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3匹の鬼退治と、正直じいさんでいたい男の物語【鬼退治】

たしか、「こぶとりじいさん」の物語は、いじわるじいさんの左右のほっぺたに「こぶ」がくっついて、ちゃんちゃん。だった気がするけど・・・

はじまりは、11月半ばだった。朝、歯のすき間に何かがはさまって取れないような違和感を感じた。指を突っ込んで口を開いても見当たらないし、何度歯をみがいてもすっきりしない。あきらめて仕事にでかけた。違和感が痛みに変わったのは、夕方だった。顔の奥でズンズンと響いて、脂汗が止まらなくなった。
家から歩いて5分の歯医者に電話をすると、応急処置はできるという返事をもらえた。救いの声に導かれ、判明したのは、痛みの正体が「親知らず」だということ。そして、「やっかいな生え方をしているから、大きな病院で抜いてもらう方がいいでしょう。紹介状を書きます。」と続いた。
レントゲンで見つかった親知らずは3本。今回うずいた左下は横向きに、ひっそりと存在する右下は斜め下向きに、左上はごく普通に生えている。少しでも早く決着をつけたくて、紹介状をにぎりしめて大学病院に向かった。

行けばすぐ終わると思っていた。いきなりその日は無理でも、「じゃあ、来週、いつにしましょうか」くらいだと思っていた。でも、言葉を選ぶように話す先生の雰囲気が、そうじゃないよと語りかけていた。
痛み出した左上は、優先的に抜いた方がいい。左上も、きれいに出てきているから難しくない。問題は、右下。レントゲン写真の姿は、素人の僕でも間違いようがない姿で、歯ぐきの中で斜め下を向いている。先生の指先がなぞる細くて白い線が神経。歯が触れるか触れないかの距離にある。これを抜くには、歯ぐきを切開して取り出すしかないらしい。神経を傷つけないように、慎重に。
局部麻酔でもできないことはないけど、より安全に進めることを考えたら、全身麻酔がよさそう。全身麻酔だと、3本あるのを1本ずつ3回に分けることなく、一度の手術で完了する。「そうするしか、ありません」と、先生からは言えないんだと感じた。決定するのは、僕。何度も繰り返すのはいやだったし、少しでも早く終わらせたくて、全身麻酔で一度に3本抜いてもらうようお願いした。

そこからも、長かった。普段かよっている病院が2院あり、それぞれの先生に、全身麻酔の手術が問題ないか、気を付けることはないかと確認を取る必要があるとのこと。その結果をもって麻酔科の先生の判断をあおぎ、問題がなかったら手術となる。
2週間後、すべての先生から問題なしの判断が集まって、手術できることになった。前日から入院で、術後の問題がなければ翌日に退院だ。抜歯と、全身麻酔。それぞれに危険性と考えられる合併症があり、不安な気持ちも生まれたが、ようやく決戦の日が決まることの方が嬉しかった。
しかし、年内には終わることを夢見ていた僕の前に、またひとつ山が立ちふさがった。年末年始は埋まっていて、一番早いのが1月後半。その日は、息子の誕生日。次の候補日は、2月のはじめ。2月3日から5日まで、二泊三日の入院日程を選んだ。

コロナも、インフルエンザも、ただの風邪も。もし体調を崩したら、入院が先送りになるかもしれない。毎日、ドキドキと不安がつきまとう。あと何日と数えるのが、楽しい予定だったらどんなによかったことか。ただ、2月2日に家族で食べた恵方巻には、希望を感じた。節分が、いつものように2月3日だったら、病院でその時を迎える。わざわざ、124年もかけて、今年の節分をずらしてくれたんだ。そう考えると、手術はうまくいく気がする。

そして迎えた2月3日、晴れ。2週間前から記録してきた検温表に、36.4度を書き込む。すべて異常なしが並んだ。着替え、小説、イヤホン、ゲーム、充電器。考えごとをするための資料も忘れないように。忘れ物がないか何度も確認して、キャリーバッグのファスナーを上げた。
病院に着いたのは、11時。手術も、入院も、人生初体験。病室に案内されて、「では」と出ていこうとする看護師さんを呼び止めて、なにをすればいいかと聞いた。「あとでまた説明に来るので、ゆっくりしていていいですよ」と笑顔で教えてもらっても、ソワソワが止まらない。コロナ対策で、家族も面会禁止。落ち着かなくて本を読む気にもなれず、SNSに救いを求めた。

