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心の中の辞書に訊け

「○○でガンが治る!」とか「医者に殺されるな!」とか。トンデモ医療本がなぜ存在するのか。理由はただひとつ、「簡単に作れるうえに売れるから」。

あるツイートによると、ワクチン絡みのトンデモ医療本が、アマゾンの書籍総合ランキングの1位になっていたようだ。

やっぱり売れるんだなぁ。人の不安に当て込むのは、商売の鉄則とも言えるからね。不安商法。

出版社は慈善団体でもなければ、非営利団体でもない。本が売れなくちゃ商売にならない。わかるよ、わかる。しかし、倫理や人の尊厳、人命をないがしろにする商売には限界がある。

そして、それらを犠牲にしなくても、売れる本や面白い本は作れる(ただし、手間と情熱は必要)。本は、人を傷つけたり、脅したり、不安にさせるのではなく、ひとときの楽しさとよろこびと発見を与えるものなんだから。

「この本のタイトルは、『バカ親に○○○な×××の△△』にしようと思っています」

これは先月、私が編集者・Aさんから提案されたことだ。

最初の段階では、「高齢の親を抱え、対処に困っている人に向けた本を作りたい」という依頼だった。

いい企画だと思った。私自身も高齢の親と同居しており、同じような境遇の人の手助けになるんじゃないかと思ったのだ。

しかし、提案してきたタイトルが「バカ親」だった。「親バカ」なら、まだわかる。ギリギリセーフ。しかし「バカ親」はないだろう。ナシ寄りのナシというか、断じてナシ。だって、この世の人々に「お前の親はバカだ」と宣言しているのも同然じゃないか。

本が売れないこの時代に、センセーショナルなタイトルで読者を引き寄せようと思ったのだろうな、ということは理解できる。理解できたからといって、許せるかどうかは別の話だ。

「バカ親」は、どう考えても侮蔑の言葉だ。親に対しても、親の世話や介護をしている人に対しても。こんなタイトルがついた本は、人の尊厳を傷つけている時点で、トンデモ医療本と大して変わらない。ただ「売れる」ことだけを目指している本だ。

高齢の親を抱えている人なら、だれでも一度は「このバカ親が!」と思うだろう。私だって思う。一度どころじゃない。だけど、そのあとに必ず苦しむのだ。「親に対して何てことを思ってしまったんだろう」「自分は娘(息子)失格じゃないか」と。

その苦しみをすくい上げなければ、こういった書籍を出版する意味はないと思う。というか、その苦しみこそが、高齢の親を看ている人そのものであるはずなのに。

そのことをAさんに伝えたところ、「『バカ親』って、『バカ殿』みたいに愛嬌があっていいじゃないですか。もしかして三浦さんは、本当の意味の『バカ』だと思ったんですか(笑)。ちなみに、『バカ親』がダメなら『ボケ親』でもいいと思います」と返ってきた。

どうやらAさんにとっての「バカ」は、「愛嬌がある」という意味らしい。Aさんは、私とは違う国語辞典の持ち主なんだろう。どこで売ってるんだ、その辞書。

腹が立ったので、「『バカ親』なんてタイトルをつけるあなたのほうが、よっぽどバカですよ」とメールした。

ちなみに、ここで私が使った「バカ」は、Aさんを傷つけるためにあえて使った言葉だ。大辞泉によるところの、「知能が劣り愚かなこと」として使っている。

数日後、Aさんから「人をバカと呼ぶなんて大人げない!」という怒りとともに、私への仕事の依頼をキャンセルしたいとの連絡が来た。そして私からは、Aさんからの仕事は今後一切受けないことをお伝えした。

編集者もライターも、言葉を扱う職業だ。だからこそ、言葉に人一倍敏感でなくてはならない。どういう言葉が人をよろこばせ、傷つけるのか。

そんな言葉のプロである編集者として、「バカ」を「愛嬌がある」と考えるならば、それでいいではないか。それを徹底すればいいじゃないか。わざわざ私からの「バカ」に腹を立てる必要はない。「私に愛嬌があるってことですね!」とよろこんでくれればいいのに。

噂によると、「バカ親」の本の企画は、監修者である介護の専門家から叱責を受け、頓挫しているという。よかった。「バカ親」などというセンスもユーモアもデリカシーもない言葉に、傷つく人が出ないことだけを祈りたい。

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