SonnyBoy12話考察「Don't Say Goodbye 〜〜〜!!!!!」
ついにSonnyBoyが終わってしまった。
それに対して、「続いて欲しい」「いや終わらないといけない」、
色んな想いが渦巻くのは、この作品でも描かれていた。
それは12話の途中で映るこの「SonnyBoy」そのもののカット集からも見て取れる。
そうして、この映像が出てきた背景を紐解くことで見えてくる、
・何故この作品に現代物理学が必要だったのか。
・何故、長良は希との約束を果たせず、希と朝風ENDになってしまったのか。
・監督の言う「前向きな答え」とはなんなのか。
この謎の正体について、考察し紐解いて行こうと思う。
順を追っていかないとわからない
12話は、11話ラストの続きではなく、いきなり帰った後の世界が描かれる。
そこは1話のような快晴ではなく、雨模様。
空を見上げると電柱(=一番現実を感じられる構造物)が。
これは「serial experiments lain」のカットに近いと思うと同時に、この2作はメッセージ性が近いなと思った。
lainでは最後、主人公・玲音がこの世界を肯定して見守る存在になった。
つまり、まずlainとは、
「”天使の実存”をPC、ネットを駆使して証明しようとした作品」
で、彼女がいるから僕らは生きられるという実感を与えてくれる作品だと思った。
一方SonnyBoyでは、長良と視聴者の関係はシンクロしている。
それはこの作品の登場人物達と同じ漂流体験を、アニメを見ているという、体験と被せて視聴者側と共有させていることに等しい。
そうして、希がいたから変われたこと、そうして序盤のシーンで帰ってきた現実がロクでもないけど愛しいことを見せることで、視聴者も長良と同じく、やるせない感じを抱えながら現実に帰っていくようになっている。
だが最後に、長良は自分の人生(=見てる側の人生)を肯定する。
それは、「向こうで合ったことを引きづらない、自分がここにいることを認められる」というラストになっているから、見ているこちら側もまた同じ境遇を抱えていると、とてつもなく胸に刺さる。
とにかく序盤は、遂に帰ってきたということで、これでもかと普通の街を見せる。
でも、それを喜ばしい・明るい感じの色使いでは表現しない。
一つに、道行く生徒の傘の色が白、グレー、黒とモノクロの色調のものしかない。
街の色合いも、雨の暗い感じで統一されている。帰ってきても嬉しくない長良の心を映す演出とも言える。
学校
校門が映るがどうやらあの白糸第二中学とは違う。
あらすじを見ると
「憂鬱な雨が降る中、工業高校に通う2年生・長良は、2学期の始業式に出席していた。漂流のことなど、まるで知らない周囲の様子に、居心地の悪さを隠せない長良。瑞穂とも再会するものの、冷たくあしらわれる。あの漂流は、本当に起きた出来事だったのか……。真っ暗な部屋にひとり帰り、針がくるくると回り続けるコンパスを見つめながら、長良は宇宙に飛び出したその後の出来事を思い出す。」
(出典:Sonnyboy公式ページ、Storyページ、12話あらすじより https://anime.shochiku.co.jp/sonny-boy/story.html)
どうやら長良は、工業高校の2年生から人生再スタートになったらしい。
漂流しなかった世界での長良は工業高校を選んだ。
もし中学三年の頃に戻れていたらどうしていたのだろうか?
ただ、どんな結果であれ、彼の現状(家庭崩壊)からするにそこまで取れる選択肢は多くなかったのだろう。
まさしく、起こりうることしか起こらない。
ただ、チラリと映る校門の石碑には、
一. 一. 一.
敬 誠 自 綱
愛 実 律 領
と刻まれている。
これは、1話〜12話で長良が得たものそのものと言える。
見過ごしてしまうような石碑、気にもとめないような文言であるが、それが大事だったことをこの作品では伝えて来たのである。だからこそ、僅かなカットでも見せる必要があったのだろう。漂流世界であったことは失われていないということを。
次に学校の予定ボードが映る。25日の始業式。
そうして今日が始業式であることが生徒の並びで分かる。
そこには髪が短くなった長良が。キャラクターデザインの変化。11話ラジダニのセリフ「実際の彼女は、絵ほど美人じゃなかった。」が思い起こされる。
変わったカガくん
始業式が終わり、教室ではなんとあのカガくんと話をしているのである。
「なぁ、夏休みどっか行った?」
「どこも。ずっとバイトしてたよ。」
「へぇ〜、いいじゃん。お金いっぱい溜まったろ〜?」
軽い感じになったカガくんを見て長良は微笑む。
何者にもなれなかったカガくんもこの世界では普通の高校生に。
漂流世界においてカガくんは無能力ゆえに何者にもなれず彷徨い続けた。
長良も能力がなければ、加賀くんになっていた可能性はあった。
長良にとって加賀くんは自分に近い存在だったのだろう。だから起こり得ることしか起こらない世界(後述)にて友だちになったのだろう。
「俺んちはハワイに行ってきたんだ。」
そう言って、カガくんはハワイ旅行の際の島の写真を見せる。
そう、あの加賀くんが元の世界でも変われたのは、家族がいたからである。
見ている側の中にも、なんだかんだ友達はいなくても、家族が面倒見てくれてる人はいるんじゃないだろうか。
ありがたいと思っていても本音ではありがとうと言えない、親がいてくれるおかげでしょうもないことを悩めてる自分がなんだか情けなかったり幸せだったり、色々思うことができる。
ただ、長良には最後のセーフティネットである家族がない。
どんな人にでもあるセーフティネットを一つ一つ外していくと、最後に長良がいる。
だからこそ、最後に長良がそんな人生を肯定するとき、自分もまたそれを肯定できるような気がした。
「ハテノ島…みたいだね…」
長良は一縷の望みをかけて加賀くんに漂流のことを尋ねる。
「ん?何言ってんのお前?めちゃくちゃ海が綺麗でさ〜潜ったら魚がいっぱいいて感動したよ。」
だが、覚えていない。
だけれども一つだけ救いが有るとするなら、加賀くんもまた5話の釣りシーンの希・長良と同じく魚群を見つけた。
つまり光を見つけたのである。
やはり、長良と加賀くんは表裏一体だったのかもしれない。
あの世界で長良が加賀くんになっていた可能性もあったのである。
それでも、長良があの世界で能力をもった、神に「観測者」として選ばれたのは、
何も持っていなかった(友達も家族も)ということなのかもしれない。
現実を受け入れられない
授業シーンに移り、そこではどうやら交流回路と、複素数「j」の文字があることからインピーダンスの部分なのだろう。
(回路図にコイルやコンデンサがあるみたいなのでRCL直列回路のところをやっているようだ。実に実践的)
そうして放課後、雨に濡れ続ける何の魅力もない元の世界のカットが続く。
その途中で見慣れた校門が映り、長良がどうやら現実の白糸第二中学を訪問したことがわかる。
だが、そこにはもう自分が知る人達はいない。
校舎の渡り廊下、女子生徒が男子生徒に後ろから肩をたたいて話しかける。
それと韻を踏むように次のカット、これまたなんと、こだまとやまびこが映る。
そうか。6話でやまびこが言っていたことから、やまびこ・こだまは長良が卒業した年に入学で、この二人今は中学二年か。
こだまは声を掛けずに肩を叩くだけ。やまびこは振り向くも、こだまとは反対向きになって顔が分からが、振り向くとやまびこが微笑んでいるのを見るに、彼は大体検討が付いてたのだろう。
このカットだけで、こだまとやまびこが友達なのが分かるのがたまらない。
恐らく最初にこだまが話しかけても8話みたいに、やまびこはぶっきら棒な返事しかしなかったのだろう。それでもこだまは何とか距離を詰めていった。
恐らく、やまびこもまた8話のように忠犬にはならず友達になれたのだろう。
今度こそ、やまびこはこだまを幸せにしてほしい。そう思ってしまう。
8話で散々見てきた二人の辛い関係がこうして最後にはいい感じで続いてくのを見れてよかったんだわね。
だが、そんな二人に気づくこともない長良。
8話では話を聞いても、二人の顔は実際に見てないわけで…
つまり、視聴者側と長良で見てきたものは違うという線引きがあることに、ここで気がつく。
長良には、この世界の中にも自分が守ったものがあることに気が付けない。
それは視聴者側だけが知っている。
それは作品を作る側の目線の配置というか、神の視点といえば良いのか、そういうものでどうしても登場人物と視聴者側に開きがある。メタ的。
ファンサービス的なものを入れようと思えば、長良が二人に気づくシーンは簡単に入れられる。
でもそうしない。この徹底した線引の残酷さこそが現実に帰ることなんだと思い知らされる。
だからこそ、これはどうしても長良自身の物語でもあることになる。
長良、死ぬんか…?
