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「努力は裏切らない」の大きな勘違い

わが子の成績がなかなか上がらない…自分の仕事の成果が目に見える形で出てこない…。
何らかの要因で思った成果が出ず、もやもやしてしまうことは少なくないと思う。
その際、よく出てくる言葉が「努力が足りないんじゃない?」という言葉。
確かにやらないとできない、練習が足りないというケースもあるだろう。
しかし、努力の方向性がずれていたり、効率が悪い方法だったりすることもあるだろうに、代替案も示さず「努力が足りない」という言葉は乱暴なんじゃないかと思ったことがある。

「ggrks」という言葉が嫌い

ある知人が「私、『ggrks』って言葉が死ぬほど嫌いなんだよね」と私に言ってきたことがある。
「ggrks」という言葉をご存じだろうか?ネットスラングの1つで「ググレカス」という意味で使われる。

これは、主に、「ネットで検索すれば、大体の場合答えがすぐに出てくる質問」をネット上の掲示板(今でいうならSNSやチャットやLINEとか?今って掲示板って言葉は使わないかw)で安易に質問してしまうときに返ってくる(ことがある)返答である。
要するに「ちょっと調べれば簡単にわかることを安易に他人に聞くな、このボケ!」という意味で使われていると思っていい。

リアルな世界で「ggrks」と言われるケースはあまりないと思うのだが、それでも、あまりに安易な質問をされると内心思ってしまう気持ちはわかる。
「調べるのめんどくさいから」と辞書がわりにされるのはたまったもんじゃないという気持ちもわかる。そして、相手に解説させるというのは「相手の時間を奪っている」ということになるのだ。

ただ、「ggrks」という言葉が嫌いなその人は、ものごとを調べて理解するということに困難を抱えているらしかった。自分なりに調べても調べ方が合っているのか、そもそもどうやって調べたら自分の求める答えにたどり着くのか分からないらしい。
そこに時間をとるくらいなら、知っている人に聞いてしまえば(自分は)楽になるから、つい聞いてしまう。1回聞いてもよくわからないときは、分からないのが気持ち悪いのでわかるまで何度も聞いてしまう…ということだった。

文字は読めても意味が理解できない人はいる

そういえば、うちの子も(今は療育や通級の成果が出てきたので、ある程度調べられるようになってきたけど)、少し前までは「え、そんなことも調べられないの?」って思わず言ってしまうくらいなんでも他人に聞いていた。

それは、文字が読めても言葉の意味が分からないという「音韻認識の弱さ」から出てくるものだった。
(音韻認識については↓に書きました)

学習障害は、日本人の3~5%くらいいるといわれているが、おそらくほとんどの人が気が付かないまま学生時代を過ごし、大人になっているのではないかと思われる。
知能レベルに問題がなければ「読み書きが通常の人の何倍も困難」な状態で普通学級に籍を置いているのだ(通級に通うことはあったとしても、基本的には普通学級にいるってことで)。

これに関しては、努力よりも「その人に合ったトレーニング方法」に出会えたかどうかによって成果が大きく左右されると実感している。2年前は「調べ学習」の宿題が出たら親子で頭を抱えるしかなかったのだが、今は、多少のアドバイスが必要なこともあるけど、自分で調べることは出来るようになったから。
(ちょっとこれ以前の記事ですけど。ここには通級のことは書いてありませんでしたが、うちの子は通級&ビジョントレーニング&作業療法で劇的に変わりました)

「境界知能」って知ってる?

IQの平均は85~110と言われている。知的障害と診断されるのはIQ70未満、らしい(実際にはその前後でも診断が下りるという話も聞いたことはあります)。
で、IQ70~84の人は?ってどうなってるの?ってところは気になる。

「どうしても頑張れない人たち」を読んでいると、IQ70~84の「境界知能」と呼ばれる人たちは、日本では約15%ほどいるようで、その人たちの特徴として

・見る/聞く/想像するという「認知機能」が弱い
・見通しが弱い(先のことが想像できない)
・堅実な目標が立てられない

という特徴があるのだそう。

そういう人は、勉強や仕事に対する理解も困難なので、自力でネットで調べて解決…となると、ハードルがめちゃくちゃ高くなってしまう。
だから、もし、あなたにあれこれ質問してくるあの人…もしかしたらその「15%」の人なのかもしれない、ということを念頭に置いて答えた方がいいのかもしれない。

「自分で調べて必要な情報を得る」というのは、誰にでも出来ることではないのだ。

「〇〇が出来ないのは努力が足りない」から?

