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⑤俺があいつより優っているものはないですよ。 比嘉大吾VS堤聖也。対戦まであと2日。






勝った先に得られるはずのもののために、この試合に向け、死に物狂いでやってきた。
だが、目的は、比嘉にあって自分にないものを奪う、それだけではない。
あの比嘉大吾と戦うことが純粋に楽しみなのだ、と堤は言う。


「驚異的な強さじゃないですか。研究対象としてフライ級時代の動画を見たら、見えてきたものがまた違った。

あいつのパンチは力任せと言う人もいるけど、違う、攻めの技術がめちゃめちゃうまい。プレッシャーをかける足裁きもですけど、一番はフェイント。あれは相当やっかいだと思ってます。

それからコンビーションのバリエーション。このタイミングでこんな体勢からボディストレート打つ?みたいな。あまりにあっぱれでゾクゾクする。やべぇな、って」


4年前、確か比嘉が世界前哨戦を戦う前で、堤は大学生だった。2人はスパーリングで、3年ぶりに手を合わせた。
3ラウンドを1度きりだったが、その9分で体感した比嘉の強さは、予想を越えていた。
「こいつ、試合で出していないだけで、引き出しがめちゃくちゃあるなと」

その引き出しは今、さらに増えているはずで、今度の試合に必ず出してくるだろう。
バンタムに上げたことで、フライ級時代のスピード、キレ、コンビネーション、フィジカルとパンチ力がエグさを増していることも容易に想像できる。

「めんどくせぇ相手だなと思いますよ」

だが、怖くはない。やせ我慢でなく、堤はボクシングを始めてから、殴られることも、相手を怖いと思ったことがない。
それがなぜなのか、自分でもわからない。
ただプロに入ってから、負けること、が怖くなった。それだけだ。



2月の比嘉の再起戦だけは見返さなかった。階級を上げての初の試合だったが「参考にならない」。

「戦い方を忘れてましたね」

堤は会場で観たときの記憶を取り出し言った。


「でも2年ぶりの試合だし、野木さんがそばにいないという状況もあった。まあまあ、こんなもんでしょうって。倒し方も完全に忘れてましたよね。それでもボディで仕留めたのはさすが。
いや、あの時の大吾だったら楽も楽ですよ」

だが。

「そんなわけがない」



試合まであと10日と迫った日、確認しておきたいことがあり、堤と少し電話で話をさせてもらった。

試合が決まって1ヶ月半。あの時点でも現時点でも、大吾より自分が勝っているものは、変わらず「ない」と堤は言った。
勝機を掴み、勝利をたぐり寄せる鍵は戦略、それだけだと思っている。
その戦略を遂行するために、毎日倒れ込むまで自分を追い込んできた。考えていたら間に合わない。考える前に体が反応するまで、同じ動きを繰り返してはまた繰り返し、込み上げる胃液を飲み込みながら動きを体に染みこませてきた。


ひと月前の堤はとにかく、ひたすら熱かった。言葉から、体から、とにかく炎のような熱を放っていた。
減量の影響、ピークに達しているだろう疲労も多分にあったと思う。が、
この日聞こえてきたのは、勝つという決意以外の何もかもが削ぎ落とされ、ただ濃縮した戦意だけが静かに、青く、燃えているような、そんな声だった。



そして一つ。気づいた変化があった。
堤がどこかの段階で意識して切り替えたのか、無意識のうちに、だったかはわからない。あえて確かめなかった。



それまで比嘉のことを、大吾と呼んでいた堤は、この日、比嘉、と呼んでいた。


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