そして職員室にて、教員に話を聞く長良。
恐らく長良はここで、瑞穂や希の行った高校がどこか聞いて回っているのだろう。
その最中、3年のころの担任と目があう。
先生も「こいつは来ないだろ」みたいなやつが来たら見るよね。
そうして、長良は瑞穂の学校まで来てしまう。下手すりゃストーカー。
よく見ると瑞穂の進学先はどうやら女子校のようだ。
女子校とほぼ男子校の工業高校。
二人が選んだ世界が離れていっていることを示しているのだろう。辛い。
一人で女子校に来てしまった長良。一歩間違えばヤバいヤツ。
その目線の先には女子二人。
そこに瑞穂が一人、漂流当初のようなムスッとした感じで歩いている。
やっと見つけた瑞穂にウキウキで話しかける長良。
「ねぇ、瑞穂!」
「はぁ、誰?」
どうやら覚えてない様子。それにしても瑞穂の言い方はやっぱり、いちばん男子に突き刺さるエグみがある。
「ごめん、人違いだった。」
そうしてトボトボと一人帰る道中、向こうから人がブツかってくる。
そんなロクでなしの大人にも何も言えず、逆に謝罪してしまう長良。
そうしてロクでなしが過ぎ去った後に、長良は傘を下ろして雨に打たれながら
「漂流なんて本当にあったのかな?」
そう呟く。それは自分が漂流世界で前向きになれたはずなのに、ここに来てもおっさんに何一つ言い返せない。自分が変われたような気がしない。
それはまるで自分がアニメを見終わって、感動やら発見で何か変われたような気がしても現実ではいつも通りの日常しかないことに虚しさを感じてしまうのと同じだと思った。
まさしく見ている側は漂流していたのかもしれない。
それを裏付けるように、バイト先でもまた理不尽にキレられているようだ。
そうしてゴミを軽く蹴飛ばしてしまう。そんな長良を見つめる女の子。
彼女がどういう立ち位置の登場人物なのかはよくわからない。
「辛くて一人な、そんな君でも見ている人はいるよ」という細やかな希望か。
そんな絶望の中、長良は駅のホームにて雀の巣を見つける。
そして目線を前にやると、これまた髪型が少し違うが、そこには確かに希がいる。
(個人的には現実世界の希の方がカワイイ印象があってなおさら辛い)
彼女も気づいたのかこっちに寄ってきた。
だがすれ違う。
間違えて恥ずかしい思いをしてしまうヤツ。あるある。
振り返るとそこには朝風が。
「遅かったねぇ、待ったよ。」
「いやぁ、またバスケ部の奴らに助っ人頼まれちゃってさあ。あいつらほんと現金だよなあ。」
そこには、愚痴を言ってそうだけど実はいうほど嫌味のない感じで語る朝風。
普通に心までイケメンになっちまったか?
そんな折、希が見られているのに気づいたか振り返りこっちを見る。
そうして長良はそんな幸せ空間に居られなくなり、目を反らして帰る。
6話と全く同じ構図で、上手側(後ろ向き)に歩き出す。
BSS(僕が先に好きだったのに)は吐く。
NTRという人もいるが、そもそも長良と希は付き合っているような関係でもない。
さらに、現実世界においては、そもそも友達だったという関係すら無い。
漂流世界と現実世界は決定的に違うのである。
10話にて希が死んだ以上、元の世界にて、漂流世界での関係は持ち越せないのである。
そうしてひとり家に帰り、コンビニ弁当(半額、つまり安くなる時間帯を狙ってる)を一人で食べる。あの母親はいるのかな?
