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2時のボタンで味わうくつろぎ【#私のコーヒー時間】

「お母さんは、2時のボタンっと。」
悠太が、時計回りに配置されたバリスタの右上のボタンを押してくれる。ブイ-ンと重低音が響き、白いマグカップにコーヒーが注がれる。心が落ち着く香りが漂ってきて、私の適量で音が止まった。ポタリ、ポタリと水滴が2回落ちたところまで見届けて、悠太が私の前に運んでくる。白いマグカップは、去年の誕生日に選んでくれたもので、かわいいクマのイラストが描かれている。

「はい、どうぞ。」
「ありがと。わぁ、今日もおいしそう。」
「ねえ。お母さんは、どうしてコーヒー好きなん?おいしいと?」
「えー、そうね。もちろんおいしいけど、においかなぁ。なんかね、ほっとするとよ。いい香りって言うんだよ。」
「ふーん。そうなんやね。たしかに、いいにおい。」
「悠太がいれてくれるコーヒーが、一番いいにおいで、いちばんおいしい。」
「やった。あしたも僕がする。」
「うん、よろしく。」
悠太が寄り添ってきて、狭い椅子に無理やりお尻を割り込ませようとしたから、抱き上げてひざに乗せた。ずしりと重い。もう3年生か。

保育園の卒園がもうすぐだというタイミングで、いきなり登場した新型コロナウイルスによって、世の中が一気に変わったのは2年前。卒園式は何とか予定通りに開催されたけど、式のあとのお食事会は中止。小学校の入学式は緊急事態宣言で延期された。
5月後半の入学式という誰も経験したことのない新生活のスタートは、私たち大人だけでなく、子どもたちの心にも大きな不安をもたらしたようで、しばらくすると学校に行きたくないと言い出すようになった。どうしても行けない時には仕事を休み、校門前で泣いて動かない時にはしばらく付き添って午前半休にしてもらい、無事に行けた日も教室で泣いてるんじゃないかと気になる日々。子どもさんのそばにいてあげてください、と言ってくれる職場に救われた。周りに聞いてみると、うちだけじゃなく、学校の先生も今年はそんな子が多いですよと言っていた。
旦那も何日も休んでくれて、職場では「社内の有休消化率ナンバーワン」と冗談なのか本気なのか分からない称号をもらったらしい。後輩たちが俺のおかげで休みやすくなって助かると言うんだよと、笑っていた。

悠太がコーヒーをいれてくれるようになったのは、その頃だった。食後の片付けを終わらせてコーヒーを飲むのがいつものルーチンになっていて、機械的に作業をこなそうとしたところに割り込んできた。
「僕が押したい。どれにしたらいいと?」
「えー、熱いから危ないよ。いいよ、お母さん押すだけやし。」
「だめ、僕がする。」
「んー。なら、ここね。2時のところ。お湯が出るとこに指出したらやけどするけん、触ったらいかんよ。ちゃんと見えるように、トーマス持ってきて。」
トーマスとは子ども用の踏み台で、長男の翔太がまだ小さかった頃から使っている。いたずらに使って困った時期もあったが、食器棚から食器を取り出したり、ご飯を並べたりする手伝いができるようになってからは、とても頼れるツールになった。トーマスをバリスタの手前に持って来て、右上のボタンを押す。ブイ-ンという無機質な音が、少しだけ軽やかに聞こえた。
「よし、できた。」
「うん、ありがと。最後に、2回ポタポタがあるから、それが終わったら出来上がりね。コップは熱いから、お母さんが持つね。」
悠太のコーヒー。ただボタンを押しただけなのに、いつもより香りが広がって、心をほぐしてくれる気がした。

悠太は、2年生の1学期はまだ時々休むことがあったが、だんだんと落ち着いてくれたように思う。3年生にあがってからは、一度も休まずに2ヶ月が過ぎた。あどけない感じから、少したくましさも見えてきた。背中より一回り大きかったランドセルも、もうぶかぶかではない。

今年は、長男の翔太が大学受験で、次男の颯太は小学校最後の年。家族みんなが揃ってご飯を食べるのも、もうカウントダウンが始まっているのかもしれない。何をするともなくコーヒーを飲みながらくつろぐこの時間の形も、少しずつ変わっていくんだろう。
取引先の理不尽な要求にバカにするなと叫びたくなったり、ベテランと若手の間でやりづらさを感じる仕事も、案外嫌いではない。休みの日にイライラしてふて寝してると、いつも誰かが毛布をかけてくれる。3時はおやつの時間で、お菓子と一緒にテーブルに置いてあるのが、悠太がいれたコーヒー。

ただ、この瞬間を味わいたい。

毎週テーマを決めて共同運営を続ける日刊マガジン『書くンジャーズ』。
今週のテーマは、#私のコーヒー時間でした。

僕自身コーヒーは飲むけどそんなにこだわりはなくて、僕よりコーヒー好きな妻に「どうしてコーヒー好きなん?」と聞いてみました。
その時の妻の答えが、
「えー、そうね。味も好きだけど、香りが好きかなぁ。なんかね、ほっとするとよ。」
だったので、その言葉と家族の思い出を織り交ぜながら物語を綴ってみたのは、土曜日担当の吉村伊織(よしむらいおり)でした。
実話を交えつつの創作だと思ってもらえたら嬉しいです。
※子どもたちの名前は、我が家の実名ではありません

今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

メンバーみんなのコーヒー時間も、ゆっくり味わってくださいね。

それではまた、お会いしましょう。

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