入院初日は、まずPCR検査。インフルエンザの検査みたいに、長い綿棒で鼻をグリグリされた。そして、昼食。フライドチキンとかぶのスープ煮は、味がしっかりしている。思っていたよりおいしい。担当の看護師さんがやさしそうとか、PCR検査は痛くなかったとか、SNSでやりとりするうちに、気持ちは落ち着いていた。みんなの反応に元気をもらいながら、持ち込んだ資料整理に取り掛かってみる。静かな病室で、どんどん進むのが気持ちいい。読みかけの小説にも手が伸びて、初日はおだやかだった。

手術は、2日目の午後だった。初日のふわついた感覚はなくなり、SNS、小説、ゲームを楽しみながら過ごしているうちに、その時間がやってきた。手術着に着替えて、看護師さんのあとをついていく。静かな廊下に、ふたつの足音が響いた。手術部の自動ドアはゆっくりと開き、左手に受付がある。名前を告げ、手首に巻いたバンドのバーコードを読み取る。「2号室ですね」と告げられた。
たくさんの機械がならび、コードがつながり、ランプがチカチカと点滅している手術室。ピコン、ピコンと、途切れない音が響いていた。全身でその空間を感じると、ドラマの登場人物になったような気がする。ベッドに座り、頭の位置を調整しながら横になる。胸に伸びてきた吸盤は、すこしひんやりして体が反応した。点滴の針は、左手の甲に。「点滴で麻酔入れますねー。左手、ちょっとじんじんしまーす」と、確かに聞いた。
次の瞬間には、「吉村さん、吉村さん。分かりますか。吉村さん、終わりましたよ。」と呼びかけられていた。ぼうっとする意識。うっすらと開けた目の先には、何人かの人が動いている。手術は終わっていた。点滴と酸素マスクとつけたまま、病室に移動した。

手術は14時過ぎに始まり、少し動けるようになったのは18時半過ぎ。起きてるのか、寝てるのか、呼吸だけを意識していても時間はすすむ。荒かったものがだんだん落ち着いて、酸素マスクが外せるようになったら、夕食が運ばれてきた。おかゆ、刻んだおかずは魚の照り焼きとジャーマンポテト、デザートに刻んだりんご。上下にかすかに開く口に少しずつ運んで、ゆっくり噛む。動かせる前歯と舌を使って、もぐもぐと。包丁でみじん切りを限りなく細かくするような作業は、時間がかかる。でも、ゆっくり味わうのは、悪くない。食べることは幸せだと、しみこんできた。

食事から目をあげると、抜かれたばかりの歯が、透明のケースに入れて置かれている。看護師さんが、無事に抜けましたよと持ってきてくれたものだ。神経に触れて傷つけることはなく、手術は成功した。左上の歯は原形をとどめているが、左右の下の歯はバラバラに砕けている。砕きながら、少しずつ取り除く手法になると説明を受けていた歯だ。壮絶な戦いだったことを物語っているようだ。

こうして、3匹の鬼を退治するように、3本の親知らずは抜けた。
「親知らずを抜いたら、腫れますよ。」と何人もの人に言われた通り、左右のほっぺたがふくらんでいる。
「こぶとりじいさん」は、鬼退治の話ではなかったはず。だから、僕はいじわるじいさんじゃないんです。そう言って歩かなくていいように、正直に生きよう。

毎週テーマを決めて共同運営を続ける日刊マガジン『書くンジャーズ』。
今週のテーマは、【 鬼退治 】でした。

親知らずの物語が長くなって、最後まで読んでもらえるか心配になっているのは、土曜日担当の吉村伊織(よしむらいおり)です。

今週も最後まで読んでいただけたなら、とてもうれしいです。いつもありがとうございます。

メンバーみんなのnoteも、忘れずにチェックしてくださいね。

それではまた、お会いしましょう。


※illust by:はりうーさん/ イラストAC

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