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書評|『浅草迄』北野武(河出書房新社)

俺の一番古い記憶といえば、母親におんぶされてネンネコ半纏から顔を覗かせ、洟を垂らしたほっぺたを近所のおばさんに撫ぜられ、「たけちゃんは誰の子?」と訊かれると、必ず「アメリカ人の!」と答えていたことだ。

河出書房新社の季刊文芸誌『文藝』2019年冬季号で発表され、文芸誌デビュー作となった「足立区島根町」で描かれているのは、幼少時から高校を卒業するまで。表題作「浅草迄」も『文藝』2020年夏季号が初出。「只ダラダラと顔を出しただけの高校生活」を過ごしたのちに大学に進学するも「夏休みが終わった頃には、俺はもう、新宿より先には行かなくなっていた」という何者でもない時代の出来事が綴られている。北野武がビートたけしになる前の記憶の糸をたぐりよせて紡いだ私小説だ。

読んでいて、問わず語りを聞いているような錯覚に陥った。たとえば「足立区島根町」では、進学についてふれることにためらう様子がうかがえる。「そうだ、大学受験の話だ」と書き始めて、別の思い出話になる。再び「あ、そうだ、大学受験の話だ」と仕切り直す。

ただ「あの頃」が出てくる、というのが正解だろう。っていうか今は受験勉強中の俺の話をしようとしてて、今の俺は昔の俺の頭の中を追いかけて書いている……はずだ。

明治のほかに願書を出した早稲田、慶応、日大の受験料を誤魔化してVANの服を買い、銀座のみゆき通りで着てみようと出かけたものの、電車のなかでなくしてしまった。「お前、何処行ってたんだ」と訊かれ、正直に言うのが怖くて「足立区図書館に本読みに」と答える。すると「母ちゃんは鷲神社に願掛けてあるから、いま拝んできた」と。

この母に嘘ばっかりついて、俺は碌なものにならないと思う。

「浅草迄」では、アパートの家賃を滞納することを見越した母親が、知らないうちに大家さんに菓子折りを持って挨拶をしていた。大学でも四年生までの授業料が納められていた。話のいたるところに母親の存在が見え隠れする。「こんな昔の回想にふけっていると母ちゃんの声がする」と思慕を募らせている部分も。なかでも、この一文は深く心に刺さった。

彼女の思い出だけは意味のない記憶なんかじゃない。

自分の半生を振り返ってみても、母親のことを思うと胸が一杯になる。注いでくれた愛情に感謝しかない。結局、主人公は“浅草迄”はたどり着かない。新宿のジャズ喫茶で出会い、一緒に過ごした仲間が次第に去っていくなかでも「俺だけ今更なにをしていいか分からず、只、ポカンとアパートで寝ていた」のだ。

浅草での修行時代は、書き下ろしの「随想――浅草商店街」で思い出し、紹介される。店も人も桁違い。最後はポール牧師匠の伝説で笑わせる。読み終えて、もう1頁めくると……。

※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

ずっこける。余計な摩擦を生じさせないために入れておくべき一文だとはわかってはいるものの、つっこみたくなってしまった。

気になるのは、やはり続編。「足立区島根町」「浅草迄」のあとが、どう描かれるのか。期待する人はたくさんいるはずだ。北野武の私小説3作目の発表を楽しみに待ちたい。

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