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与えられた命

連日のしとしと雨と打って変わって、秋晴れと
なった先日、モンゴル在住4年目にして、
お初のモンゴル料理を堪能してきました。

その名は「ボードグ」。
一言でいえば、丸焼き肉。

でも、みなさんが思い浮かべるような姿・形
そのままを串刺しにして焼いたものでは
ありません。

ヒツジを一頭潰す。血抜きされ、吊り下げられた
状態で、ナイフで丹念に内臓類が
取り分けられます。

中身が空っぽになった毛皮の袋。そこに炭火で
アツアツに焼かれた焼き石、野菜類、切り分けた
肉類を投入し、袋の口をしばるのです。

フサフサの毛をバーナーで焦げ焦げになるまで
焼き、炭化した表層をブラッシングして落とし、
水できれいに洗い流します。

すると、あらわれる巨大なオレンジ色の「肉袋」。
それにじっくり時間をかけて火を通す。
というなんとも豪快な料理です。

お肉のメニューを作るときは、スーパーや
マーケットで材料を調達するじゃないですか。
きれいに切り分けパックされ、陳列されたお肉。

でも、今回調達したのは、生きているヒツジ。

柵内に囲われているヒツジたちは、自分の運命を
わかっているのか、おびえていて、おしくら
まんじゅうのように固まっています。

客が品定めし、選ばれたヒツジはブルブル
震えている状態。足をしばられて台車に
乗せられ、そこを後にするのですね。

今回は、ボードグ作りの名人が、直々にヒツジを
品定めし、その後、一行は彼の仕事場へ
向かいました。

広い敷地内にゲルがあり、その横に併設された
吊り下げ解体所のテント、使い古されたテーブル、
石を焼いている炭火、そして名人が独自の
アイデアで作った鉄の蒸し焼き窯、それだけの
簡素なつくり。

名人がシャープなナイフで、丹念に肉を
削ぎ落とし、体内から内臓、骨をひっぱり
出していきます。

傍らでは、黒のパーカーのフードをかぶった
補佐役のお兄ちゃんが、はぜる炭火の中で石を
焼き、薪を割り、窯にくべ、お湯をグラグラ
わかし、玉ねぎを切り、と忙しく
動き回る、走り回る!

すべてが見たこともない工程。参加者全員、
スマホのカメラを向けて釘付け状態。

簡素な道具、でも、すべてが揃っているんです。
みるみるうちにできあがった巨大なオレンジ色の
「肉袋」、特製蒸し焼き窯でじっくりと火が
通されると出来上がり!

まさに豪快なモンゴル肉料理。名人とモンゴル人
参加者のママさんが、手慣れた手つきで
切り分けてくれて、みんなで大地に座り、
青空のもと、ほおばりました。

楽しいひとときを過ごし、片付けが終わった後、
吊り下げ解体所テントが目にうつりました。

そこはパチパチはぜる炭火の火も、窯の火も
消え、数時間前の「動」のうごきは跡形も
なくなっていました。

一頭の生き物の命が召された。
でも、そんなことをやってのけたとは思えない
ような簡素な道具たち。それらが今はまるで
何事もなかったかのように放置されているだけです。

一つの命が召されても、時間は淡々と過ぎ、
太陽は沈み、そしてまた昇る。

自分の命が召されたときも、それは同じ。
世界は、宇宙は淡々と進み、なにも滞ることは
ない。

帰宅してから、蹲踞と瞑想をしました。
丹田に集中すると、ヒツジの命を感じたのですね。

あれは、ヒツジの姿をした龍の化身。それが、
らせんを描きながらルートチャクラから
クラウンチャクラをつきぬけて、天へ舞い上がって
いくのを感じたのです。

どれだけの命をもらって、私は生きているの?
どれだけの奇跡が続いて、私は今、ここに
生きていられるの?

与えられた命、無駄にはしない。
私への応援、助けをほどこしてくれている
人たちが雲の渦のように私を取り巻いているのを
強く感じました。

思いもかけず、果てしなく大きな学びを得た一日。
みんなみんな、ただただありがとう。

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