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「心理学」と「臨床心理学」の違いとは


大学で心理学を学びたい理由

今、大学で心理学を学びたいという人の多くが、公認心理士の資格を目指すことと思う。

心理学を学びたいという理由にはさまざま考えられるけれども、その動機には、心理的な危機を迎えている人を支援したいというものが多いのではないか。将来的に医療や福祉などの現場で、心理的な支援を行いたいという志望もあるだろう。

このように、心理支援の現場で用いられる技術に関わるような分野を、「臨床心理学」と呼ぶことがある。だから、大学で心理学を学びたいという人の多くがイメージする大学での学問とは、「臨床心理学」であるといえる。

しかし実は、この「臨床心理学」は「心理学」とは違うようなのである。

「心理学」とは何か

大学で「心理学」という場合には、これは科学としての「心理学」を指す。アカデミックな文脈における「心理学」と言い換えてもいい。大学で研究されるのに適した科学としての学問が、「心理学」である。

「臨床心理学」は科学ではない

しかし、「臨床心理学」は科学とはみなされない場合がある。なぜなら、「臨床心理学」が科学の条件を備えておらず、アカデミックな文脈、すなわち、大学での研究としては適切ではないという見方があるのだ。

『シリーズ医療の行動科学Ⅰ 医療行動科学のためのミニマム・サイコロジー』(2021、北大路書房、pp.4-5)には、科学としての心理学に求められるものとして、⑴再現性、⑵数量化、⑶再現性、⑷予測性、⑸制御可能性をあげている。

つまり、心理学が大学で研究されるにふさわしい、アカデミックな学問である場合、これらの条件に適う研究がなされる必要があるというのだ。これらの条件に合致しなければ、それは科学的な研究とはいえないという。

例えば、臨床心理学の分野で最も有名な概念の一つに「無意識」があるが、これは観察することも、数量化することも、そのデータを再現することも、結末を予測することも、それを制御することも、非常に困難であることは直観的にわかるだろう。

「無意識」を科学の研究の土俵に上げることは不可能ではないかもしれないが、それは非常に困難である。臨床心理学は、このように、科学としての研究が難しいものを対象とすることが少なくない

そのような理解もあって、「臨床心理学」は科学とは認められず、同時にアカデミックな文脈、大学で研究され、教育されるものとしては適切ではないという言論は少なくないと思う。(もちろん、「臨床心理学」に科学的な論文がないというわけではない。)

一方で、例えば心理学の概論書などで、「無意識」を扱わないこともまた、まれだろう。紙幅は少なくとも、フロイトやユングの名とともに扱われることが多いだろう。なぜなら、一般的には「心理学」の中にフロイトやユングといった、「臨床心理学」の領域も含むからだ。

しかし、科学としての「心理学」を尊重する立場の人間からすると、極力触れたくないし、なるべくなら概論書にも入れたくないという人もいるのだと思う。

「心理学」は臨床の現場で役立つのか

ところが、「臨床心理学」という分野は、臨床、すなわち支援の現場では欠かせない学問分野でもある。カウンセリングや心理療法の技術はもちろん、背景となる理論も学ばなければ、支援に役立てられない。

科学としての「心理学」は、臨床、支援の現場に直接活かすことは難しいことが多いように思う。クライアントや支援を必要としている人の複雑で総合的な、それでいて個性的な状況に対応するには、少なくとも科学としての「心理学」だけではカバーできない部分が生じる。

例えば、「心理学」の分野の一つに「教育心理学」があるが、その研究成果が教育臨床の現場でそのまま用いられることはあまりない。限られたデータから導き出された科学的な理論は、多様な児童生徒の実態や教育環境がある中では、直接当てはめることはなかなか難しい。また、教育臨床の現場において、必要な理論が全て明らかになっているわけではない。それでも、理論的背景が不十分でも、教育活動を行わなければならない場面がある。また、仮に理論を教育臨床の現場で活かすとしても、他の理論と組み合わせたり、補正をかけたりする必要がある。

アカデミックで科学的な「心理学」は、エビデンスに基づいた重要な理論を提示している。それを背景としながらも、それだけでは臨床では不十分なので、臨床の場を少しでも適切に乗り切るための技術と、背景となる理論が必要になるのである。それらは、必ずしも科学的に扱えるものではない。しかし、臨床では必要になるものだ。むしろ、複雑で総合的、個性的な臨床の現場では、そういった臨床の場だからこそ重要な技術や理論がものすごく多くある。