努力で成果を勝ち得た人は少なくない。しかし、努力しても思ったような成果を得られなかった人も少なくない。
「努力で成果を勝ち得て生きて来た群」から見れば、努力しても思ったような成果が出ず凹んでいる人を見ると、「努力がたりない」「やり方が悪い」「工夫が足りない」「もっと効率的にやれば」とあれこれ言いたくなるのだろう。

それね、あなたが「出来る人」だからわかるの。叱咤激励のつもりで言っているのかもしれないけど、それ、あなただから出来ることだから。出来ないひとからすれば、その言葉自体が呪文のようだから。(で、語気は強いので怒られているということだけは伝わるのw)

それを言うなら代替案を教えて。あなただから出来る代替案じゃなくて「私」でも出来る代替案を。
もし、「私」でも出来る代替案を示せない、単なる叱咤激励ならマジでいらないから。

みんな、その人のその瞬間の最善を選んで生きているの。あなたには理解できないだろうけど、みんな「私」の「今」の最善を選んで生きているの。

あなたから見たら、努力が足りなかったり効率が悪いのかもしれない。それでも「私」は精一杯生きていることだけは忘れないでほしい。

「努力は裏切らない」はある意味正解

「努力は裏切らない」という言葉を使って「努力は裏切らないから頑張れ」と言う人がいる。
あながち間違ってはないのだが「努力が目標と直結するとは限らない」という前提条件がすっぽり抜けているのではないかと思うことがある。

努力と目標を直結させることは、一時的なモチベーションアップにもなるし短期的には成果が出るのかもしれない。しかし、最終目標に到達できなかったときの精神的なリスクもあり、私は危険だと思う。
使うとすれば、「明らかに達成できそうな短期的な目標」に限って、努力をすれば出来るよと激励しながら見守ることは出来るだろう。そう、「努力」は即効性ではなく遅効性ということを理解した方がいいのかもしれない。
そして、努力はその時の自分が描いていた未来とは違う方向で実る可能性も少なくないということを。(ン十年前のあの時の努力が今になって実を結ぶ…ってこと、あるでしょ?)

「努力すれば出来るようになる」は呪いである

そういう観点から言えば「頑張れば出来るようになるよ」という励ましは呪いの言葉であるとさえ思う。
あなたは頑張れば出来たことでも、みんなが出来るとは限らないんですけど?持って生まれた素養が違えば、頑張り方も頑張るところもちがうんですけど?

自分の子を育てていて感じるのだが、いや、本当に、「みんなが出来て当たり前のことで困難を抱えている」ってのは辛いんだなということをしみじみと感じる。「なんでそこ頑張らないの?」って思ってしまうもの。

でも、頑張っても出来ないものは出来ないよね。そこで努力を強要するくらいなら、目標を修正して、違う方法をためしてみて…当初描いていたものとは違うかもしれないけど、その時自分が達成しうるものを達成した方が長い目で見たらいいのかな、と思うよね。

努力を強要する前に代替案を示せ

世の指導者や上司と呼ばれている人は、相手に努力を強要するよりもその人のパーソナリティに応じたやり方を提案する方が先なのかな、と思うことがある。
頑張れって叱咤激励されても頑張れない人もいるし、調べればわかることだと思っていても調べることが困難な人もいる。
「その人なりの背景があることを前提に話が出来る人」が本当に有能な人だと最近感じるようになった。
相手のパーソナリティを鑑みながら、相手でも出来る方法を提案できる人に私はなりたいと思っている(なれているかどうかは別問題よ)。

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