ゴミ部屋だったのを片付けたかどうか。それは分からない。
だが一方で希と朝風は、長良がバイトで帰る遅い時間帯にあの駅にいたのだから、それ以前もそれ以降も二人であんなことこんなことをしているのである。
長良は完全に敗北したのだ。
そうして風呂を浴びて、机に向かうと今までずっと読んでいた「ロビンソン・クルーソー」が。
「でも、確かにあったはずなんだ。」
そうして引き出しを開ける。なんだかこのシーンはドラえもんみたい。
漂流世界での希はドラえもんだったんだ。用を終えて帰っちゃったんだよ。
「あの二年間の漂流は…」
引き出しの中にはコンパスが行き先を示さずクルクルと回り続ける。
どうやら能力遺物をこの世界に持ち込めたようだ。
そして、このコンパスは漂流世界の希が能力遺物化したものである。
つまり、いま現実世界にいる希と、漂流世界の希は全くの別ものなのである。
だから、漂流世界から現実世界に帰ってもあの約束
「友だちになろう。絶対に断らないって。」
は持ち越せないのである。
なぜなら、そう言った本人はコンパスになって引き出しの中にいるのだから。
この事実が今回最大のキーとなっている。
11話で、この約束はシュタゲみたいに世界線を超えて伝わるのかなあと思っていたが、そもそも10話で漂流世界での希は死んだのだから、どうあがいても元の世界の希とは違うし世界線を超えないのである。
だからこそ、ラジダニがあれほど強く「希は死んだんだ。」と言うのである。
なので、ラジダニが告げた後に来る回想シーンは、最終回でどんでん返しするための布石ではなく、本当にその約束がもう叶わないことを悲しんで吐き出すための儀式だったのである。
その事実関係を見落としてしまうと、途端にこの物語が中途半端に見えてしまうようになるのだが、実際は超堅実にラストを用意しているのである。
それは、見ている側が向こうの世界に後ろ髪引かれないように、あらゆるものを持ち越さないように、執着をきちんと断ち切れるように。
あの後
そうして、ここから11話の続きが描かれる。
二人はどうやって帰ったのか。そのとき何が起きたのか。
巨大な棒に観覧車のカゴ。
カゴの中には漫画雑誌、ジェンガ、トランプといった娯楽からヤクルト、カレー、飲み物といろいろ散らばっている(ネクタイやタオルが取っ手に掛かっていて生活感も漂う)。
そうして瑞穂はズボンを履いている。長い時間ラフな体勢でいるにはそういうことなのだろう。
だがよく見ると、瑞穂側の席はモノで埋まっていて座れない。座る場所は地べたと長良の隣しかない。つまりああだこうだあったのだろうと妄想が膨らむ。
その中で、コンパスがセットされた何やら羅針盤のようなものがアップに。
すると何かが外れるような音と共に棒が消える。
思わず見上げる瑞穂。
「なんか外れたけど大丈夫?」
「計画通りだよ。ちょうど光の速さを超えたみたいだ。」
長良が見ていたページを断片ずつに分けて記すと
が作ってくれた(ネコ二匹、にゃー)
光年分の棒とゴンドラ
不動の点
②曲がることのない(各文字に点を付けて強調)まっすぐな棒
③回転しつづける(各文字に点を付けて強調)歯車
ゴンドラ
ピタゴラス号
1ly(棒の半径として記載。1光年という意味)
スペース
ハテノ島
185km
光速まで3日間かかる
ランドスケープへ飛躍したら
希のコンパスをジャイロにセットし
自動航行システムを起動する。
ラジダニの漂流ワンポイント
ラジダニのカレー(バケツの絵とゲンとトラ)
つまり、人間二人分の質量を光速まで加速するとなると普通の棒では折れるので、剛体(物理影響を受けない仮想物体)を用いて加速する。
ネコ二匹の絵から剛体・不動点・止まらない歯車といった実世界にはないものがサクラの能力でコピーされたのだろう。
ということはこの能力は概念すらも、形にできるならコピー・持ち込みができるということなのだろう。
つまり、この世界そのものが概念世界、お話の中の世界であるということを示しているのかもしれない。
だからこそコンパスを現実世界でも持ち帰ることができた。
実はすごいことしてます
ここで、このゴンドラの条件は、高校物理に出てくる例題のように簡略化されている。
ここでの条件は、半径1光年(光速c×1年の秒数(365日×24時間×60分×60秒))[m]の剛体棒を使って、ゴンドラを光速cまで加速すると、3日かかるというもの。
このとき、ゴンドラはどれだけ傾いたか。
円運動の速度は
v = rθ / t (v:速度 r:半径 θ:角度 t:かかった時間)
となる。ここでθを求めるように式を変形すると
θ = vt / r
となり、これにv=光速c、t=3日分の秒数、r=1光年を代入すると
θ=(c×60×60×24×3)/(c×60×60×24×365)=3/365=0.008219[rad]
角度に直すとθ・180/π=0.470914[度]
とゴンドラとしては、ほとんど動いていないことが分かる。
