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藤井風さんの「花」のMV&歌詞で感じたこと

前回「藤井風=風の時代」の記事を書かせていただき、沢山の方にお読みいただき、貴重なお時間とまたスキもいただきまして本当にありがとうございます✨

今回は、私が風さんのファンになったキッカケとなった、「花」のMV&歌詞で感じたことを書かせていただきたいと思います。
今更ではあるかもしれませんが、風さんのファンになって、1ヶ月経つか経たないかの中で、「花」という歌に出会ったこの感動を書きたいなと思い記事を書くことにしました。

今回も私が特に共感した部分や気づいた部分を私なりの解釈とスピリチュアルの観点で書いていきます。
※あくまでも私が感じたことと、3年間スピリチュアルに触れ、目覚めた内容をもとに書きます。

「花」のMVについて

初めに結論から話すと、黒服の風さんと花服の風さんが2人登場しますが、私の解釈はこうです。

黒服の風さん→これまでの在り方の人間である風さん。
花服の風さん→もう一人の高次元の自分。つまりハイヤーセルフ。

黒服の風さんは花服の風さんを引いて、歩いているという衝撃的なシーンから始まりますが、この時は、まだ黒服の風さんは生きていて、花服の風さんは眠っています。(口は動いていましたが笑)
これを、スピリチュアルの観点で見ようとした時に感じたのは、もともと私達は誰もが「人間である自分」と「もう一人の高次元の自分であるハイヤーセルフ」はいつも繋がっていて、地球で生きている間は、ハイヤーセルフは眠っており、そのハイヤーセルフが見ている夢が、今この世で見ている景色、人生だと言われています。
そして、その在り方が今までの地球の在り方でした。
ですが、まもなく訪れると言われている、地球の次元上昇にあたり、「人間である自分」は「もう一人の高次元の自分であるハイヤーセルフ」を目覚めさせて、一つに一致する必要があるのです。
地球が次元上昇をするということは、私達も次元を上げて存在しなければなりません。
そのために、「もう一人の高次元の自分であるハイヤーセルフ」を目覚めさせる必要があるのです。
また、地球が次元上昇をし、地球が生まれ変わるということは、これまでの在り方では通用しなくなるため今までの在り方そのものを壊さなければいけないのです。

つまり、黒服の風さん(これまでの在り方である人間の風さん)が花服の風さん(ハイヤーセルフ)を引いているシーンは今までの人生の姿であるということと、人間はいつもハイヤーセルフと繋がりながら、地球に生きているということを表現したように見えました。
紐を繋いで引いていましたが、この紐はスピリチュアルで言えば「霊子線」のように思えます。
(「霊子線」とは人間の肉体と魂を繋いでいるもの。人間の肉体の機能がなくなってから24時間で切れると言われています。)

また、黒服の風さんが花服の風さんを乗せて、車で走っていますが、これもこれまでの人生を表現しているように見えます。
人間の身体は「魂の乗り物」だと言われていて、人間の身体を車で例えているように見えました。
そして、魂は永遠ですので、何度も乗り物(人間の身体)を変えて輪廻転生を繰り返して来ました。
歌詞にも「何が出来るのだろうか 誰を生きようかな みんな儚い みんな尊い」とありますよね。

そして、花服の風さんが目を覚まし箱から起き上がるシーン。
ここは、まさにもう一人の自分であるハイヤーセルフが目覚めた瞬間ではないでしょうか。
そして、黒服の風さんは遺影のようにお写真に変わりました。
以後、黒服の風さんはお写真でしか登場していないので、これまでの在り方である人間の風さんは、いなくなったと解釈できました。
この時の解釈としては、「これまでの自分は死んだ。これからはハイヤーセルフと一致して一つになって生きていく」と表現されているように見えました。
その後、花服である風さんはお線香をあげお祈りをしています。
これは、「これまでの自分」に対してのお別れをしたのでしょう。