そのような、心理支援の臨床現場で必要な技術とその背景となる理論を扱う学問が、「臨床心理学」なのである。

大学で「臨床心理学」を学べるのか

しかしながら、この「臨床心理学」は大学と相性がよくないようである。大学とは科学を研究する場所であり、心理学部は科学としての「心理学」を扱う場所であるという堅い信念を持っている研究者が少なくないからなのだろうか。その信念が適切であるかはともかく、そのような考えに至るのもわからないでもない。

そもそも大学の心理学部は、心理支援の専門家の養成所とイコールではない。科学としての「心理学」を研究する場としての役割も大きいはずだ。「心理学」は、他の経済学や社会学といった社会科学の近接領域にも恩恵が大きく、それ自体が科学的な手法で研究される意義を持つ。

一方で、心理学部を志望する動機を考えると、科学としての「心理学」を学び研究したいという人もいるだろうが、少数派なのではないか。公認心理士という国家資格もできた今、より臨床の現場で働くための技術と理論を学びたいというニーズの方が大きいのではないか。

ここで、臨床で用いる技術と理論を学ぶ「臨床心理学」を必要とする学生と、科学としての「心理学」が中心となる大学との間で、ミスマッチが生じるのである。

ここではやや極端に両者を対立させたが、実態としては大学によって様々なようである。「臨床心理学」に力を入れている大学もあるようだし、両者をコースで分けている大学もある。ただ、少なくともミスマッチが生まれている大学もまた存在するだろう。

「心理学」と「臨床心理学」

論点をまとめると、

  1.  心理学には大きく、科学としてのアカデミックな研究を行う「心理学」と、臨床で用いる技術と理論を学ぶ「臨床心理学」とがある。

  2.  大学や研究者の中には、「心理学」以外は心理学として認めないという強い姿勢を持つ場合がある。

  3.  学生は「臨床心理学」を求めているが、大学や研究者は「心理学」に専門性を持つ場合がある。

ということである。

これらの状況から起こりうるミスマッチをなくすには、いくつか方法が考えられる。例えば、次のような方法である。

  1.  大学や研究者は、「心理学」という言葉自体は必ずしも科学としてのアカデミックな研究を行う「心理学」だけを指すのではなく、「臨床心理学」も含むものとして認識すること。その上で、その大学や研究者が専門とする領域が科学としてのアカデミックな「心理学」であることを明示する。

  2.  学生のニーズに合わせて、「心理学」でも「臨床心理学」でも学べるようにする。

この二つの領域を明確に区別し、それを学生に明示することはとても大事だと思う。それぞれ、研究の立場も、目的も、全く異なるからだ。両者が理学部と工学部くらい違うことを認識して、心理学部を考える必要がある。

両者の関係は、学会の関係にも表される。

科学としてのアカデミックな「心理学」を扱っているのが「日本心理学会」であり、「認定心理士」の資格を認定している。

臨床で用いる技術と理論を学ぶ「臨床心理学」を扱っているのが「心理臨床学会」であり、「臨床心理士」の資格に深く関わっている。

まとめると、次のようになる。

心理学:科学的にアカデミックな場で研究:日本心理学会:認定心理士
臨床心理学:臨床で用いる技術と理論を学ぶ:心理臨床学会:臨床心理士

まずはこの違いを学生が理解すること、できるなら大学選びや進路選びの段階で知っておくことが、とても大事だと思う。

そして、大学や研究者はこれらを学ぶためにどのようなカリキュラムを用意しているのかを明示することが必要である。「心理学」をどのくらい学べるのか、「臨床心理学」をどのくらい学べるのか、どのような学び方が用意されているのか。それを明確に示すことで、ミスマッチは防げる。

また、研究者としての考えや、学会の対立などもあるのかもしれないが、少なくとも、初学者や学生に対して、そのいずれかをさげすむような発言は避けるべきだと思う。同じ「心理学部」という小さな船に乗った仲間である。時には立場を明確にして批判することも必要な場面もあると思うが、少なくとも「心理学」「臨床心理学」という非常にあいまいで、かつ多義的で、それでいて一般的に用いられている用語を用いて、その全体を批判するという行いは、偏狭に見えてしまう。その発言が、結果的にその両方をおとしめていることに気づいていただきたい。そのような物言いの書籍が出版されていることは、非常に残念に思う。各学問分野への、最低限の敬意を持った表現をお願いしたい。

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