日記の返事。

幼き日のことを、色々と思い出している。

日記を毎日書く子だったという話をしたが、

それは多分に、小学校時代の恩師に影響を受けている。

1・2年生の時の担任、T先生。

国語の先生だった。

とにかく感受性が豊かだった先生。

国語の授業の時は、ものすごく生き生きとしていたのを

よく覚えている。

そんな先生が、生徒に毎日、日課とさせていたのが

『日記を書いて提出する』ということだった。

まあ、言ってみたらなんて事のない、平凡な宿題だし、

最初のうちは、やらなければならないという義務感が先行して

渋々やっていた。

でも、このT先生は、僕がどんなにしょうもない内容の日記でも、

たった1行で済ませるような日記を出したとしても、

返事を、ノート目一杯にくれたのだった。

T先生は達筆で、子供にはなかなか読めない時もあったのだけどね。

その返事には、いつも愛が溢れていたのだった。

自分は、どちらかというと、他人に心をひらけないタイプの子だったので、

なんだか嬉しかった。

時には目一杯褒めてくれて、金ピカのシールを貼ってくれる時もあれば、

数ページにわたって、怒られるようなこともあった。

まるで、交換日記のように、先生とのやり取りはとても楽しかった。

そして時は過ぎ、高学年になって新しい、I先生になった時、

またいつものように意気揚々と日記を先生に出した。

そしたら、帰ってきた返事は、

自分が書いた日記の文字の、『とめ・はらい』が直してあって、

『正しく書きましょう』と、一言書いてあった。

なんだか、とっても寂しい喪失感。

今でもよく覚えている。

あの頃の日記は、ちゃんと今でも全部取ってあって、

見返してみると、まぁ確かに誤字脱字が、ひどいことひどいこと。

解読するのも困難なくらいで。

でも、T先生は、そんなことは一切触れなかった。

そのままの自分を、素直に受け止めてくれていたんだなと思った。

あったかーい懐に包まれて、守られていたんだなと思うと、

感謝しかない。

もちろん、しっかり間違いを指摘して、

まともな字をかけるようにしてくれた、I先生にも感謝ですが。

今振り返ると、本当に理解のある、

素晴らしい先生に恵まれて、

自分は育まれてきたんだなあと思ったのでした。

ありがとう。



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