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第3回ヨーロッパ周遊記(2023.05)元高校歴史教員が感じるフランス🇫🇷パリの魅力【305】

 先週は木曜日から祝日だったので、娘の学校のお休み期間を利用してフランスのパリ観光をしてきました。世界史の古代〜近世のヨーロッパ史を教えたことのある立場としては、フランスでは訪れてみたい場所がいっぱいあります。スケジュールの関係で、全ての場所を訪問できたわけではありませんが、今回実際に見ることができたフランスの歴史を感じる場所について記録しておきたいと思います。

歴史の深さを感じるパリ

 オランダのロッテルダムからタリス(THALYS)に乗り、約2時間かけてパリまで行きました。タリスは、フランス・ベルギー・オランダ・ドイツを走る高速列車です。

 今回はルーブル美術館とエッフェル塔、凱旋門、コンコルド広場に訪問できました。残念ながら、ヴェルサイユ宮殿やバスティーユ広場、自由の女神像を拝むことはできませんでしたが、また機会のある時に訪問したいと思います。

ルーブル美術館

 ここでは、古代のギリシアやローマ、エジプトやイランなどの展示品もあります。ナポレオン=ボナパルト(ナポレオン1世)は、遠征をする際には多くの学者も同行させていたそうです。ナポレオンがエジプト遠征の際に発見された「ロゼッタ=ストーン」においても、かつて解明されていなかったエジプトのヒエログリフの解読につながるわけですが、そういった文化面での貢献もこの美術館の貯蔵品に現れているのかもしれません。
 ナポレオンは、戦争における敏腕さだけでなく、フランス銀行の設立(革命期の財政・金融の混乱を収集し、のちの産業基盤となる)やナポレオン法典(現在の憲法にある「法の下の平等」などを規定したもの)など、「ナポレオンの遺産」と呼ばれるものがあります。そういった文化への意識の高さは、パリを歩いていると感じられます。もちろん、多くの植民地を持っていたために、元々の土地にあったものを無理やり持ってきたといった経緯もあるのかもしれませんが、、、

敷地内に入るとガラスの四角錐が
これは何かの形に似ている、、、?

 今回、モナ・リザ(芸術的評価の高いレオナルド・ダ・ヴィンチの作品)、サモトラケのニケ("Nike"の名前の由来となったギリシア神話に出てくる勝利の女神)、ミロのヴィーナスなども鑑賞しました。しかし、今回は個人的にとても魅力を感じた「皇帝ナポレオン1世と皇妃ジョセフィーヌの戴冠式」「ハンムラビ法典」について記録しておきます。

「モナ・リザ」を観るために5分ぐらい並びました
意外と小さくて驚きでした
ドラクロワ作「民衆を導く自由の女神」
19世紀のフランス七月革命の自由を象徴しています
昔のフランの紙幣にこの絵画が載っていたそうです
イランのアケメネス朝の王ダレイオス1世の宮殿にあったもの
名前はよくわかりませんがとても迫力がありました
ミロのヴィーナス
ナポレオン3世の居室
サモトラケのニケ
楔形文字が書かれた棺のようなもの
スフィンクス

ナポレオン1世とジョセフィーヌの戴冠式

 私が最も心躍った作品は、ルイ=ダヴィッド作「皇帝ナポレオン1世と皇妃ジョセフィーヌの戴冠式」でした。ルーブル美術館にある絵画はどれも大きなものが多く、作品全体がとても立体的に見えます。

ルイ・ダヴィッド作「皇帝ナポレオン1世と皇妃ジョセフィーヌの戴冠式」

 世界史の資料集には、皇帝となったナポレオンが、教皇よりも強大な力を持っていることを示しているとありました。本来ならナポレオンが宗教的権威の頂点であるローマ教皇のところに赴かなければならないはずが、パリのノートルダム大聖堂にわざわざ彼を招いてまで、自ら冠を授かるという戴冠式を行ったそうです。

 しかし、ナポレオン自ら冠をかぶるところを絵に表現することは構成に残す作品としてふさわしくないと判断され、妻のジョセフィーヌにナポレオンが冠を授ける構図になっているそうです。ただ、教皇に背を向けているのも、ナポレオンの権力の大きさを示しているのかもしれません。

ルイ・ダヴィッド作「ボナパルト将軍」(ナポレオン)

