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【短編小説】妹を推す

 僕は妹に嫌われている。

 妹が生まれてからこれまで十五年と八ヶ月二十三日の間、意地悪や嫌がらせの類は一切したことがないし、理不尽に怒ったこともない。どうしても叱らないといけない状況は幾度があったけれど、言葉選びには最大限気を使ったし口調にも配慮をした。アフターケアだって怠っていない。

 両親が共働きだったから、幼いころは僕が親の代わりに面倒を見ていた。妹が幼稚園児だったときは送り迎えをしていたし、小学校に上がってからは宿題や予習復習の手伝いもした。

最初の頃は付き合いが悪いなんて言う人もいたけど、そういう有象無象は勝手に離れていった。理解ある友人さえ残るなら問題はない。

 妹のために僕のすべてを捧げた。時間も労力もなにもかも。

 進学も妹のためにとバイトが可能な場所を選んだ。成績の維持が条件だったけど、妹を想うなら苦ではなかった。妹との時間を大切にしながらバイトで稼いだお金を妹のお小遣いかプレゼントに使った。

 妹が歩んだ自がんのすべてを祝い、妹の一挙手一投足を愛おしく思った。

 けど、二年前のある日、妹に言われてしまった――「お兄ちゃんなんか大っ嫌い!」と。

 最初はただの反抗期、いや思春期だと思っていた。そういうお年頃になってくると特に異性のきょうだいを鬱陶しく思うようになるとネット記事にあったし。

 けど、次第に僕に対する言動が刺々しくなっていって、しまいには挨拶もなにもなくなってしまった。

言葉はなくともオーラだけで僕と一緒にいることすら耐えられないんだと理解した。だから僕は去年、大学進学と同時に家を出た。とはいえもしもの際にすぐ行けるよう自転車で十分の距離にあるアパートを選んだ。

 それから何度か帰省はしているけど、妹とは一度も会っていない。

 妹が生活の中心だった僕は、去年一年間ただやるべきことをこなすゾンビのように生きてきた。けれど、今は違う。今の僕には『推し』がいるのだから。

「こーんばーんはー、ヒナだよー。今日は久しぶりにカラオケで歌いまくろうと思いまーす」

 毎度お馴染みの気の抜けた挨拶から始まり、すぐに曲が流れてきた。挨拶や雑談のときの緩い声音ではなく、曲の雰囲気に合わせた調子で彼女は歌い始める。

 ところどころ音程がズレているけれどそれも愛嬌。時々指示厨や指摘厨が湧くけど、今日のチャット欄は平和だ。

 それにしても、やはりいい声だ。この声で歌われたら、ロックだろうがヒップホップだろうがアニソンでもなんでも僕の心を鎮める鎮魂歌になる。

 昨夜のバイトの疲れをすべて忘れるころには一曲目が終わっていた。

 採点機能を入れていたらしく、ヒナは「八十二点かー」と少し悔しそうな声を上げた。その声も愛らしい。

 彼女のすべてに癒されながら、次の曲が始まらないうちに僕はスパチャ(投げ銭)を送る。

「うお、『もやしマスター』さんいつもスパチャありがとお。毎回無言だけど、コメントとか曲の要望あったら書いていいからねー」

 少し遅れて投げたスパチャにリアクションが返ってくる。何度も送っているから当たり前と言えば当たり前なのだけど、認知されるのはいいものだ。

 ただ、コメントは書かない。ただのスタンスだけど、僕はあくまで感謝の意でお金を送っているにすぎないのだ。自分のコメントを確実に読んでもらいたいとか、要望をきいてほしいなんて思いは一切ない。

 それからヒナは宣言通り、四時間で四十曲以上歌い配信は終了した。曲を歌い終わるごとにスパチャはしたが、喉の調子が心配だったのでのど飴代としてプラスもう一回スパチャした。

「『もやしマスター』さんありがとお。てか、のど飴代で五万ってやば。どんな高級のど飴想定してんの?」

 最後にツッコミというファンサがもらえて超大満足の配信だった。

 しばらく余韻に浸ってから、僕は台所に移動して夕食の支度を始める。使う食材はもちろんもやしだ。

「今日もいい配信だったな、七菜香、、、

 配信者ヒナ、本名平井ひらい七菜香ななかは僕の妹だ。身バレを防ぐためだろうか声を作っているから、七菜香だとわかるのは僕だけだろう。

 知ったのは偶然だった。友人が暇つぶしに教えてくれた配信アプリで適当にはしごをしていたときに七菜香――ヒナを見つけた。

 七菜香には嫌われてしまいなにもしてあげられないけど、これならスパチャでお小遣いをあげることもできるし、声を聞くことができる。配信アプリを教えてくれた友人には感謝しかない。

 それにしても、ネーミングが安直だなあ。平井七菜香の頭文字を取ってヒナ。まあ七菜香のために貯金節約してもやし生活しているから『もやしマスター』の僕が言えたことじゃないかもしれないけど。

「さて、夕飯食べたら七菜香のためにバイト頑張るぞー!」

 兄妹としてはできないけど、『リスナー』なら『推し』を応援することができる。『推し』、素晴らしい文化だ。


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