実際、このゴンドラで光速のまま移動しても1周するのに2200日程度かかる。
では動いた距離はどうなるか?距離はL=rθより
L=光速c×60×60×24×365×0.008219=77704520000[km]
と今度は実生活においては想像もつかない距離を移動していることが分かる。
ハテノ島はもうとっくに見えなくなっているはずだ。
実際、初めに映るゴンドラの内部の窓には真っ黒な空間が広がる。
だが、次のカットでは青と赤の背景が映る。
これは恐らくカメラ(ゴンドラに追従)でハテノ島とゴンドラが見えるように撮ったとき、赤方偏移が起きたと考えられる。
またゴンドラ船内を映すと、今度は外が真っ暗になっている。
ここでも見る位置によって、見えているものが違う。
最後に外からのカットで、ゴンドラを側面から映すと、棒側が青色で外側が黒と、ゴンドラが光速にまで到達したことを示す色合いとなっている(↑記事参照)。
これは、長良たちの視点と視聴者の視点(神の視点)の分離を感じられるシーンとなっていて、それが後の伏線となる。
「僕たちは違う次元の入り口に来ている。」
「へぇ〜〜…」
「そろそろ準備しようか。」
そう言うと、3つのバルーンが飛び出る。そしてジャイロの座標(回転)を調整する。
このイメージ元は何だろうかと色々調べてみると、「アルクビエレ・ドライブ」という理論がヒット。以下引用、
しかし、物体が運動する空間そのものが光速を超えて膨張することは可能であり、このことは、宇宙という空間が膨張していることが示している。これまでの観測で、銀河が遠ざかる速度は、距離に比例することがわかっている。銀河との距離が2倍になれば、その銀河が私たちから遠ざかる速度も2倍になり、つまり遠くの銀河ほど速い速度で、すなわちある距離からは光速よりも速く遠ざかっている(ように見える)ということになる。これを「ハッブル=ルメートルの法則」と呼ぶ。
これを踏まえ、アルクビエレ氏は、空間そのものを歪めることで、宇宙船が光速を超えて動いているように見せることができるのではないか、と考えた。そして、「ワープ・バブル」と呼ばれるもので宇宙船を包み、その前側で空間を収縮、後ろ側で空間を膨張させることで、ワープ・バブルに包まれた宇宙船のある空間の座標を変えるという方法でのワープ航法――アルクビエレ・ドライブを考案した。
宇宙(空間)の膨張は光速を超えられるため、外(別の空間)から見れば、その中にある宇宙船が光速を超えたように見えるが、その空間の中、つまり宇宙船自体は光速を超えていないため相対性理論には反しておらず、また宇宙船の中から、その外の空間に対して通信などもできないため、因果律にも反しない。
もちろん、これはそう簡単な話ではなく、このような空間をつくりだすためには、ワームホールと同様に負の質量をもったエキゾチック物質が必要になり、またその必要なエネルギー量は、なんと宇宙1個分を超えるほどになるとされた。
そして色々読んでいて、これが一番近いと思った。
(タキオンというコメントもあるが、あれは仮想粒子。二人を光速以上に加速となると、やはり仕組みとしてはまったく違うものになる。)
要約すると、宇宙空間の膨張を使えば宇宙船でも光速度を超えられるので、まずはゴンドラで光速まで加速。
そこから、バルーンで空間を収縮膨張させることで、長良の言う「違う次元の入り口」に到達する。
それは時間の概念を超えた。或いは、元の世界の4次元(3次元+時間軸の1次元)とは違う、「全ての時間が一つになった異次元」へと到達したのだろう。
そこから二人は元の世界へ帰還するため鍵を回して扉を開く。
出る際の二人の足の演技が細かい。
1.まず瑞穂が先に出ようと右足がちょっと浮くが踏み出せない。
2.それに対して、長良が臆せず踏み出す。
3.そうして瑞穂もそれに合わせて一歩を踏み出す。
長良に迷いは無いが、瑞穂はどこか後ろ髪ひかれる感じ。
飛び出すとそこには朝風が能力を使うと現れる多次元空間が。
キョロキョロ見渡す二人のもとに見慣れた靴、朝風が近寄る。
(この朝風空間に立てるのは6話対決シーンでも確認できる)
「それがどういう結果を招くか、ホントに理解してるのか。
元の俺たちは違う人間なんだぞ。」
ここでも朝風は、先程言ったこと(漂流の希と違う)をキチンとセリフで言ってくれる。
「でも、ここじゃないと思ったんだ。」
やはり、ここもまた11話考察で述べた(長いですが重要な部分なので掲載)
今の時間軸の漂流世界と現実世界を組み合わせることになるから、丸っきりコピーがオリジナルに置き換わらない限り帰れたとは言えない。
「まあ、どうなってるか考えてもしょうがないかあ。どっこい生きてるかもしれないし。」
ここで、なぜ三人が帰ろうと思っているのだろうと自分は不思議に思った。
別に帰れなくても、そのまま今いるメンバーで過ごせたらソッチのほうが幸せじゃないの?
