⑬まだ覚悟ができてなかったんじゃないですか。と比嘉は言った。比嘉大吾VS堤聖也
引き分けた堤聖也との試合。後日、あの日の、らしさのない戦い方について尋ねたときだった。
「ボクシングだけでやっていこうという覚悟がまだできなかったんじゃないですか。それがあの日のボクシングに出たんじゃないですか」
と比嘉大吾は言った。
攻めの姿勢を欠いている自覚はあった。ただジャブがうまく機能しているという感触があったから、このままリスクを冒さず判定で勝てばいいと思っていた、と言い、そういう自分にずっと違和感を覚えていた、とも言った。
「最初から最後まで、何か違う、違うなと思ってましたよ」
Ambitionジム移籍。野木丈司トレーナーとのチーム再結成という望みが叶ってから、比嘉は、「世界に返り咲くことにめっちゃ気持ちは燃えていた」。
野木さんとならまた世界王者になれる。その確信も確かにあった。
だが。
比嘉にとって「世界」はもう未知の世界ではない。あの頂までの過程がどれだけ過酷か、体と心が覚えている。再起にあたり2階級を上げた今、減量苦は軽減されたが、フライ級時代、特に世界挑戦する頃からはリングに上がるまでもが命がけに近い戦いだった。心身の極度のストレスに幾度もパニック障害の発作を起こしもした。
「何も持ってない時代は、夢への執念が強いじゃないですか。迷いがないし、ある意味恐れもない」
だが、今の自分は、沖縄から出てきて世界を目指していた頃の、何も知らず、無心でいられた自分とは違う。2年の空白の間に、一度はボクシングから心が離れた。同じ命がけになるなら別の生き方もあるのではないか。ふっと脳裏をかすめることは、復帰後もあった。
「堤戦までの俺、覚悟が持ちきれてなかったんだと思います。野木さんが言ってた通りですよ。大吾対大吾の戦い。俺、その戦いに決着がつけられなかったんだと思う」
それでも試合前、「もちろん、やるべきことはやっていた」。対戦相手の堤のことは「相当な難敵だと想定していた」。勝つ気だったし、自信もあった。
だがリングでの「違和感を覚え続けた」自分と、引き分けの結果。その現実は、かすかであっても欠けた覚悟が心技体を狂わせることを突きつけてきた。
「俺ね、8ラウンドの終了直前、堤の左ボディがめっちゃ効いたんです。レフェリーに、ちょっとタイム!って言いそうになったぐらい」
いやマジで、と笑った比嘉は、それから険しい口調で、来るの見えてたのに、と言った。それでも食らって激しく効かされた。その原因も「欠けていた覚悟」にあったと思う、と言った。
「戦い方も気持ちもこのままじゃ駄目だって、追い込まれた気がしました」
いろいろ悔しかった。と言った。
野木さんにも、ジムと事務所のスタッフにも、応援し続けてくれた人にも、期待と恩を仇で返すような形になったことが苦しかった。
比嘉は、言いたくなさそうに、……試合の夜、ちょろっと泣いた、と言った。
「でも逆に、試合終わって、そう、いろいろ肚が決まった。俺、判定でも勝てばいいと思ってたんです。でも今は、比嘉=KOじゃないと駄目なんだって納得してるし、そうありたいと思う。自分の攻めるボクシングをしなきゃ強さを出せないこともわかった。それに試合を見返したら倒すシーンがなくて全然面白くなかった」
試合から数週間後、比嘉は野木トレーナーに、宣言のような約束をした。
俺、昔のように、ボクシングだけに全部賭けます。いちから頑張りたいですーー。
「自分の中では覚悟決まってたけど、あえて口にした。一番信頼する人と約束したら、もう裏切れないじゃないですか」
心が定まらなかった日々、「ボクシングだけに賭けられない自分が嫌で」自己嫌悪に陥る日がたびたびあった、と比嘉は言った。
それは迷いながらも、ずっと、本当はボクシングに集中したいと願っていたということだろうか、と聞いたときだ。スマホの向こうから、小さな声が聞こえた。
「……うん」
叱られた子供のような、バツが悪そうな声だった。
どんな強気な言葉を聞くより、比嘉の本気を受け取った気がした。
次は、どういう比嘉大吾が見られるのか。
「きっとね、この前で、あれ? 比嘉あんなに強かったのに、あいつもう無理だな、と思われたと思う。
だからそこから俺、また思わせますよ。やっぱり、やるときはやる男か比嘉大吾は、って」
心が解放された、というような声だった。
比嘉の、明らかな心の変化を野木トレーナーは一番感じ取っている。それでもなお、大晦日を含めて2戦は、まだ比嘉大吾対比嘉大吾の戦いです、と言う。
心の変化がパフォーマンスと結果に、いつ、どう現れるか、それはわからず、リングでしか確かめられない。
「その答え合わせを、今、誰より確かめたがっているのは大吾かもしれません。楽しみにしているのも」
私もそう思う。
前日計量 撮影 野木丈司
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