「花」の歌詞について

「枯れていく 今この瞬間も
咲いている 全ては溶けていく」

=「枯れていく」とは今までの地球を指しているように感じます。
そして、ハイヤーセルフを目覚めさせて一致して一つになり、新しい地球へと「咲いている」
今までのことは「全て溶けていく」

「何が出来るのだろうか 誰を生きようかな」

=MVについてでも触れましたが、私達は同じ魂で何度も身体を変えては、輪廻転生を繰り返して人生を生きてきたと言われています。

「何が出来るのだろうか」
=地球に自分が生まれることでなにができるのか。

「誰を生きようかな」
=繰り返しになりますが、魂は何度も生まれ変わっているため、前世を生きた沢山の自分の存在がいると言われています。
経験や成長などはもちろん引き継がれるのですが、その中から今の人生で特に影響を受けている前世の自分というのがあるようです。
その前世の自分の「どの前世の自分を選べば今世で役に立つのだろうか」というように聞こえました。
また、眠っているハイヤーセルフが「誰を生きようかな」と思いながら夢を見ているようにも見えました。

「誰もが一人 全ては一つ」

=地球が次元上昇をするにあたり、私達も次元上昇をする必要があり、そのためにはハイヤーセルフと一致し一つになる必要があると先ほど書きましたが、ハイヤーセルフと一致し一つになるには、これまでの在り方を捨てなければなりません。
これまでの在り方とは、一言で言えば「分離」です。
「人は人」「自分は自分」「人のことなんて自分には関係ない」「自分さえよければいい」「自分とは異なると感じるものに対して、差別したり排除したりする」というような自分以外を「他人」だとはっきりと分けるような在り方が「分離」です。
他にも「善と悪」「光と闇」「男と女」なども分けて考え、捉えることも「分離」です。
そして、これからの在り方は、その反対の「統合」で、誰もを自分自身だと思い、愛と調和で満たして生きる在り方がこれからは必要になります。
そして、そのような在り方であれば自然と争いもなくなるはず。
これはあの世の話になりますが、魂は人の数だけあるのではなく、あの世に還れば1つの魂(グループソウル)となるのがスピリチュアルの教えです。
それを統合(ワンネス)と呼びます。
そして、また地球に生まれてくる時に1つの魂から分離して個々になって存在していると言われています。
そう考えるとこれまでの「分離」した生き方は仕方がないように思えますが、本来の在り方は統合が真実であり、今地球が次元上昇するために、その真実に気づく時であるという意味で風さんはこの言葉を伝えているのだと思います。
魂はもともと一つだと考えれば、他人と呼ぶ存在を傷つけることは結局自分を傷つけたことになる。
これは自分自身のことをも本当の意味で愛せていないことになると私は思います。

「色々な姿や形に惑わされるけど
いつの日か全てがかわいく思えるさ」

=「色々な姿や形」とは、これまでの地球の在り方のことを指してるように思います。
=「いつの日か全てがかわいく思えるさ」とは、自分自身が次元上昇をし、ハイヤーセルフが目覚め統合したことで、光と闇は一つに繫がっていたことに気がつき、「全ては意味があって起こっていたことだから、これで良かったんだ」と思える日が来るという意味だと思います。

「咲かせにいくよ 内なる花を」
「探しにいくよ 内なる花を」

=「内なる花」とはハイヤーセルフのことだと感じました。
花服の風さんは、先ほども書いたようにハイヤーセルフを表現しているように感じましたし、「内なる」とは魂のことを指しているように思えたからです。
つまり、ハイヤーセルフと一致し一つになれる自分を人生の中で探し目覚めさせ、花を咲かせにいくことが今の人生の目的だと伝えたいのかなと思います。

最後に。。

風さんやこの歌を知って気づいたのは、風さんのこの世での役割は、人々の「分離」というロックを解除し、魂を解放することを促すことの役割を持って風の時代に風さんとして生まれ、まさにスピリチュアルアーティストとして音楽活動をやられているように私は感じました。

またまた、とても長くなってしまいましたが最後までお読みいただきましてありがとうございました✨

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