そう思ったが、もう一度この作品を振り返って見ると、そもそも長良は帰れなくてもいいという投げやりな気持ちと、本心では帰りたいという2つの気持ちで揺れていた。
そこに希や瑞穂、ラジダニが側にいて声をかけてくれたからみんなのために帰ろうと再起できたのである。
この作品において、登場人物のモノローグはほとんど無く、帰る具体的な理由は形として残っていない。
会いたい人がいるとかこんな将来を生きたいといった理由があっても、別に今ここに残って叶えることだって出来るようなぐらい生徒も街もある。
それでも、恐らく今ここにいることは少なくとも良いことではない、だから本当の世界を生きようと決意したのだろう。
この世界に生きていることが死んでいることだ、3人にはそう思えたのかもしれない。
理由が外ではなく内にある。この何とも腑に落ちるような落ちないような理由は視聴者の側にもあるのではないだろうか。
このままだとマズいから外に行かなくちゃ。
ぬるま湯には浸かってられない。
物語的な能動・欲求の理由ではなく後ろ向きな理由がメインにある。
なんだかこの作品らしい理由だなとも思ったりする。
このように、能動的な理由ではなく、受動的な理由があることを告げる長良。
それに対し朝風は、
「お前ら、どうかしてるよ。あいつも…
知らなければそれで済んだんだ。」
長良も希も瑞穂も、この世界が全てコピーで出来ていることを知っていなければ、ここから出ずに済んだ。
そう言いたいのだろう。続けて、
「与えられたもので十分じゃないか。ここも元の世界も変わらない。
分かってるだろ…!?」
10話冒頭の満員電車で感じた
これはやはり出ていく二人に対しての問いかけとして用意されていたようだ。
与えられた能力だけで十分、元の世界と変わらないような生活だって、いやそれ以上の生活だって出来る。
元の世界への憧れなんてホームシックみたいなもので、じき慣れるもんだ。
ただそれでも、
「僕らは自分で手に入れたいんだ。」
「希は自分の心に従った。その責任も自分のものだから。」
与えられたものでしか自分を肯定できなかった朝風、それに対し「自分の肯定」を現実に求める二人。
だが、本当のところは責任の放棄をしたくない、最後の自分を捨てたくないというのが一番なのだろう。
ここで過ごすということは自分を捨ててしまうということ、能力で生きてしまうことに他ならないからだ。
それで本当に自分は生きていると言えるのか。
長良の境遇だけを見ると、「自分はこんな辛い境遇じゃないな」と思ってどこか乗り切れない感じになりそうだが、
作り手としては恐らくそこに共感してほしいのではなく、
「どんな境遇にあっても、自分で手に入れようと思える理由がある」
というのを、この漂流=作品で伝えようとしているのだと思う。
そうして11話で受け取ったつばさ(骨折)からの手紙を朝風に渡す長良。
「長良くんへ
私からの手紙におどろいているかもしれませんね。
このハガキのことは希に教えてもらいました。
突然ですが、希はこの世界からいなくなってしまいました。
朝風くんとのこの世界『戦争』の攻略中に、
事故でこの世界からいなくなってしまいました。
希は最後の一瞬まで朝風くんを信じていた
私にはそれしか言うことが出来ません。ごめんなさい。
こんなことになってしまい残念です。 つばさ」
つまり、このタイミングで長良がわざわざこの手紙を持ってきて、朝風に渡したということは、この場面を想定していたのかもしれない。
それは11話で、つばさからの手紙の後に、朝風からの罵詈雑言の手紙
死ね お前のせいだ フザケルナ
を受けて長良は朝風に、10話で何故助けなかったのかを真意を聞き出したかったのだろう。
だからこそ、その手紙を受けて朝風はこう切り出す。
「みんな居なくなった。アキ先生も。」
全員が能力遺物化した、あるいは”この世界”になった。
最後に能力遺物化していくアキ先生も朝風は看取ったのだろう。
アキ先生とは何だったのか。
ここで役割が終わったということは、アキ先生の役割とは
・この世界を守るために送られただけ。そして自身もそれで満足していた。
・そのために朝風をそそのかす。そして朝風は誘いに乗ってしまった。
朝風にとってアキ先生はメフィストフェレスだった。
アキ先生の能力も具体的には分からなかったが、
・「相対性」というキーワード
・骨折ちゃんの能力を「相対性」により尺度を変えると分かる。
・朝風の能力と自身の「相対性」は相性がいい。
・夏目監督の「誰しもが持つ得意・不得意をアニメならではの表現に置き換えているだけですね。」
これらを総合すると、相手とのズレがずば抜けてよく分かり、それを修正して対応できる、”すごく大人な人”のことを「相対性」として表現したのかもしれない。
だから思春期をこじらせた猛獣でも簡単に手懐けることができる。
そうして、アキ先生は神からの命を全うする。
その中で朝風は、もしかしたらアキ先生の本性を知って、自分が騙されていて、こき使われていただけだったのも知ったのだろう。
それでも外の世界に出るよりも、そっちの方が朝風にとっては幸せだったのかもしれない。
この世界の結末
続けて朝風はみんながどうなっていったかを語る。
「骨折は明星のところに行ったよ。」
11話にて瑞穂が希を偲ぶ会でみんなにメッセージを送っていたが返事は一つもなかった。
つまり、ラジダニが2000年過ごしたように、他のメンバーはとっくに能力遺物化してしまうほどに時間が経ったのかもしれない。
なので、そこから骨折が明星のもとへ行っても彼らはもう居ないのである。(骨折も10話にてスマホを捨てているから、明星たちの近況は知らないのである)
恐らく骨折は希を殺してしまった朝風の本性を理解して、自分が恋していたものの正体が理想の朝風でしかなかったことに気がついたのだろう。
そうして夢破れた骨折は一人、そこから変われなかった罰と言わんばかりに、もう居るとも分からない明星たちを頼りに、あてもない旅をしていく。
そんな残酷な末路を朝風は最後に言い切れなかったのだろう(でも案外ちゃっかりと居場所を見つけたりするかもしれないので、これはどこまでも憶測の範囲内)。
代わりに、
「ラジダニは森になって、動物たちと暮らしてる。」
そう告げる。恐らく数百年は生きていたが後に、この世界となったのだろう。
そこで動物たち(ネコ三匹、ヤマビコ?、オウム)と形は違えど共に長いこと生きているのだろう。
つまり朝風もまた数千年を過ごしたか、或いは自身の能力で要所要所まで時間を加速させたか(インターステラーのように重力が強いと進む時間は遅くなる=周りの時間だけがドンドン進む)。
ただ少なくとも、ここにいる朝風は、10話で子供のような手紙を送った朝風とは違い何らかの達観に至っているように見える。
「ハテノ島はもう沈んでしまった。結局…俺には何も残らなかった…」
自分が最初の自尊心としての拠り所としていたハテノ島の沈没回避。
そこから全ての拠り所を失い、最後に自身の後悔を語る。
それは先ほどの「与えられたもので十分じゃないか。ここも元の世界も変わらない。分かってるだろ…!?」とは真逆の発言である。
つまり、ここでの朝風は8話のやまびこ同様、外へ出られず最後に膨大な後悔だけを抱えることになったのである。
つまり漂流世界での朝風は、与えられたものでしか自分を肯定できなかった報いとして、自身に本当のことを告げる受け入れがたい存在としての”戦争”=希を葬ったことで、最後に全てを失った。
そして、自分ひとりだけが残されてしまった。恐らくとんでもない年月が過ぎたのだろう。
みんなは恐らく能力遺物か、別のこの世界になって死ねた。
でも朝風だけは元のまま生き続ける。一番つらい結末に至ったのは朝風だ。
異世界にて能力を与えられ、それでも元の世界へ帰るか、それとも与えられた能力に満足してその世界を生き続けるか。
現代においては後者、朝風派の方が多いのではないだろうか?
