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中庸を考える

重ね煮を作るうえで出てきた『中庸』という概念。
私はこの歳で初めて知りました。
世界を陰陽に分けて考え、両方と調和をする。 毎日の食事でこの調和を心がけるだけで健康と共に歩むことができる。
そう期待を込め取り入れております。

ただこの考え方、実際ちょっとわかりにくいので自分が思うイメージを図にしてみました。(あっているかどうかは不明。あくまで私の理解です)

陰陽のバランスはやじろべいびみたいなバランスで成り立っていて、今の自分の行動(選択)がコマのようなもので常に回り続けている。
そして土台が身体でありその人自身みたいなイメージ。

中庸を意識した状態を保っていると土台の部分が安定して(真ん中部分が凹んで)極端に陰や陽に傾きにくくなる。
またコマの軸(心?)も安定してくるので大きくぶれるもことなく健康でいられている状態。

一方、甘いものや肉類を取り過ぎて陰陽バランスを崩してしまった状態はこんな感じかな…
軸も太くならず不安定で、一方に偏ると反動で逆にもいってなかなかまん中にいかず常に不安定。

なので中庸を意識して、陰陽バランスをとった食事にすることで健康を維持出来るんじゃないかなと漠然と思っています。

では、中庸生活は禁欲的で極陰の甘いものや嗜好品、極陽のお肉などは食べちゃダメかというと、、、
たまにハメを外して大丈夫なんじゃないかと考えます。

というのも、普段の日常が中庸であれば多少のことではぶれないバランス感覚を手に入れているので、すぐにまた中央に戻ってこれる。
逆に陰陽の端っこをまたに経験することで中庸の大切さを思い知る事ができるのではと考えます。
面白いこと、刺激的なことは対外両極の端っこにある。
人間だもの、いろんな経験したいですしバカなことしたなーと反省するのが人生ってもんじゃないですか!
つってね。

そしてこのことは食だけでなく、この世界のいろんなものに応用できるのではと考えてみました。

例えば
光と影
正義と悪
正解と不正解
右と左


どちらかに偏った考えはどうも胡散臭く感じませんか。
今回の疾病騒ぎでも
『清潔』と『不潔』
『健康』と『病気』
『生』と『死』
などの議論で極端な意見が多かったと思います。

私の考えでは
適当に清潔な環境で、口から空気を直接吸って適当に菌を取り込んで、
人と人が密になることでたまには病気になりつつ食事を気にしながら基本的には健康で、
いつかはお迎えにくる日があることを頭におきながら今を一生懸命に生きる。

そして、こわい端っこの考えを勉強しつつ反対側も知って。最終的には真ん中あたりで自分にとってちょうどいい感じの考えを採用する。

中庸の考えでまんなかから考えれば何も怖くないですよね。

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