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アメリカ伝統音楽としてのJazz① Buddy Bolden

Jazzがいつ始まったのか、というのを詳細に辿るとまずたどり着くのがJazzの創始者ともされるBuddy Boldenに行き着きます。

Buddy BoldenはNew Orlearns出身のコルネット奏者で録音も残存しているか謎で口述で色々な逸話が語られる程度にしか知られていません。

Jazzバンドの創生は1820年ごろからCongo Squareという広場(現Louis Armstrong Park)で奴隷にされたアフリカン・アメリカンの人たちが日夜アフリカ音楽によるダンスパーティーを開いており、1885年の内戦をへて中断を余儀なくされたそうです。
それを再度行う際、偶然にも初めてのJazzバンドが生み出されたとのことです。
これらはNew Orleansでは有名な"Second-Line Jazz Funeral"いわゆる音楽葬などに発展しました。

その中で異彩を放っていたのがBuddy Boldenという人物でした。

Buddy Boldenについて早期Jazzのクラリネット、サックス奏者 Sidney Bechetの自伝にこうあります。

「日曜日のある日、奴隷は休みでとある広場に集まっていた。
Congo Squareと呼ばれる場所だった。
彼はミュージシャンで、誰も説明のできないような音とリズムで、何か確かなものを吹いていた。」

その人こそBuddy Boldenでした。
Buddy Boldenはラグタイムといわれる音楽を軸にブルース、ゴスペルなどを結合し、また即興演奏も行なっていたとされています。
Jazzの創生はこのBuddy Boldenと、このCongo Squareでのダンスパーティーが大元だったと言えます。

Congo Squareで行われたアフリカン・アメリカンのダンスパーティーとラグタイムを軸にブルースとゴスペルを掛け合わせたBuddy Bolden。

アメリカにおいてヨーロッパとアフリカ音楽の折衷が起きたと言えます。

ではヨーロッパとアフリカ音楽の接触はこれ以前にあったのでしょうか?

詳細に見ると、この1820年頃のCongo Square以前に718年から1418年まで行われたキリスト教徒によるイスラム教徒の再征服運動「レコンキスタ」が挙げられます。

レコンキスタはキリスト教徒によるイスラム再制服、これはイベリア半島(今のスペインがある島!)を侵略するものでした。

その中で北アフリカにすむイスラム教徒ムーア人がキリスト教の国を侵略していました。
その際にスペインやフランスとも戦っておりこの時、アフリカとスペイン、すなわちラテンとの接触があったとされます。
これがきっかけでサルサ、カリプソ、サンバ、タンゴ、クンビアなどが徐々に形作られてきたようです。
すなわちCongoSquareでのダンスパーティー以前に、既にレコンキスタによりラテンの要素や影響はアフリカンのなかに存在していたというわけです。

また、このCongoSquareのダンスパーティーではもちろんそれらの影響を既に受けていたのでラテンの音楽が少なからず演奏されていました。
後に語るJelly Roll Mortonはこのラテンとの折衷の事をJazzと呼んでいました。
これはまた別でお話ししようと思っています。

Boldenは "Careless Love" や "My Bucket's Got a Hole in It"という伝統的な曲をレパートリーにしていました。
その中で有名なレパートリーとして"Funky Butt"という曲を残しています。
"臭いケツ"という意味だそうでダンスの時に当たるお尻の話だったそうです。
また、Funkyというのは後に作られるFunkというジャンルの大元の言葉になっています。
またBig fourというリズムも残しています。
このリズムからはContradanzaと言われるアフリカの伝統リズムから派生したスペインのリズムが元になっており前述のアフリカとラテンの影響を実際に受けている事実が確認できます。


他にも、床屋をやっていたとかスキャンダルのタブロイド紙を書いていたなど、今では嘘と証明されているそうですが、様々な口述の噂話に事欠かない人でもありました。
彼は30歳の時、急性アルコール中毒により精神病に陥り精神病院に入ることになりそこで一生を終えます。
録音が1枚ある、という噂もありますが現存が確認されておらず、この謎めいたBuddy Boldenという人物が初めのJazzを作り出したとされます。

次回はJelly Roll Mortonの話をしようと思っています。



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