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⑪倒されてもいい、俺行きます。そう言い残して堤はコーナーを出た。比嘉大吾VS堤聖也



僕、ジャブの差し合いが得意なんです、と堤は言った。

得意な事を話すときの口調、ではなかった。

この1戦に向け、一層磨きをかけてきた。その最も自信のある武器が勝機を掴む鍵になるはずだった。

「理想はジャブをポンポン当てて比嘉の顔を腫らす。眼窩底を折ってやるぐらいのイメージをしてたんです」

試合前、比嘉より上回るものはないと自認していた堤だが、ジャブの差し合いだけは負ける気がしなかった。

「どのラウンドだったかわからないけど、多分、僕がパンチを貰い始めた中盤だったと思います」


シュッ。

左ジャブを放ったその瞬間か、直後か。

ゴンッ!

右目に衝撃が走った。

ゴンッ!ゴンッ!

…………岩かよ!!

顔を岩でかち割られるような衝撃に、またも頭が揺れる。
自分は常に微妙に立ち位置を変え、相手に的を絞らせないよう細かく頭を振りながら攻め入っている。なのにその動いた先に、比嘉のジャブが正確に飛んでくる。
そして自分が出した左拳には手応えが、ない。
当て所を失った左を引き戻しながら堤は察した。

俺、差し合いでやられている……?

「蓋を開けたら、比嘉が俺より先に相手のタイミングを掴んだ。そして速かった。そういうことじゃないですか。これだけ僕の右目が腫れてるって、そういうことですよね」



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       撮影 堤聖也



少し空白があった。それから、

でもそれ以上に駄目だったことがあって、と堤は自責の言葉を吐いた。

「ジャブで取られ出したときに、右から入るとかサイドから攻め込むとかリズムを変えなきゃいけなかったのに、僕同じリズムのままその状態に甘んじちゃったんです」

恃んでいた武器が通用しない。直面した誤算に怯んだわけではなく、弱気になったのとも違う。だが、魔のような間ができた。時間にして数秒か、数十秒か。堤はしばし判断力を失い、「どうしたらいいのかわからなくなった」

それでもとにかく手数は止めず、前へ出た。比嘉が自分のパンチに左も右も合わせてきているのはわかっていた。
「でも僕、展開変えなきゃということより、あ、俺、今、この状態に甘んじちゃってる、と思ったんですよ」

そんな場合じゃないのに、甘んじてるなんて思っちゃったんだよな……。

「で、このまま比嘉のペースになれば下手したら倒される。危険信号がぱぱぱと鳴って、ハッとして、いかなきゃって……」


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撮影 山口裕朗 foto finito



石原トレーナーは、難しい展開になってきた、と思っていた。
「中盤からいい感じでパンチを貰うようになってきて。
堤は、流れを変えられずに向こうのペースに合わせてしまう時がある。中嶋戦でも出てしまったその課題には取り組んできたんですが、やはりそこが少し出てしまった。
とはいえ101戦のアマチュア経験もある。切り替えがまったく出来なかったわけではないんです。
でも堤のジャブに対して比嘉くんがカウンターを打ってくるようになった。あのカウンターのタイミング、下がりながらのカウンターは見事でした。比嘉くんの、出入りのアウトボクシングの精度があそこまで高いとは、正直想定していなかったんですね」

中盤きつかったと思います。と続ける。
「それでも焦りは見せませんでしたね。集中力も最後まで保っていた。心拍が上がってもしっかりボクシングができるのが堤の強み。それだけの練習もしてきた。それが生きた、と思います」


中盤、採点の難しいラウンドが続いた。
実際4から7ラウンドまで、ジャッジ3人の採点は割れていた。

堤は、ステップワークで自分の安全地帯を死守しながら、手数をフル稼働してプレスをかけていく。徹底した研究と対策の成果。高い集中力で遂行するその懸命な攻勢を、だが比嘉の迫力の一撃がひっくり返す。印象点を奪うに十分な的確さと威力と鮮烈さ。

だが、比嘉の代名詞である、息もつかせぬ猛攻、が出ない。

堤は、言葉に矜持を滲ませた。

「いつも行く選手が行かない、行けないというのは、相手に原因があるということじゃないですか」

「行こうとしたら僕のジャブがあたる。手数にボディに阻まれる。そういうことじゃないですか」

ただ同時に、と続けた。
「自分も、致命打を貰わないことに必死で精一杯だった。相手が来た場合を想定して練ってきた対策が、あまり向こうから来なかった分使えなかったこともあるけど、そう、やろうとしたことの5、60%、いや50%しか出せなかったんですよね……」