アニメという、ある種の異世界を僕らが見る以上、そこから抜け出すという考え事態がそもそも矛盾しているだろとも。(ドラクエ・ユアストーリーが近いかもしれない)
だからこそ、この作品において意見は明確に別れると思う。
それは構造上、仕方ないと思う。
だが、与えられたもの(ビデオ、アニメ、小説、コンテンツ)で得た万能感や爽快感、感動というのは結局、最後には何も残らないのである。
それに満足して外に出ようとしない、自分で手に入れようとしないとき、朝風のように結局なにも残らず全てを失う。
そんな傍らに寄ってくるのはアキ先生や神のような打算込みの大人だけで、それも最後には消えてしまう。
だからこそ、現実が辛くても手に入れなくてはならない。
長良と朝風とは、見ている側の自立と執着の両面を象徴している関係だと思う。
故にその中で「SonnyBoy」は、今いる現実の世界を生きたいと思う人を全力で肯定しようとしている。だからこそ、アニメを見ながら悩んでしまう中途半端な自分としては、この作品を見事に作り上げてくれた全てのスタッフに感謝しかない。
話を戻して、朝風のセリフから11話のカットが背景に割り入ってくる。
それは視聴者が見ていた神の視点の映像であるとともに、制作スタッフが作り上げた制作物=フィルムでもある。
そのフィルムが朝風の生み出す空間の中に入り込む。それは、このフィルムの登場人物と僕らが見ているものを共有している状態とも言える。
つまり、この空間が視聴者の現実と物語の現実「全ての時空が一つになった異次元」であることを示している。
時空を超えて、登場人物と見ている人がこの世界の誘惑を振り切る瞬間が来た。
そこで朝風は、10話にて希が能力遺物化した際に現れたオリジナルのコンパスを渡す。
コンパスは11話にてサクラがコピーしたものがあった。
一見、これでは希が二人いる状態と同じではと思うが、能力遺物化しているということは11話のセリフ、
「この子には分かるんだ。すべてのものの状態が。」
から能力だけが概念・物質として残っている状態だと考えられるので、それをいくら複製しても、本質としては一人から変わらないのだと思う。
(サクラも元の希のままコピー出来るならそうしたはずだが、この世界での状態がコンパスである以上、生身のままではコピーできないのだろう。)
イメージ的にはオブジェクト指向に近いと思う。
そうして、ひとしきり本音を言い切った朝風は
「行けよ。」
今度はもう止めない。自分は歳を取りすぎてもう戻れないのだろう。
一人、何もない空間に残る。それは実世界の宇宙の
という終わりと同じく、全てがブラックホールになり、何も残らない。
神に選ばれた、才能を持ってしまった、だがそれは早い内に捨てておかないと永劫の苦しみになる。
でも周りの人は、そんな能力者を持て囃し利用する。中にはその期待に応えて「描くのが楽しくて仕方がない。」と言い切る作家もいる。アキ先生はそういうタイプの人だったのかもしれない。
だが万人がそうであるとも言えない。現に朝風はここで俯いてしまう。
もう二人は出ていく。朝風はひとりだけになってしまう。
自業自得といえばそれまでだが、そもそも能力は宝くじのようなもの。元を正せば人生を狂わされた側でもあるのである。まるでペルソナ2罪・罰のようだ。
そして、同じく神に選ばれた能力をもつ長良が朝風にならなかったのは、ここで希に光を見せてくれたからだ。
この二人はコインの裏表のようであり、そんな朝風を長良は救いたかったのかもしれない。だからこそ手紙を渡したのかもしれない。
そうして長良・瑞穂は前に進む。
「うん。」
最後に瑞穂、
「じゃあね。」
1話〜11話で朝風と瑞穂のやりとりは少ない、そして最後の会話は9話のぬいぐるみのことについて嫌味を言われたっきり。
そんな瑞穂が最後に「じゃあね。」で済ますのは何だか素っ気ない感じがして辛い。
「本当に一人きりになってしまうのだな」と感じる一言だと思う。
そうして走り出す二人。残ってしまった朝風。
後ろには大きく、今まで視聴者が見てきた11話”だけ”が映る。
11話はここから旅立つための儀式の回だった。それが出るということは朝風もまた見送っているのかもしれない。この場で10話のコンパス(意思)を渡すのもまた一つの儀式だったのだ。
朝風の元を去ると映像は消え、今度はガラス細工のような背景に。
そこへ徐々に学校の映像が入り込む。
朝風が見せる映像から、校長が見せる映像へと切り替わったのだろう。
そうして6話ラスト、一人だけ後ろ向きに帰る漂流しなかった長良のカットが入る。
次に教室、希の死を告げる花瓶が映る。
そうして校長が、
「ここから出てはいけない」
と告げる。
二人は気づくと白糸第二中学に。後ろには校長が。
つまり、6話で行けたと思っていた世界は所詮、映像の中で、実は校長の手のひらで踊っていたということに過ぎないのだろう。
また校長は最終回でもエンドクレジットが「ヴォイス」となっている。
作品内では校長・神としか呼ばれていないのに、クレジットでは「ヴォイス」。
つまり、作品内の登場人物たちには「ヴォイス」と告げず、見ているこちら側だけにこの人物が「ヴォイス」であることを告げている。
だからこそ、「ヴォイス」とは実際には校長でなく、ヴォイスという名の4次元人、それは時空を超えた存在、すなわちこのシーンで共有される視聴者の実世界と漂流世界、その実世界側の存在としての神、つまり制作スタッフ、監督と捉えてもいいのかもしれない。
それがたまたま校長という形を借りて主人公たちを漂流させる。漂流世界という舞台を用意して作品を作る。
そうして校長が見たい未来、希が居ないほうが長良にとっては実はマシかもしれない未来を見せる。
ヴォイスとしては観測者の長良=視聴者が残ってもらって、この世界の続きを作る、2クール3クール...nクールになって続いて欲しい。
だがそれを長良が断ち切るということで、まさしくそれが作者や視聴者が続きを望んでしまうが故に発生する、静止したサザエさん時空を打ち破るということに繋がるのかもしれない。
「出られないとは言わないんですね。」
だが、今の長良にそれは通じない。どんな世界が自分を待っていてもそれを受け入れる。もう続きは作らない。そこに囚われてはいけない。
そう言った途端、元の映像がチラチラと入り、この校舎が幻影であることが分かる。
「今度は大丈夫。行こう!」
「うん!」
真実を知り覚悟した二人は、校門という境界線を踏み出していく。
そうして、校長はこの幻影の中に留まる。校長は二人を捉えそこなった。
そこでヴォイスは朝風と同じく一人になってしまう。
世界に執着して外へ飛び出せなかった。それはこの世界の神=ヴォイスも同じだったのかもしれない。或いは、ヴォイスにとってはそうすることで見ているものが外へ出ることを促しているのかもと、ここからはまたいくらでも考える余地があるのでこの辺で。
激しい郷愁
二人が駆け出してから、今度は1話から10話、全ての映像がドッと溢れ出す。
僕ら視聴者が神の視点として見てきたこの「SonnyBoy」そのものが溢れ出す。
朝風の空間には、ここから飛び立つための11話だけが映り、校長の空間には1話〜10話が映る。
朝風は行けと言い、ヴォイスは出てはいけないと言う。
朝風とヴォイスには明確な違いがある。
つまり、ヴォイスが執着したい・見たい作品として1話〜10話がある。
それがまるで「ここに戻れ」と言わんばかりに溢れ出す。
それは見ている自分もまた、この全てのシーンに思い入れがあるからこそ、そう感じるのだ。
そんな思い出の中を懸命に走る二人。まるでこの世界に対する執着を振り切るかのよう。
このシーンをフレームごとに一時停止して見える過去のカットを見る度に色んな感情が沸き起こる(各話の考察を書くにあたりカット単位で止めながら見ていたから尚更)。
それをこの瞬間、時間が一つになった「ランドスケープ(風景)」として閉じ込めている、激しい郷愁が打ち寄せる。
「どうやってそれを持ち帰るんだ。」
そんな中、校長は最後の問いかけをする。幻影は見せたりするが、それ以上は特に何もしない校長が最後にそれだけは聞こうとする。
持ち帰られるはずが無いと思っている。或いは長良が持ち帰られるか試しているのか。
だが、実際にコンパスは11話でラジダニが言う通り、彼女の意思そのものと考えることは出来る。
つまり、意思を継ぐということを物質の形で見せているだけで、本来は形のないものなのかもしれない。
