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【新・資本主義をチートする09】 ネットという増幅装置は諸刃の剣である


 レバレッジという言葉を聞くようになったのは、ここ10年くらいでしょうか。それまで、

 キリンベバレッジ

くらいしか知らなかった私ヨシイエにとっては、ジューシーで新鮮なことばに聞こえましたが、実はまったく無関係のことばのようです。

 ベバレッジは「飲料」つまり、飲み物です。

 レバレッジは「てこの原理」を意味する言葉だとか。


 さて、このレバレッジ、主に「FX」などの経済取引が流行するようになって、ちょっとカッコいい横文字のような使われ方をしていますが、要するに

「少ない証拠金で、たくさんの取引をすること」

を意味します。FXにおいては、たとえばここに10万円の預け金があって、それに対して10倍の100万円分までの売り買いができますよ~、なんて使われ方をしますが、実際の持ち金が10万円しかないのに100万円儲ける事もできる反面、負けてしまうと

10万円しかないのに、「100万円支払え!いますぐキリキリ払いやがれ!」

という恐ろしいハメになることも意味しています。


 思えば、てこの原理をつかって「少ない証拠金でその何倍ものお金を動かせる」ということはすごいことで、ローンの頭金なんかもそうですが、ある意味人類史上における大発明の一つとも言えるでしょう。

 なぜか。

 私は、もう40年以上も続いている小さな会社の役員をしていますが、うちの会社がとある取引先から商品を仕入れる場合、その昔であれば「保証金」というものを積む必要がありました。

 今はあんまり「保証金」についてうんぬん言わない会社も増えていますが、ある程度規模の大きい取引などでは「保証金」という概念が登場することはよくあります。

 これはどういうものかというと、まずうちの会社が300万円分のお金を仕入先に預けます。そうすると、その会社から「300万円分までは仕入れることができる」というものです。

 庶民、貧民の感覚から見れば、「なあんだ先払いじゃないか」と思うでしょう。その通りです。ベタな言い回しをすれば「保証金を預けるとは、先払いをすること」みたいなニュアンスで大きな間違いではありません。実際には、保証金は預けているだけで、商品を買うと商品代もちゃんと払うので、二重払いみたいになる、もっとややこしいものですが・・・。

 さて、裁判とか、強制執行をすると、「供託金」というお金を預けなくてはなりません。

 これはどういうことかというと、お金を支払わなくてそいつから100万円取り立てたい時に、決まった額を裁判所に預けなくてはならないという制度です。

「金も返してもらえないのに、その上まだお金を取られるんかい!」

と思うでしょ?そうなの。取られるの。

 その供託金は、強制執行をする執行官の給料になります。つまり、「執行という仕事をするんだから、給料は先払いしてね」ということです。

 え?執行官の給料までこっちが払わなきゃならないの?

と誰もが思うかもしれませんが、その通りです。その分は、後で債務者から取り立てて、取り返せばいいじゃない、ね?とりあえず先払いしてよ!ということです。

 この場合、債務者がお金を持っておらず、裁判費用も執行費用も取り返せない場合、どうすればいいのでしょうか?

 それはもう、泣き寝入りですね。

 裁判して、執行しての泣き寝入りは、もはや文句を言いにゆくところがありません。悲しいけれど。


 まあ、こんな風に、世の中の基本的な仕組みは全部先払いで、先に支払った分しか物事は動いてくれないのが当然だったのが、レバレッジという概念によって

「少ない現金しかないのに、大きな物事を動かせる」

ようになりました。住宅ローンの頭金もそうです。これは資本主義のしくみにおいて、大発明と言えるでしょう。


 さて、このあたりからテーマをネットに変えてゆきましょう。

 ネットでバズる、ということを誰しも少しは経験したことがあるかもしれません。何気ない面白ツイートが何万回もRTされたり、ちょっと書いた記事がたくさんのPV、アクセスを集めたりすることはよくあります。

 その意味で、ネットという装置は巨大な「レバレッジ」機能を有していることがわかります。自分ではなかなかコントロールできませんが、僕たち私たちのことばや思考、アイデアなどをてこの原理のように

「爆発的に世の中に広めることができる」

という利点があります。

 少し前までは、この機能はテレビ、ラジオ、新聞などの「既存メディア」にのみ与えられていて、私たちが何かの著作物や、意見表明を広めようとする場合は、この既存メディアに乗っからないとダメでした。

 しかし、テレビに出たり、雑誌に載ったり、刊本が出版されれば、そこでレバレッジが利きますから、有名人になれたり、ベストセラーになったりすることができたわけです。

 ところが、既存メディアの場合は、まずそこに乗っかる必要があり、乗っけてもらう必要がありました。

 それに対して、現在のネットにおいては、誰の力をも借りずに、個人が個人のままで自らのコンテンツをバズらせることができるようになったわけです。


 このように、ネットは増幅装置です。巨大なレバレッジが意図せず自動的にかかる拡大鏡やレンズのような役割を果たします。

 それを「有用なこと、よいこと、役にたつこと」に生かすことができれば万々歳ですが、残念ながら

意図せず真逆の方向へ作用する

ことがあります。だからネットは諸刃の剣なのです。


 先日も、ネットにおける誹謗中傷で、一人の女性が自殺に追い込まれたそうですが、憎悪やヘイト、言いがかりなども、レバレッジが自動的にかかり、爆発することが生じます。これもまた、コントロールできません。

 誹謗中傷は「根拠のない、本筋とは無関係の嫌がらせ」の意味で用いられますが、ネットにおいては「正しい、まっとうな批判・指摘」だって爆発させることができます。

 もし、あなたが発言したことが、まっとうに「それは理論的に間違っている」とか、「あなたの考えは、このように否定できる」とか、「これは学術的な批判・批評である」とか、完全に正しいものであったとしても、それが数万人から押し寄せることを想像してみてください。

 「デブ」とか「ハゲ」といったいわゆる非論理的な誹謗中傷でなくても、正しい批判であったとしても、それがレバレッジによって爆発させられたものが、一気に押し寄せるとしたら、これはものすごく恐ろしいことかもしれません。

 まず、普通の神経の人は耐えられないでしょう。それが正しい批判であれば、なおさら耐えられないものになるかもしれません。

「おまえは完全に間違っている」

と完膚なきまでに叩きのめされるのですから。


 ではどうすればいいのか。

 実は人類はまだその答えにたどり着いておらず、ネットという大発明をまだ使いこなせていないのだと言えます。先ほど、「コントロールできない」と書きましたが、ネットのレバレッジ性をコントロールできるようになることこそが、新しい発明になるのかもしれません。


 ただ、個人レベルでできることはあります。それは、一番安全なのは「ネットを利用しないこと」ですが、さすがにそれは無意味なので、

「ネガティブなこと、マイナスなこと、誰かを貶めること」

に参加しない、というマイルールを定めることです。

 ネットのレバレッジ性を

「ポジティブなこと、プラスなこと、誰かの役に立つこと」

に注目して使用する、その反対の事象には参加しない、と決める人たちが増えれば、あるいは少しはマシになるかもしれません。


 ただまあ、正しい批判をしている人は、それが「ポジティブでプラスである、社会の役に立つことだ」と心から信じていますので、なかなかそのあたりはすぐにはうまくいかないでしょうね。

 


 



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