確かに警戒しすぎた部分はあるかもしれない。石原トレーナーは言う。
「でも、もし顎に直撃していたら終わっていた、というパンチをいくつか貰っていた。結果的にあの警戒心は悪くなかった、と思います」


お前の方がフィジカルで勝っている。押し込んでいけ。

中盤、石原トレーナーに太鼓判を押された心強さは大きかった。
「でも接近戦で連打をまとめている間もすごい怖かったです。途中で、明らかにカウンターを狙ってるのがわかってからは、なおさら」

以降、最終ラウンドまで本能からの警報は鳴り止まなくなる。

発声を禁止された会場。試合中、相手陣営の指示ははっきり聞こえた。
野木丈司トレーナーの「カウンター!」の声に、やはり、と堤の心臓の鼓動が早まった。

「あっちはカウンター狙いだから逆に距離を遠くしてみよう」と石原トレーナーに指示されたのは7ラウンドの前。

「向こうはお前が出てくると思ってるはずから、きっととまどう、と。で7ラウンド、足を使って離れた。僕の前の手がうまく機能したのもあって、確かに比嘉の顔にちょっと焦りが見えたんです。振ってきた右のクロス、左アッパーも見えてかわせた。そこでそのまま僕が捌ききれればよかったんです。でも、僕も、疲れてきてた。大吾、見逃さないですよ。入り方も巧かった。僕、左ボディ貰って、それが少し効いてそのまま半端な距離でやってしまった。終盤下がらされもして、ああ見栄えよくないな、って」

コーナーに戻った堤は、少しボディが効いてしまったこと、あの距離はあっちの方が得意だと思う、だから「やっぱり距離、潰したいです」と伝えた。


「そのインターバルだったのかな」

堤は記憶を掘り起こしながら、言った。

「めちゃくちゃ時間が経つのがすごく遅く感じたんです。インターバルが終わったとき、え、また行くの?と思ったんですよ。で電光掲示板みたら、やばっ、あと3ラウンドもある、めっちゃ長い、ながっ、と思って……」


その8ラウンド、必ず比嘉が来ることは「わかっていた」。
「前のラウンドでペースを取った。僕が疲れてたのもわかっている。攻めてこないわけがない。それと、ここからいよいよ比嘉が仕留めにいくんだな、というお客さんたちの期待の熱も感じてた」

果たして比嘉ははっきり攻撃を強めてきた。ワンツー、左アッパーから右フックのダブル。その強振を堤はストレートで応戦する。
7ラウンドにヒッティングで鼻を切られていた堤は、血が滴る顔面を何度もグローブで拭った。
「右目の視界も狭くなりつつあったけどちゃんと見えていたし、血のことは構ってられなかった。貰えば倒れる集中しろ集中しろジャブつけジャブつけ横に回れ回れ……!!!! もうね、脳がフル回転してたから」

比嘉の猛攻は防いだ、と思った。が、コーナーに戻りながら、このラウンド、完全に取られたな、とも思った。



「残り2つ、取らないと負けるぞ」

石原トレーナーの声に、堤は頷く。

「ここからは、あのミットのつもりでいけ」

あのミット。

体にボディプロテクターをつけ、両手にハンドミットを持った石原トレーナー目がけて連打を打ち込む、手数の練習。つまり、連打しながらプレスをかけていけ、の意。

石原トレーナーは言った。
「前の中嶋戦、もう少し出来た、まだ出来た、という余力を残してしまった。最後、行ききらなかった、力を使い果たさなかったという反省があったんです。だから今日は絶対に、力も後悔も残すなよ、と」

だが、その指示を聞いたとき、堤は、

いや、それ、無理、

と思った。

一拍あって、堤がぷっ、と吹き出す声が聞こえた。

「石原さんには言えなかったけど、いや、ほんとそれ、もう無理って」 


「僕1ラウンドからずっと、脳はフル回転で、手も足も動かしっぱなしで、警戒心も張りっぱなしで。全細胞をフルスロットルで稼働してたから、ほんと、もう、いっぱいいっぱいだったんですよ……」


だがゴング直前、トレーナーが放った一言が、疲弊し消耗しきった体と心に響いた。


「これ勝って世界に行くぞ!!」



世界…………。


「それを聞いたとき、そうだ、俺、体に鞭打ってでもいかなきゃ、と思えたんです」

堤はトレーナーの顔を見上げた。

「倒されてもいいから、俺、行きます!!」



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山口裕朗 foto finito


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