ヴォイスはそれが異世界の物質だから無理だと考え、長良はそれを意思だから持ち込めるとおもったのかもしれない。
あのバイト女子の正体
そこで映る2つのカット、6話でも出てきた謎のオブジェクトを掴む誰か。
そして謎の女子が謎の光源にあたって廊下にいる。
→12話バイトシーンで出てきた女の子に似てる。
この作品では度々、映像とセリフ、2つで同じことを語る手法がよく取られている(10話・岸辺でレールの終端が映るカット、10・11・12話の挿入歌、etc...)。
そこから考えるに、あのバイト少女とはつまり長良・瑞穂以外に漂流世界から帰還した生徒なのではないかと思う。
ヴォイスが語る「どうやってそれを持ち帰るんだ。」
そして6話12話と顔の見えない男子が手に持っていた謎の黒いオブジェクト。
この2つから言いたいことはつまり、
「帰る生徒はいたが、この世界の物質は持ち帰ることは出来なかったんだぞ。」
そう言うことだったのかもしれない(11話ラジダニの「元の世界には簡単に帰ることが出来る」)。
そして、女子生徒のカット。
恐らく、そのオブジェクトを持っていた男子とその女子生徒には何らかの関係があったのだろう。
だが、序盤では一人でバイトをしていて、長良を気にかけていたということは、元の世界での希が長良に興味が無かったみたく、その男のことが頭にない或いは、彼だけは漂流世界に残ってしまったと考えられる。
(ちなみに、これは完全な自分の想像だが、11話でラジダニが語った郷愁の世界での男女において、出ていった彼女は、もしかしたら件の彼女なのかなと思ったが流石にそれではなんでもありなのでとりあえずチラ裏程度に書き残しておきます。)
つまり、元の世界に帰っても変われなかった、もう一人の長良的なポジションとしてその女子生徒が出てきたのかもしれない。
となると、彼女もまた長良とひと悶着があったのち、自分の人生を生きようと決意するなんて時がくるやも、と想像。
瑞穂の迷い
そして気づくと長良と瑞穂の距離が離れている。
迷いなく真っ直ぐ進む長良に、体力の限界か、それともこの映像に足が止まってしまいそうになるのか、必死に追いつこうとするが追いつかない。
ロープをしっかり握る長良。懸命に走る。
そんな長良を見つめる瑞穂。二人の距離が開く=迷いを表しているのだろう。
そんな折、朝風が手を伸ばす。
すると鳥が羽ばたき映像が青いポリゴン模様に変わっていく。
つまり、朝風が背景映像が示す執着(=重力)を無効化していったのかもしれない。
そう、もうこの世界にいてはいけないのである。
居たことは否定しなくてもいいが、ただもうここには居てはいけない。
出るときが来た。そうして役目を終えた世界は消えていく。
「行けよ。」と言ってくれた朝風が最後に背中を押してくれる。1話〜11話まで子どもだった朝風も最後には二人を肯定し大人になれたのである。変われたのである。
長良が帰った世界の朝風もまた希と同じく、漂流世界にいた朝風とは違う。原理的に彼の記憶やら思考は存在しない。
だが、彼は変われるのである。漂流世界では誰も優しくしてくれなかったから破滅するまで気がつけなかったが、今度の世界では希が救ってくれていたのである。
この詳細は後のセリフが絡んでくるので後述。
希が望んだ世界へ
そうして1話で希が言った、「元の世界へ帰ったんだ」とリンクするように鳥が羽ばたいていく。
そうして次のカットでは、距離が開いていた二人は手をつないで共に走っている。尊い。
そうして二人は鳥を見上げながら、手をとって共に走る。羽ばたく鳥が1話で言っていたことを思い出したか長良が笑んでいる。
指すコンパスはN。もう出口はそこだ。
そうして瑞穂は再び、前をひた走る長良を見つめ思い返す。
「そこに行っても、希が生きてるか分かんないんでしょ。」
あやとりをする瑞穂。部屋はまだ散らかってない。着いてすぐだろう。
ズボンはおそらく、ロケットに乗っていたときから履いていたのかもしれない。
「だからコンパスを使うんだ。」
希が死んでるか生きているか分からない。どちらの世界に行けるか。それは自分たちも分からない。
だからこそ、せめてコンパスを使って、希の望んだ世界を目指そうということなのだろう。
「え?」
「何も、結末は変わらない。起こり得ることしか起こらない世界だから…」
そして最後に、
「可能性をもう一度、振り直す!」
そうしてたどり着いた場所に光があふれる。
希には確かに光が見えていたのだ。それがこの背景だったのかもしれない。
「長良はさあ、何で帰ろうと思ったの?」
11話からずっと長良の本心が疑問だった瑞穂。それが少し歩が遅くなった理由だろう。
最後に尋ねる。
それに対しコンパスを見つめ
「これは…希が見た光だから…」
そうして2つのコンパス
・10話における希の能力遺物
・11話でサクラがお取り寄せしたコンパス
が並ぶ。
11・12話まではコピーのコンパスが必要だった。
そうして、たどり着いた後に朝風からある意味本物のコンパスを貰う。だがそれは先程のべたように違いはない。
ハテノ島から宇宙経由で異次元、そして異次元から現実世界。2つの跳躍にコンパスがそれぞれ必要だった。
それぞれの段階で希の意思を汲み取る流れとなっている。
11話でこの世界から抜け出す覚悟、そして12話にて朝風の変化を受け取る。
コンパスを見つめた瑞穂は、長良を見る。
長良も瑞穂を見つめて
「うん。」
二人がコンパスが放つ光を掴んで、画面はフェードアウトしていく。
つまり、僕らが見ている映像そのものは、希が放つ光による映像であったのかもしれない。
そこから考えると、1話での不自然なカット
職員室で先生と話してたのに、急に個室のカーテンを明けて覗いて、また元に戻って先生と何事も無かったかのように話している
というのは11話で、
「それから職員室の隅で、しみったれた顔をした男の子を見つけたら、首根っこひっ捕まえて質問するの。」
とリンクしていることから加味するに、
1.長良が最後の空間にて、この世界を編集して自分が漂流するように無意識の内に仕向けた。
2.神が漂流させるためにコピーされた希をけしかけた。カーテンを覗いたのも、話しかけたのもその希。
と考えたが、1は突拍子もないし、漂流事態は仕組まれたものと捉えるなら2の校長お膳立て説が有力かもしれない。
つまり、最初は神の手ほどきで漂流してしまったが、最後にその神を超えて『観測者』として自分たちの世界を選び取ったということになる。
だからこそ、この作品を構築するに当たり、監督は量子力学や相対性理論といった様々な物理現象を導入する必要があったのだろう。
そうしていく中で、「スペース☆ダンディ」の2次元宇宙よろしく、作品に現実世界の物理学を導入したことで、世界が我々の現実世界とアニメの二次元世界が繋がることを発見したのかもしれない。
そこで最後に、あの神の視点による映像洪水が入ったのだろう。
だけれども、最後に三人はその理屈を逆に利用して元の世界に戻ったというわけだ。(コンパスが世界を超えて残る)
なので、長良と瑞穂が帰った世界、起こりうことしか起こらない世界とは、希が望んだ世界とも言える。
そこで希が望んだこととは、恐らく2話でも言った「誰かに見捨てられたことが、誰かを見捨てることになるの。」に繋がる、”誰も見捨てない”ということになるのだろう。
そうして再構築されていった世界では、もう光を受けて自立できるようになった長良に希からの救いの手は必要なかったのだ。
漂流世界での記憶や思考が原理的にない中で、希の意思だけが示す世界なのだから、そこで元の世界で意思だけを持つ希がしたこととは、彼女が「一番救わないと。」と思った朝風を救うということになったのだろう。
それは恐らく中3のときから始めていて、だからこそ高校も同じところに進学したのだろう。
そうして二人は段々ただの高校生に、ただのカップルになっていったのかもしれない。
だからこそ、その意思を継いで元の世界へ帰ってきた長良にもう希は必要ないのである。
だが、帰ってきたばかりの長良は、まだその事実に気が付いていない。
ただこうして、神や視聴者が見たいお膳立てされた世界ではなく、希が望み、それを長良と瑞穂が受け継いだ世界が実現したのである。
最後には、見ているこちら側すらも、3人は超えていった。
そうしてこの後の展開で、長良と瑞穂は段々と、そのことに気がついていく。
元の世界
8月16日は1話と同様に快晴。ここは本当に戻った世界?
