が公共部分に目が向けられているとしたら、それは変化する期待ができると言えるのではないでしょうか。

メディアは人々の傷から利益を得る

 私たちはネガティヴなことに反応しやすい脳を持っています。それは私が最近感銘を受けたルトガー・ブレグマンの著書にも書かれていました。
 メディアは恐怖の誇張、反対の立場をドラマチックにする傾向があり、コミュニティがもつ傷を利用しようとします。市民は沈黙を続けて受動的であるために、メディアは人々の傷から利益を得ています。そのため、メディアが取り上げる一部だけを見るのではなく、コミュニティ全体をしっかりと見られるように不確実性を受け入れるようにしておかなければならないのです。

メンタル・モデル(無意識な思い込み)に気づく

 「学校界では、学校変革を巡る公共の話し合いにおいて、懲罰、報奨、競争、校則、新たな学力基準、強気の発言などが、説明責任を強化して生徒の高い成績につながると信じられていることが多い」と考えられています。しかし、ビジネスにおいても競争は消滅しつつあり、競争は止めようという流れがあるそうです。

 そんな流れであることも知らず、学校に懲罰制度を設けることは時代の流れに逆行していることになります。給料差を設けることで業績が上がる証拠はどこにもないということを初めに理解する必要があります。

社会を変える6つの会話

 コミュニティに変革をもたらしたいと思ったら、まずはじめにおこなうべきことは会話だと書かれていました。ただ会話を行うのではなく、問いかけ方を変え、漠然とした不安な状態こそ進歩につながると自覚しながら、助言などではなく考えをオープンに出せるように場を整えていくためのヒントがここに書かれています。
 6つの会話のステップとして、招待→可能性(未来を考える)→当事者意識(現在をどう捉えるか)→異議(ノーと言える環境)→コミットメント(大きな目的のためにできること)→天賦の才(自分のかけているところではなく強みに視点を変える)の順に話を進めるとよいと考えられています。詳しいプロセスや問いかけの例は本書に記載されています。

国家規模でビジョンを共有する

 シンガポールでは、「考える学校、学習する国家」づくりに取り組んでいます。元々試験や反復学習を強調する教育で知られる小国家であるシンガポールでしたが、理科や数学のスキルは高いが、創造性や批判的思考の能力は期待ほど高くないという状況があったそうです。

 考える学校とは、「批判的かつ創造的思考と、アクティブで主体的な学習によって充たされたるつぼ」とし、「過去の失敗から学び、地球規模での最善の実践を探求し、そこでの学びを現場に適用」すると定義されています。つまり、経済的な豊かさを目指す知識を大量に注入することではなく、持続可能な社会の中で幸せな生き方を模索するための教育に変化したと言われます。

 現状として、「知識の性質は今よりずっと早く変化することが明らかになり、知識は非常に広範に広がり、地球規模の言語、とりわけ英語への依存度が増す」と考え、カリキュラム内容を削減し、より高いレベルの思考スキルを形成する時間を確保するようにしました。

 「急速に変化する予測不可能な将来に向けて若者を準備させる秘訣は『教育の基本に戻る』こと、社会の子どもに対して、道徳的、認知的、身体的、社会的、芸術的側面のすべてに渡る全人的な発達を目指す」ということが、長期にわたる議論の中で少しずつ形になってきたそうです。

 その結果、シンガポールでは教育の大きなパラダイム転換が起こりました。そこでは能力志向型の、生徒を中心とした教育を目指しています。具体的には、個々の学習ニーズに合わせ、自分の才能を使って社会に貢献する心を養うような教育を目指していると書かれていました。競争のランキングを上げることから、それぞれの最善の状態を目指す教育に変わっているのです。

まとめ:急がば回れ

 今回のポイントは、不確定な未来で不安を感じる場合、人はそれをなるべく簡単に捉えられるようにしようとしてしまうけれど、シンガポールの事例のように時間をかけて議論を重ねなければ、はっきりとしたビジョンを持つことはできないということが分かりました。

 私たちが理解しなければいけないことは、複雑で難しいと感じる状況を解消するには、時間をかけて対話をし多くの人と関わる機会を設けることです。答えを急がず、常に考えチャレンジしていれば少しずつビジョンがはっきりと見えてくると信じて、できることから取り組んでいくことが求められているのではないでしょうか。


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