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記憶は身体に刻まれる: 『ワンダヴィジョン』に餞を

ついにこの日が来てしまいました.来てほしいような来てほしくないような,そんな思いで待っていたこの日,3月5日.Disney+ ドラマシリーズ『ワンダヴィジョン』最終話配信の日.泣きましたそれはもう泣きました.膝に乗っていた飼い猫が逃げ出すほどに号泣しました.

今日は『ワンダヴィジョン』最終話 (第9話) を受けて,感想と私なりの解釈,そして先日の記事で提示した仮説と予測の検証を行いたいと思います.
完全にネタバレありなので,これから見ようという方はご注意ください.

最終話の感想

正直に言って,「え,そうなるの?」と思ったところもなくはありません.ちょっとご都合展開かなぁと思うところもありました.モニカが急にニセトロを制圧できたり,白ヴィジョンが急に「説明」を求めたり,S.W.O.R.D. の長官という地位にあるヘイワードがあっさり逮捕されたり (その辺はウーの手腕ということでしょうけども).

しかし,そんなことは些細なもので,スカーレット・ウィッチの「誕生」とヘックスの「解消」に伴うドラマ,そして最終話にしてついに本格展開したバトルシーンなどは,MCU 真骨頂という感がありました.

上にも書きましたが,ワンダとヴィジョンの別れのシーンは,堰を切ったように涙があふれてきて,嗚咽交じりにひっくひっくしていたら,膝に乗っていた我が家の猫が「なにごと…?」と言う顔で慌てて飛び降りていきました.ヴィジョンの「私は何者か」という問いに対するワンダの回答が素晴らしすぎて,本物の愛を見たように思います.

「記憶」と「身体」

あまり単純化しすぎるのもよくないとは思うのですが,最終話を見て,このドラマは「記憶」をめぐる物語だったのだなという解釈にたどりつきました.少なくとも,いくつかあるテーマのうちの一つではあったのではないかと思います.ワンダのトラウマ的記憶をモチーフにしたと思われる CM シリーズは象徴的ですし,ワンダによって演者にさせられていたウェストビューの人々は「本来の自分」の記憶を一時的に失っていたわけです.拡張したヘックスに自ら再び突入する際のモニカの「覚醒」シーンにも,彼女の記憶が大きく関わっていました.

特に印象的だったのが,ヴィジョンのセリフ.白ヴィジョンと対峙した際に放ったものと,ワンダとの別れ際に語ったことば.なぜ「シンセゾイドの記憶は簡単に消えない」のか,なぜ「声から生まれ肉体を持った」後に「記憶」を持つに至ったのか.「テセウスの船」への言及の中でヴィジョンが言った「腐敗は積み重ねた記憶」ということばも印象的です.白ヴィジョンの「記憶はない」に対してヴィジョンが「だがデータはある」と返したところも重要です.

これらが表しているのは,「記憶」というものが単なる脳やコンピュータに蓄積された「データ」「情報」なのではなく,その「データ」を蓄積するプロセスそのものを含めた身体的な経験の集合体だというという捉え方です.そうでないならば,ハードディスクのデータを消去するように,シンセゾイドの記憶も簡単に消去できるでしょう.そうでないならば,「船」というモノに対して「記憶」の話をするのは筋違いでしょう.そうでないならば,「声」だけであったジャーヴィスの時代から,「記憶」は存在していたはずでしょう.

少し話は逸れますが,私の大好きなドラマの一つに,『ケイゾク』という作品があります.

私くらいの世代の方は恐らくみなさん名前くらいはご存知だと思うのですが,堤幸彦さんが演出を手掛けた,もう20年以上前の作品です.そしてこの作品は10年の時を経て『SPEC』というドラマに継承されました.

無論『SPEC』も大好きです.いつか『ケイゾク』と『SPEC』の話も記事に書きたいと思いますが,ここで取り上げたいのは,『SPEC』の「記憶」にまつわるエピソードです (以降の内容は『SPEC』のネタバレを含みますのでご注意ください).

『SPEC』のドラマ終盤に,主人公の一人である瀬文が記憶を操作する能力者 (SPECホルダー) によって記憶を奪われた (改変された) のち,もう一人の主人公である当麻の力も借りて記憶を「取り戻す」シーンがあります.どうやって取り戻したのか? ここに,「身体」が関係してきます.瀬文の記憶は単なる脳の中の情報ではなく,「痛み」や「臭い」などと共に体中に「染み付いて」いる.瀬文はその痛みや臭いをトリガーにして,敵対する能力者によって封印・抑制されていた本来の記憶を見事に引き出すことに成功します.

ちなみにこの件を含め,ドラマ『SPEC』には哲学者メルロ=ポンティの議論を彷彿とさせる,「身体」と「こころ」の関係性に関する描写が散見されるように思います.「記憶」も含めて,いかに我々の「こころ」が「身体」と不可分なものなのかということを,いくつかの「装置」を使って描き出しているように思うのです.

今回『ワンダヴィジョン』から受けた印象も,それに類似したものがありました.

仮説と予測の検証

前回の第8話を受けて,こんな記事を書いていました:

ここで提示した私の「仮説」は,「なぜヘックス内の様子がテレビ放映されていたのか」という「謎」に対する回答だったのですが,記事内でも書いていたように,この「謎」については特に答えは用意されていない,というオチでしたね.あーやっぱりそうなのかーという少し残念な気持ちにもなりましたが,私が立てた仮説が特に劇中では語られない「裏設定」的なものだったと信じることにします.

また同記事では,物語の展開や細かな「謎」について,3つの予測を提示していました:

1. ニセトロの正体
2. ドッティの正体
3. 二人のヴィジョンの今後

1 は「なぜキャストがエヴァン・ピーターズだったのか」問題で,私は「単なるファンサービス」だと予測していましたが,これは正解だったと言ってよさそうですね.あの世界の中ではラルフ・ボーナーという「誰でもない」単なるウェストビューの住人だったということでよさそうです.

2 については,ドッティは「どう考えても単なるウェストビューの住人ではない」と言っていましたが,彼女もまさかの「単なるウェストビューの住人」というオチでした.大外れです.これはかなり意外でした.

3 についてですが,何らかの形でヘックス内のヴィジョンの「精神」あるいはプログラムが白ヴィジョンに移植されることでヴィジョン復活となるのでは,と予測していましたが,これは半分くらいは当たっていた感じですね.実際は,白ヴィジョンに「眠る」記憶をヘックスヴィジョンが「呼び覚ます」ことで白ヴィジョンがヴィジョンになる,というような流れでした.そのまま白ヴィジョンはどこかに飛んで行ってしまいましたが,今後何らかの作品で登場することは間違いないでしょう.ワンダと再会して幸せになってもらいたいですね.

おわりに

上にも書いたように,ちょっとすっきりしないところも残る作品でしたが,それを補って余りあるほどに毎週楽しませてもらいましたし,何よりワンダのまだまだ未熟がゆえに力を持て余してしまう危うさ抱える大きな悲しみとが,ヘックスという装置によって見事に表現されていた作品だったと思います.

MCU 版スカーレット・ウィッチのオリジンの物語として,マインドストーンに依存しない新生ヴィジョンの誕生の物語として,そしてワンダとヴィジョンの愛の物語として,笑いあり涙あり興奮あり謎解きありの,素晴らしいドラマでした.

ロスの感は半端ではないですが,まだまだ余韻に浸っています.素敵な8週間をありがとう!

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