ずいぶんと日が空いてしまいました、 吉野ユウヤの、note。 改めて、2022年も どうぞよろしくお願い致します。 この場所は、 いわゆるFacebook、Twitter、 InstagraなどのSNSのように、 インスタントに投稿できるものとは 違って、ゆったり読み物的に 読んで貰えたらなあと思っています。 特にコンセプトは、変わらずです。 自分の脳内をさらけ出すことは、 こそばゆいながらも、 面白かったりするので、 また少しずつ、はじめていこうかなと 思っています。
幼い頃の僕には、不思議な出来事がたくさんあった。 中でも非常に印象に残っているのは、 2度と見ることのできない、「幻の坂」である。 小学4年生の時、僕は転校をした。 吸い慣れない空気。はじましての人たち。 小心者な自分は、ますます縮こまっていた。 緊張していた。 そんな気持ちとは裏腹に、 新しい友達たちは、とてもフレンドリーだった。 当時はまだ背が低く、 少々小太りだった自分は、 色々劣等感を抱えたりしていたが、 そんな垣根を飛び越えて、 すぐに、仲
幼き日のことを、色々と思い出している。 日記を毎日書く子だったという話をしたが、 それは多分に、小学校時代の恩師に影響を受けている。 1・2年生の時の担任、T先生。 国語の先生だった。 とにかく感受性が豊かだった先生。 国語の授業の時は、ものすごく生き生きとしていたのを よく覚えている。 そんな先生が、生徒に毎日、日課とさせていたのが 『日記を書いて提出する』ということだった。 まあ、言ってみたらなんて事のない、平凡な宿題だし、 最初のうちは、やらなけれ
こんばんは。 初めましての方は、初めまして。 吉野ユウヤ、もとい、吉野祐也です。 音楽を生業としている関係で、 吉野ユウヤという名前を持ちました。名前はカタカナ。 カタカナの方が芸事が大成するよ、と姓名判断のある方に助言いただき。 大学を出てからすぐに改名し、のらりくらりと時が過ぎました。 思えば、そこからが、めまぐるしい人生の始まりのようだった気がする。 『音楽』という名の十字架(当時を思うとそんな感じ)を背負い、 日々奮闘していた。目の前のことに必死だっ