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無駄な言葉に魂は宿る

先日、息子の国語の教科書に載っていた評論文を読んで、思わず声を上げた。「文章下手だなー」と。

その著者は有名大学の教授で、何冊も著作を出している方なのだが、とにかく読みにくい。主張はほんのわずかしか書かれず、あとは無意味で無駄な文章ばかりが、安物のエビフライの衣のように分厚くべっちょりと貼りついている。

比喩に次ぐ比喩、わかりにくい対比、そして恐ろしく長くて謎を深めるばかりの具体例……。試しに3000字ほどのその文章から無駄な部分を削ったら、600字程度の読みやすい文章になった。原稿用紙にして1枚半。長さもちょうどいい。これだけを教科書に載せようよー。

それでも無理矢理よい方向に考えれば、「無意味な表現の中から主旨を読み取る」という訓練をさせるために、あえてこういう駄文……もとい、冗長な文章を選んだのだろうともいえる。でも、あんな無意味・無駄な表現ばかり読まされる生徒の気にもなれよ、と思う。

それでも、「無意味で無駄な表現」が必要なこともあるよね、とも思う。特に日本の曲では、「無意味」「無駄」と思われる歌詞がグッときたり、その曲の印象を色濃くすることが多い。

サザンオールスターズの『勝手にシンドバッド』の「今何時 そうねだいたいね」なんて、その代表だろう。あの無意味な歌詞がなければ、そんなにヒットしてなかったんじゃないかな。

あと、RADIO FISHの『PERFECT HUMAN』に出てくる「We live in Tokyo」という歌詞だって、無意味すぎて最高だ。「私たちは東京に住んでいる」ってわざわざサビで歌うこと? それにあんたたちが東京に住んでることぐらい知ってるわ! とつっこみたくなる素晴らしい歌詞。意味はないけど、本当にいい歌詞。

最近だと、DA PUMPの大ヒット曲『U.S.A.』の「どっちかの夜は昼間」が最高に無意味だった。聴いている人に「知っとるわ!」とつっこむ隙も与えず、ISSAと一緒に歌わせてしまう、最高の言葉遊び。

「言霊」ってものがあるとすれば(私はあまりこの「言霊」って言葉が好きじゃないけど)、きっとこんな無意味な言葉に宿るんじゃないだろうか。言葉の意味じゃなくって、言葉そのものの音とか字面とかリズムとか、そんなものにこそ言霊はあって、無意味なままで人を感動させたりするんじゃないかなーと思う。

でも、評論文での無意味・無駄な表現には断固反対します!

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