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労働はクソだから正気でいたい

労働がクソすぎて海が見たくなった。
この間は労働がクソすぎて夕方の綺麗な空が見たくなった。
どんなに労働がクソでも草花は輝いている。


日曜日の夜になった。
サザエさんを毎週見てるわけではないのでサザエさん症候群にはなってないんだけど、日曜日というのは、起きた瞬間から既に労働の臭いがしてる気がする。
そこをうまく切り替えていきたいんだけど、休みや!て気持ちの片隅に労働がいる。まぁもうそこはあんま考えないようにしておく。そしてその気持ちは否定しない。やだね〜と受け止めておく。

労働に対するヘイトを、これでもかと口汚くかましてインターネットに放流しようと思ったのだけど、書こうとするとちょっとためらう。ひとまずここはシンプルに、労働はクソ!と言っておきます。労働はクソです。

先日職場の人に、休日何してんの?て聞かれたけど、え〜何もしてねーなーと思ったので、そのまま出力した。
あ〜わかるわ〜と返答があり、ハハハと笑い合ったんだけど、そういえばあたし畑やってたわ。
畑は生きるためにやってるから、休日の娯楽として含めてなかった。育つ作物に癒やしはもらってるけど。
それに「畑仕事」って言うしね。ニートの頃はそれが労働だったかも。あたしとしては面倒だけど楽しくて好きな仕事だよ。

だから、その畑仕事がメインでできないのはちょっと苦しさを感じる。週末農業的なのは自分にはあんまり向いていない。
これは愚痴というか、やっぱりそうだよね〜と再確認したことなので、これはこれでいい。

1日のほとんどを労働に使う嫌さは当然あるとして、今は職場で少し、う〜ん、いやかなり?困っていることがある。
職場の人達の愚痴と、特定の職員に対する叱責がすごいのが気になるんだよね。

喋ることでストレス発散してるんだろうから、耳に入ってきちゃって疲れを感じてもそれはある程度仕方ない。
疲れるんで愚痴んのやめてください、とか言う事じゃないのなんてわかってるからそんなん言わんけど、それでもやっぱ、あの人暗いよねとか、あいついらんくない?とか聞こえくるのは苦しい。

たまに、そこにいない人の容姿にまでも言及してるから、仕事に関係ないじゃん……て気持ちが湧き上がってちょっと気が散っちゃう。
あたしもまだまだ修行が足らんね。

あと叱責。もう叱責というか、その人に「怒る」ことがルーティンになってるんじゃないかと思うほどである。なんというか、すごい。
派遣でいろんなとこ行ったけど、恐らく初めて出合うタイプの嫌さだ。
多分、こういうことって普通にあるんだろうけど、今まで奇跡的に回避できてたんかもしれん。

これって、誰にもメリットないよね。
本人がどういう経緯でそこまで言われるようになってしまったのか、聞くに聞けないしもう察するしかないんだけど、これもまたいない時に人格否定するようなことも普通に愚痴っているから、耳に入ってきて頭がぼーっとしてくる。
何が楽しいん……と日々悶々としている。
(そういえば、以前読んだ『沈黙入門』に愚痴について書いてあったな。内容をハッキリとは覚えていないのだけど、愚痴はいいもんじゃないよな、と改めて思った箇所なので、また読もう。)

みんな仕事を全うしてうまく回っているはずなのに、全体的に、小さなようで大きな歪みがあるように感じてしまう。そんなのあたしがどうこう考えることじゃないんだけど。

1日を労働で潰すのに加え、実害は無いもののいらぬストレスが加わり、いのちを対価に賃金をもらいに行ってる感じだ。

家で心豊かに過ごし、友人たちから綺麗な言葉を受け取って満ち足りたニート生活をしていたため、こういう世界があることをすっかり忘れていた。
うおーこれが社会ですか、と仰け反っている。

完全に壁にブチ当たったと感じている。
こういう場所に居続ける必要は全くないし、あたしはそもそも短期なので長居はしない予定だ。
でもだからこそ、ここで正気を保ったまま受け流す力を養ってから出て行こうと思ってる。

キーパンチャーを上回る疲れを背負って帰るのはなんというか悔しい。
周りがただの雑音に聞こえるくらいに自分の意識を持っていけたらいいんだけどなぁ。
とにかく小さいところからやるしかない。

労働はクソだ。

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