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②倒す相手は友達。比嘉大吾VS堤聖也。対戦まであと8日。


2ヶ月前、ボクシング・マガジン誌に、比嘉大吾についての記事を書いた。約2年間ボクシング界から姿を消すことになった背景から、今年2月の再起戦、ジムとの契約解除と移籍、恩師とのチームの再結成。2年の間に比嘉の身に起きた事柄や当時の胸中などを駆け足ながらまとめたものだった。

その後Webに転載された記事をどれだけの方が読んで下さったのかわからないが、その中の一人に堤聖也がいた。彼に取材をしたときに知った。

9月に入ったばかりの夜だったという。
「寝る前にツイッターをチェックしてたら記事がタイムラインに流れてきて、お、大吾だ、って」



———2人が初めてきちんと言葉を交わしたのは、ともに高校2年生だった7年前。2度目の対戦でやはり堤がポイント勝ちしたあとだった。

「電話番号教えて」

比嘉が屈託なく声をかけてきた。以降、お互いの重要な試合前に応援メールを送りあったり、全国大会などで顔を合わせるとどちらかの部屋に遊びに行ったりした。その後、比嘉は沖縄・宮古島工業高校から東京は白井具志堅ジムでプロへ。堤は熊本・九州学院高校から平成国際大学へ進学しアマチュアを続行。年に1、2度、どちらかの試合が終わると誘い合って食事にいくようになったのはその頃からだ。

比嘉の試合はデビュー戦からチケットを買い、会場で応援してきた。アマチュア時代、「突進力とパンチは半端ないけど大振りで、さほど大した選手でなかった」大吾は、見るたび目を見張るような成長を見せつけてきた。かつての粗さはなりをひそめ、スピード、距離感、多彩なコンビネーション、フィジカルの強靱さ、パンチのパワー。技術もパワーも一戦ごとにグレードアップしているのが見て取れる。決着はすべてKO。プロ転向1年で、判定勝負になれば圧倒的不利が予測された敵地タイでWBCユース・フライ級を獲得。その1年後には東洋太平洋タイトルを。そしてその10か月後、プロデビュー2年11か月で無敗全勝全KOのまま世界の頂点に立った。

比嘉の活躍、眩しいほどの飛躍は、戦友として、友人として、「素直に嬉しかった」。誇らしさに似た感情もあった。自分もいける、そういう希望を持たせてもらった気もする。だが。同じボクサー、なのだ。比嘉の煌めきを目にするたび、たまらなく悔しさが込み上げる。刺激された闘志はすべて練習の原動力に変えた。ロードワーク、授業の休み時間の自主練、放課後のボクシング部での練習。そして夜の自主練。学生寮に戻ると食事はたいてい何も残っていなかった。

大学3年のとき。堤は「俺もお願いできないかな」と比嘉を通じて、通称「野木トレ」、「階段」とも「地獄」とも呼ばれる野木トレーナー主宰のトレーニングに加わった時期がある。比嘉を強くした、確かなトレーニングを自分も試してみたかった。階段ダッシュを主軸に心肺機能、上半身、下半身の筋力、腹筋背筋、そしてメンタルを徹底的に鍛える、誰もが「まさに地獄」と評する内容で、日頃から過酷なトレーニングで追い込んでいるボクサー、格闘家たちがバタバタと地面に倒れ込む。

「想像以上のエグさでした」

強くなるはずだ、と身をもって納得した。約半年、週に2度、埼玉にある大学の寮から横浜まで片道二時間をかけて通った。「階段」のあと、比嘉のジムに連れだって向かい、ジムワークをともにすることもあった。

当時、アマチュアでボクシングキャリアを終えることも考えていた堤が、プロ転向を決意した背景には、間違いなく比嘉の存在があった。

「それとアマチュアのときに負けた田中恒成(畑中)と井上拓真(大橋)」

もしプロに行っていたら、俺、どこまで行けたんだろう。将来、あったかもしれない可能性について後悔するのは容易に想像できた。そういう人生は歩みたくない。大学卒業後、ワタナベジムにスカウトされプロデビュー。その後角海老宝石ジムに移籍した石原雄太トレーナーを追う形で、角海老宝石ジムに移籍した。

俺ら、いつか試合できたら面白いな。やるかもな。タイトルマッチだったら最高だな。

堤のプロ転向後、幾度かそんな会話を比嘉とした。友達同士の、楽しい空想だった。


2人が最後に会ったのは、比嘉が今年2月の再起戦を戦ったあと。自宅に招き、手製のハンバーガーを振る舞った。

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写真・堤聖也 ハンバーガー・堤聖也作


再起戦のこと、移籍のこと、互いの近況。途切れぬ会話の途中、小腹が減って、堤行きつけのハンバーガーカフェへ出かけ、またもハンバーガーを平らげた。

マスターも比嘉のひとなつっこさと陽気さにすっかり惹かれたようだった。居心地が良かったのだろう。お腹がいっぱいになった比嘉はお店のソファで少しうたた寝をした。
今年3月のことだ。

「だから大吾の状況はだいたい知っていたんです。それでもボクシング・マガジンの記事を読んだとき、胸が痛くなっちゃったというか。減量で半狂乱になってたとか、あぁそこまでだったのかって。あいつ、2年間でほんとにいろいろあったじゃないですか。あんなに強くて輝いてた世界チャンピオンが1度に全部失って、で、今、またそこから這い上がろうとしてる。なんかいろいろ感情が込み上げてきて……心から、頑張れよ!と思ったんです」
 
友への、心の中でのエールは、だが自分の戦意にも火をつけた。

俺も負けてられねぇ。

思い返せば、いつもそうだ。追いかけているつもりはないのに、その背を結果的に追いかけている。俺が強くなるために必要な感情を、あいつはいつも与え続けてくれている。

その夜、堤は胸に交差する熱く複雑なものを抱えながら、眠りに落ちた。


翌日は朝からアルバイトのシフトが入っていた。一仕事終え、昼休みにスマホを取り出した。LINEが何通か届いている。石原トレーナーからのものもあった。まず先に師匠のアカウントを押す。

目に飛び込んできたメッセージは、短い、実に短い一文だったのに、瞬時には内容が理解できなかった。だが何度読み返してもこう書いてある。


「10月26日、比嘉大吾VS堤聖也決定」



……マジかよ……!!


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