ちょっとマニアック?「ハンムラビ法典」

 バビロン第1王朝の王ハンムラビが遺した楔形文字の法典「ハンムラビ法典」を鑑賞しました。

ハンムラビ法典碑
ハンムラビ法典の説明
ハンムラビ法典に書かれている内容

 これが本物のハンムラビ法典!という感動がありました。「モナ・リザ」や「サモトラケのニケ」に比べると人は全然集まってはいなかったので、これはやはりマニアックな部類に入るのでしょうか、、、

 この法典は282条からなるそうで、「目には目を、歯には歯を」というフレーズが有名です。これは復讐法としての特徴を示していますが、相手が奴隷の場合にはその罰則は半分になるような規定があります。つまり、身分によって刑の重さが変わることがこの時代からあったことになります。

 その一方で、被害者の救済や製造物責任に関する規定もあり、近代憲法に大きな影響があったとも言えます。そういった過去の偉人が遺したものが今の法律につながっていると考えると、人間の歴史の尊さを感じさせられます。

 ハンムラビ王が遺した法典は、ただレアなだけではなく、身分差はあれども弱者や不正を見過ごさず国家統治による社会の安定を目指した意思が感じられました。

エッフェル塔

 ルーブル美術館を出た後は、エッフェル塔に向かいました。フランス革命100年を記念して建てられた塔なんだそうです。塔の下の方には多くの人の名前が書かれていました。調べてみると、それはエッフェルによって選ばれた科学者や数学者の名前なんだそうです。

広場の方から撮影
よく見ると塔の中にエレベーターがあります
セーヌ川から眺めるエッフェル塔

エトワール凱旋門

 ナポレオン率いるフランス軍がロシア・オーストリア連合軍に1805年に勝利した記念に建てられました。しかし、これが完成した頃はナポレオンは既に亡くなっていたそうです。

エトワール凱旋門(裏側)

 ふもとまでは行きませんでしたが、凱旋門に刻まれた彫刻やアーチの下の兵士たちの墓などもあり、じっくり味わうことのできる場所です。

コンコルド広場

シャンゼリゼ大通りから眺めるコンコルド広場のオベリスク
これはどう見てもエジプトの象形文字なのでは、、、?
あとで調べてみると、これはエジプトから運び込まれたものでした
運んでここに立てるまでのことが書かれているそうです
このオベリスクは、エジプトよりフランス国王のルイ・フィリップに贈られました

 このコンコルド広場では、ルイ16世やマリー・アントワネットをはじめ1000人以上がここで処刑された場所だそうです。フランス革命期のロペス・ピエールもここで処刑されたとありました。

 また、オベリスク(クレオパトラの針)はエジプト国王から贈られたもので、オベリスクの下部にはどのようにして運んだのかが示されていました。
なぜオベリスクの上にエジプトの象形文字が書かれているのかがやっと理解できました。

 ルーブル美術館にも古代エジプトの美術品がたくさんあったので、フランスとエジプトの関係が深いことが分かります。

少し残念だったニース旅行

 パリに滞在した後は、夜行列車でパリに次ぐ観光地ニースへ行く予定になっていました。パリからニースへは夜行列車で往復します。しかし、なんとそのどちらもがキャンセルとなってしまったのです。

 急遽その日はリヨン駅付近でホテルを取り、翌朝ニースへはTGVを使って移動しました。5時間近くかけてたどり着いたニースでしたが、帰りの夜行列車もキャンセルとなっていて、帰りのTGVはどの時刻のものも満席となっていたため、帰りの交通手段を確保するのに気持ちがいっぱいいっぱいでニースの場所を満喫することはできませんでした。

 また、最終日にパリから鈍行でオランダまで帰る予定だったのですが、ニースからパリまで時間をかけた後に、さらにパリからオランダまで帰るのは子どもにとっては負担になりかねません。あまり娘に負担をかけまいと、ニースに空港があることがわかったので、飛行機を使ってオランダまで帰ることにしました。

 結果的には、休みの期間中にオランダまで帰ってくることができましたが、夜行列車のキャンセルとその事前通達がなかったことで、無駄にホテルをとって宿泊しなければならなかったり、他の高速列車を押さえることができなかったりと何かとバタついた移動でした(フランスの国鉄SNCFのアプリやサイトなどにはキャンセルの表示はありましたが、、、旅行者としてはそこまで情報は拾えず、フランス現地の人からアドバイスをもらってやっと情報収集ができるようになりました)。

 子連れだと時間や距離の制限から行動範囲が限定されるため、全てをじっくりと回ることはできませんでしたが、また次回も訪れたいと思える場所でした。子どもにとっても良い思い出になっていたら良いなと思います。今度もまた何が起こるか分かりませんが、歴史の魅力に触れられるような旅をしたいです。

<参考URL>


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