見出し画像

【ひっこし日和】9軒目:テラスハウス

中野のマンションが手狭だったので、同じ学区内のテラスハウスに母と妹と三人で越したのだが、なぜだかこの家のことはあまり覚えていない。家のことなんかより、危うい友だち関係や恋愛やまともに勉強してこなかったために危機的状況にあった受験のことで頭がいっぱいだったのかもしれない。
いや、嘘です。受験のことは全然頭になんかありませんでした。

成績のことは書くのも恐ろしい酷さ。勉強にうまく興味を持てなかった。学びたくないのではなくて学びたい気持ちにさせてくれる先生がいないし学びたいと思える魅力的な授業がない。平気でそんな生意気なことを言っていたぐらいだから、かわいくなかったことと思う。厳密にはいくつかのタイミングでいい授業だと感じたことがあって、その先生方のときは必死に学んだのだけれど、転校ばかりだったからそれも長つづきしなかった。

そんな中で唯一興味を持てたのは英語だった。ちゃんと話せるようになりたくて、外国のお客さまが多い飲食店でアルバイトし、どこかの本屋で勧誘された駅前留学的な英会話教室にもかよいはじめた。ただ、これがなにを間違えたんだか高校生なんかひとりもいない大人の学校で、周りの生徒は社会人やおじさんばかり。でも同世代とうまくやれないわたしにはちょうどよい場所だった。先生は授業によって替わるのでいろんな方がいたのだけれど、その中にあの太ったおじさん先生がいた。

名前が全然思いだせない。たしかジョージとかそんなような名前だったはずだ。ジョージは元気で冗談ばかり言う先生だった。コロコロ笑ってOKOKと言い、ちょっと文法を間違えてしまっても「大丈夫、テストではバツつけるけど伝わってるよAyumi、言葉は伝わることがだいじだよ」というようなことを英語で伝えてくれた。そのうちわたしはジョージの授業を優先的に取るようになった。

ある回の授業で彼の出身地がミネソタであることを知り、そこからわたしの気持ちは一気にミネソタにもっていかれた。「大草原の小さな家」という物語の舞台にもなった場所で、ジョージは「田舎でなんにもないところだけど、日本のように四季があるから景色が変わるのが美しい」と説明してくれ、授業のたび少しずつミネソタについて教えてくれた。

それはわたしにとってはじめて身近に感じられた外国だった。ほんとうに何もない田舎かもしれなくても、どうにかミネソタに行きたいと思った。

そのころちょうど高校で短期留学生を募っていて、行き先はミネソタじゃなかったが英語が話せる国ならこの際どこでもいいと思い、応募してみた。すると、成績のよい生徒しか行けないのになぜお前が応募してきたのだというようなことを担任に言われた。わたしは応募する機会は誰にでもあるはずだと食い下がり、校長面接を受けられることになったが、やっぱり結果は不合格だった。受からなかったことではなく、自分が対象者じゃないと言われたことが思ったよりこたえて、わたしはそこから高校にほぼ行かなくなった。

そういうことで心は折れる。

とたんに、自分が英語なんて話せるようになっても無意味だと思うようになった。英会話からも足が遠のきそうになったとき、ふと母が、上海に行ってみない? と誘ってきた。

当時母は上海との貿易の仕事をしていて、わたしも母の会社の人に会ったり家族で上海に招待してもらったりしていたので、まったく知らない場所じゃない。特に上海に住んでいる仇(きゅう)さんとは日本に来るたび会うような仲だったので、仇さんがいるならひとりでも行けるかな、と思った。

そんなわけでわたしははじめて一人旅をすることになった。はじめての一人旅は自分なりに冒険に満ちていたのだけれど、ずっと仇さんがアテンドしてくれていた安全旅だから、深夜特急が書けるようなネタはひとつもない。ただ、ひとつ忘れられないことがあるので書いておこう。

その前に仇さんなる人物だが、顔は大平シローにそっくりで、日本語はぺらぺら。なんだっけ、劇団ひとりが中国人の物真似をしていたのがなかったかしら。あの話し方にそっくりなのよね。「わたし中国あんまりシュキではないよ。日本の未来、それすごいと思います。わかるね? 今中国日本追い越すの無理、日本しゅばらしいですよ」ってな話し方だけど、かなり繊細な言葉も理解できるし日本での仕事もなんの問題もない。

ただ、仇さんは口が悪いのだった。自分だって上海出身なのになぜか中国をとても嫌っていて、「中国人は馬鹿だから」が口癖だった。しかも北京語以外の言葉を使う中国人をさらに馬鹿にしており、店員が上海語で話しかけたりするとわからないフリをする。なのになぜか結婚や恋愛の話になると日本の男をこき下ろし、中国の男と結婚しないお前は馬鹿ですねと言われた。

さて、その夜は確か旅の最後の日だったのではないかと思う。仇さんの友人カップルと4人で一緒に食事をすることになり、高価なレストランに連れて行かれた。やってきたのは、なんだか超普段着の冴えないおじさんと、モデルのような美しい女性で、えええ、これがカップルなの? 冗談? と思った。

食事が進んでいき、不意に仇さんが二人に中国語で何か話した。それまではわたしにもわかるように日本語で解説してくれたり英語にしてくれていたのでなんだろうと思っていると、「ふたりがどんなふうにつきあってるか聞きました」と言う。どういうこと? と返すと、「中国では、男稼ぐ、女オシャレしたりかわいくしたりする。それ常識でしょ。女は金かかる、メイク、バッグ買って、洋服いいの着るでしょ。男はそれさせるのステータス。きれいな女連れて歩く、金持ちの男当たり前のこと」と、仇さんは言った。

可笑しそうにカップルは笑い、男性の方が彼女にお小遣いを渡していることや、それでキレイになってもらったら自分も嬉しいということを話し、女性はお金がないと整形もできなかったからよかった、お金がある人とつきあわないと美しくなれない、と言った。

衝撃的だった。
ええ、こちらまだ純な高校生ですもの。

人からお金をいただいて整形するとか意味不明。何それ意味わかんないと言うと、「あゆみは子ども、いずれわかる、中国の男と結婚しなさい」と言われた。仇さんは本気でそう考えていたらしく、この後もたびたびお見合いするよう勧めてきた。大学の先生を候補にあげてきて、「文章書きたいんだったら大学で勉強もすればいい。何も不自由ない」というんだからかなり真剣だ。わたしのことを自分の子どものように思っていてくれたから、幸せになってほしいという願いがあってのことだとはわかっていたけれど、それにしてもいやいや無理無理。

仇さんはわたしに彼氏ができるたび「そいつの年収はいくらだ」と言うもんで、喧嘩になったこともあったけれど、これこそ国の違い、文化の違いということなのだろうなあと勉強になったのはたしか。いや、中国って本当にそういう国なのかっていうのは全然知らないんだけどね。

お見合いぐらい、しとくんだったかなあ。ネタに。

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?