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虐待サバイバーの地図/ごはんの幸福度

「誰かと食べる食事は楽しい」と、はじめて知ったのは16歳のときだった。たしか彼氏の家でガーリックパスタつくってもらって、テーブルでふたりで食べたんだっけ。フォークを置いてごきげんでしゃべる彼に、恐る恐る「わたし食べるの遅いけどいい?」と聞いた。彼はなんでそんなこといちいち聞くの?といった顔をしながら「もちろん。好きなときに食べて、お腹いっぱいになったら残してもいいから」と笑った。

衝撃が走った。

わたしの家では、食べるのが遅かったり、おかずを指定された順序で食べなかったなどという理由で、母からビンタまたは腹蹴りの制裁を加えられることが日常茶飯事だったからだ。かれこれ弟が産まれた4歳ごろからの習慣である。早く食えとむりやり口に肉を押し込まれたりして、むっちゃ吐いたわ。おかげでわたしは、「手を使わず2秒で吐ける」というスタンドをゲットしていた。人間ポンプだってきっと練習すればできる。

まぁ、食べ物をムダにする罪悪感は常にあった。おじいちゃんが東北の人だったから「ごはんを粗末にするとお百姓さんが泣くよ」が口癖だったし。幼心に自分は地獄行き決定だとずっと思ってた。

そこへきて彼は怒ったりぶったりしない。なんだろ、平和しかない。

それまでマクドナルドやファミレスでごはんを食べたことはあったけど、「家での食事」は「暴力」とバリユーセットという環境で育ってきた身としては、どんな大人に対しても「外で取り繕っても、家の中ではどうせヤッてんでしょ?」…という諦めがあった。だからこの彼メシ事件は、わたしの中で記念碑的出来事と言っても過言ではない。

身の危険を感じず、安心してごはんが食べられる! 誰かとおいしさを分かち合え、幸せな気持ちになる! うっひょーい!! それを享受できる権利が、自分にもあるのかもしれないと思わせてくれたのだから。この日以降、わたしの「ごはんの幸福度」は格段に上がった。いつか過去のことを話せるようになったら、当時の彼にもお礼を言いたい。

そして大人になって思う。なんで母は、あんなに激昂していたのかなぁって。

ワンオペ家事とか、はじめての子どもだったとか、理由はいろいろあったのかもしれない。でも、特に食事のときがひどかったのだ。夜中に山盛りのカレーライス、ごはんを減らしてくれと頼むとヒステリーを起こす、そのくせ食べきれないと手が出る。ポニーテールをつかまれて、台所の床をダスキンのモップのように引きずり回される。自分で吐いてしまった汚物をきれいにするためだ。

「せっかく作ったのに!!」

と母は繰り返した。

少し前に『発達』という教育者や研究者向けの雑誌を読んだ。去年発行のVol.40が虐待対応の特集で、児童ホームの臨床心理士・内海新祐さんという方がこんなことを書いていた。

人間にとって「食事」は、たんなる栄養摂取の時間ではありません。心身の緊張を緩め、共に暮らすメンバーの一員として受け容れられていることを感じ、また、メンバーが共有する規範や文化を受け容れる時間でもあります。

母は、わたしが食事をうまく食べないことで「受け容れられていない」「拒否された」と感じたんじゃないだろうか。

知り合いの動物行動学者さんから聞いた話では、ヒバリは自分のあげた餌を食べないヒナを咥えて、上空から叩き落すんだそうな。そう、殺しちゃうんだって。「生き残れない可能性のあるヒナが死んだとき、死臭で捕食者が来るのを防ぐため」という見方もあるそうだけど、「拒否された」感情がもしかして本能と絡んでいたりしないかな…なんて興味を持っている。

わたしは虐待をうけた、いわゆる「中の人」である。だけどいまだに「虐待という現象は、いったい何だったのか?」ということが説明できないでいる。人間関係、脳科学、動物としての本能、歴史、文化、経済……いろんな要素が溶け合っているからだ。各分野には研究者がいて本もたくさん出ているけれど、それらは横断してしない。

わたしは今、虐待という大きな地図のどこにいるんだろう? さまざまなレイヤーの地図を重ねたときに、浮き上がってくるものは何か?

まずは自分のため、その上で幸運に恵まれれば誰かのために、わたしはわたしのやり方で地図を完成させてみたい。

カラス雑誌「CROW'S」の制作費や、虐待サバイバーさんに取材しにいくための交通費として、ありがたく使わせていただきます!!