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レポートは 出すも出さぬも 快原理

季語、レポート。

今日、だいぶ重めのレポートを書き上げました。4000字。パワポまでつくっちゃいました。20枚。

参考文献まで全部書いて立ち上がったら、身体が軽くて軽くてフワッフワでした。その後に一気飲みした麦茶が無駄に美味しかった。窓の外見ていい天気だなぁって思いかけたけど、めっちゃ曇ってました。
何が言いたいかというと、めちゃくちゃ気持ち良かったです。幸せ。私は単位のためでも教授のためでもなく、この瞬間のためにレポートを書いてたんだと思う。4000字書くだけでこんなに舞い上がれるなんて、我ながらおめでたすぎて悲しいけど。

フロイトも言っていました。人間、不快なものは避けて気持ちいい方に流れるものだって。人間は命を脅かすものに不快感を、命を守るものに快感を感じるようにできているから。こういうのを快原理っていうらしい。
結局、「やらなきゃいけないから」なんて大義名分をひっさげてやってることも全部、快原理に則ってるだけなんじゃないか。ためになるからとか義務だからとかじゃなくて、片付けると気持ちいいからやってる。課題をやらなくても、やるべきとされることをしない罪悪感、そこからくる優越感が気持ちいい。この状況で4000字も課してくるサディスティックな先生もきっとそうだ。読まなきゃいけないってプレッシャーの先の解放感、気持ち良さを感じたいから出してるんじゃないのか。

もともと脱ぐためだけにパンツを履く生き物なんだから、大学のレポートだってそんなものだろう。その後の快感のために、たっぷりの難題を自分や相手に課す。課題をやるのはパンツを履く快感、課題をやらないのはノーパンの快感。つくづく、人間って変態だ。(パンツのありなしについての議論はこちら)

さて、私は千字単位のレポートがあと4本残っているので、今日はここまで。あと4回エクスタシィを感じられるわ。ふふ。

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