だが教室にはもう花瓶はない。
カットが変わってどうやら瑞穂のおばあちゃんが死んで納骨をしていることが分かる。
戻ったらもう引き返せない。そう示すかのようだ。
つぎに母親とおばあちゃんの家に行くと、空地になっていて
「ここマンションになるそうよ。」
「へぇ〜」
そこには黒猫が。ゲン・トラ・サクラでもなさそうだ。
それに気づいて
「おばあちゃんのネコ、元気かなぁ。」
「トラが死んだんだって。」
9話でサクラが言ったように、家もなくなりトラも死んでしまった。
サクラもゲンも、もうすぐ死ぬのだろう。
「あぁ…そぉ…」
序盤の長良とのやり取りでは分からなかったが、最初から記憶があることを掴んだ上で見ると、ここでは平静を装っていることが分かる。
「あの子も、もう13歳だったもん。十分生きたよ。」
9話にてもう爺さんみたいな喋り方だったトラ。2年も経てば致し方なしか。
イメージとして遺骨を収めた箱が映る。
「でも、高いよねぇ…1匹40十万円だったのよ、引取サービス。3匹で120万よ。
でもその分、しっかりしてくれるんだろうけどさぁ…」
それに被さるように
「全部、無くなっちゃった…」
そうして、序盤のシーンに戻り、長良が話しかけても敢えて知らないフリをした。
それは如何に頭で分かっていても、実際に現実を受け入れるというのは難しいことを示す。
サイコロは3人で振ったとしても、瑞穂はどこか長良にあたりたいフシがあったのだろう。
そんな瑞穂もまた長良と同じくあの白糸第二中学に夜中侵入する。
漂流していたときに学校のことはよく調べたのだろう。マスターキーを使う。
そうして2・3話で出てきた別の世界の入り口をもう一度あたってみる。
瑞穂はまだこの現実が受け入れられなかった。
そうして最後に憧れていた先生がいた部屋へ。
でもそこには何もない。グラスがあったので割って、元に戻るか試してみる。
だがこんなことしても意味がない。結局割れたコップは割れたまま。
そこで外が騒がしいことに気がついて見ると不審者がいると通報しているような二人を見かけて慌てて逃げる。
つまり、漂流世界への執着がコップとして割れた途端、外で起こってることに気がつけるようになった、ということなのかもしれない。
それはランドスケープにてガラスの背景があったように、そこに映る映像を壊すことで外へ行くことが出来るようになったという映像的伏線やもしれないと妄想。
ただそこで執着を振り切れたか、長良と同じく名簿でどこにいるかを侵入時に探し当てたようで、逆に長良がいた高校に向かう瑞穂。
双方向のやり取りがこの作品で絶えず描かれていたことだが、ここでもそれを描く。
失念の最中にある長良は瑞穂を見かけても俯いてしまう。
そんな折、
「おい、長良。」
「ラ ジ ダ ニ の オ ウ ム は わ ら う。」
合言葉のように告げる瑞穂。
場面切り替わりで墓地に。
おばあちゃんの墓参りを一緒にした後なのだろう。
「覚えてたんだ…」
そう言って見つめるも何とも言えない長良に
「バイト大変?」
世間話から入る瑞穂。
「まぁ、そこそこ。」
歩く道中で少しバイトのことを話したのだろう。
「私もバイトしようかなあ…」
「アパート借りて、ネコ引き取ろっかな。」
どうせ、もうすぐ死ぬであろうネコを引き取る。家では飼えないだろうからアパートで引き取る。
自分は「もう二人で暮らしてくれよ…」と思ってしまったが…
それに対して長良は、
「やらなくて済むなら、やんないほうが良いよ。他にしなきゃいけないことは一杯あるんだから。」
ネコが瑞穂にとって大事であることは、これまで散々知ってるはずの長良だが、それでも漂流世界の出来事にもう囚われてはダメであることを告げる。
ここに帰ってくるんだから、もうそこでのことに囚われてはダメだ。
そう言い切る長良を見つめる瑞穂。だけれどもそんな長良も
「何も変わらないって分かってたんだけど…頭では分かってるつもりだったんだ…」
と弱気になってしまう。二人ともホントは辛いのである。だがそこで瑞穂は
「ここは…長良が選んだ未来でしょ。」
立ち上がり、
「どうせ僕たちに世界は変えられないって、だから大丈夫だって、前私に言ったこと覚えてる?」
2話で瑞穂は、ポニーの炎上に加担し、ポニーに謝らなかったがゆえに明星の圧力故か、資料室にいた先生が監督不行届としてクビになってしまった。
そこへの後悔に続き、2話でもまたあのことを謝らなければみんな生きていけなくなると脅され、今度はみんなインチキだと言い放って、札束を振らせて島を燃やした。
そうして世界を変えようとして変えられなかった、瑞穂の怒りは逆に彼女から全てを失わせていく。
2話での先生のやりとり
「お互い事情がある。」
「そんなの誤魔化しです。」
「正しいだけじゃ上手くいかないこともあるんだよ。」
「でも私は嫌なんです。」
「だとしたら君はまだ子どもでも良いんじゃないかな。」
「そうですか。」
から先生は答えの一部を提示していた。だが瑞穂は間違えた。
そうして失った瑞穂に対し、長良はその先生を代弁するかのように
「どうせ僕たちに世界は変えられないんだ。だから大丈夫だよ。」
という。
炎上加担で敵を倒そうとしても、嘘くさい生徒会連中の政治体制を破壊しようとしても、結局何も変わらない。だから君は君のままで大丈夫なんだよ。
そう言われたことで瑞穂は、長良が希のおかげで変わっていったように、瑞穂もまた長良のおかげで変われたのである。
世界への怒り、でもそうして動く世界は仕方ないということを受け入れて瑞穂は少し大人になった。
だから、俯いてしまう長良を今度は瑞穂が励まそうとするのである。
2話は軽い回だと思ってたけど一番重要な回だったかもしれない。
「やっぱり世界は変えられない。だけどこれは僕が選択した世界だ。」
それは瑞穂も同じなのだろう。
それを見つめる茶色のネコ。
墓場にネコ。
つまりトラが化けて出た的な感じなのだろう。
そんなトラが二人を見つめている。
ここからは妄想だが、まず希・長良・瑞穂の中で希が居なかったように、現実世界でトラ・サクラ・ゲンの中でトラがいないということはどこかリンクしているような気がする。
そして、9話にて失意の中の希に真っ先に寄り添ったのはトラ。
(1話のトラが映ってからの希の切り替わるシーンもそんな気がする。)
そこから考えるとつまり、希とトラは同じ役割だったのかもしれない。
今の現実世界にいる希は違う希だ。帰るまでいた希ではない。
だけども草葉の陰で、二人を見つめている。
前へ踏み出せた二人をそう、見守るように。
「今ここに立って振り返って見れば、そこには確率的要素があるだけで、しばらくすれば区別が付かなくなる。」
その後に長良は11話で述べたような懸念を瑞穂にも漏らしてしまう。
「いつかこの感情も忘れてしまって、また同じことを繰り返してしまうんだ。
希も、僕の知っている希かは分からない。けどここは彼女の選んだ未来だから。」
そんな風にウダウダ言ってしまう長良に
「希と会った?」
敢えて触れずに、希のことだけ聞く。
「いや、まだ見かけただけで…」
「漂流のこと覚えてないんだ。多分。」
ただ今までのことを考えると、「覚えてない」は恐らく違う。
流れをもう一度整理すると、今まで一緒にいた希は10話にてコンパスというモノになっている。
そして、そのコンパス(=漂流での希)は長良の引き出しの中にある。
つまり、現実世界の希とは全くもって別なのである。
もう一個あったかもしれないが、それらをひっくるめて一つの遺物に過ぎない。それが元に戻るならば引き出しのものも戻らないとおかしい。恐らくもう一つは瑞穂が持っているのかもしれない。
「違う人なのかな。」
「分からない。」
だが今の二人にはその確証が持てない。まだ自分たちがしたことの正体がつかめていない。
そうして時間切れ。
「長良バイトでしょ。じゃ、またね。」
時間は17:25分。公園で別れる二人。歩きだす瑞穂に長良だけが見つめる。
ついまた俯いてしまう長良。希のことを考えているのか、現実に帰っていくことが辛いのか。
そうして歩こうとしない長良に気づいたか、立ち止まった瑞穂
「まぁ、大丈夫だよ。あの島でのあんたがまだ少しでも残ってるなら。大丈夫だ。」
「この人、話聞いてくれてる?」と思ったら最後に本質を突いたことを言ってもらう。こんな体験もあるあるだろう。このパターンが来るとたまらない。
長良も驚いた感じだが
「うん。」
と言って笑む。2話で自分が言ったことを最後に瑞穂が言ってくれる。11話のラジダニへのプレゼントと言い、相補性というテーマを何度も用い、そして最後にそれで締めて送り出してくれる。
監督の言う「意外にシンプル」とは、言いたいことは限られているが、それを伝えるためにあらゆる手段を用いて重層的に示しているということだと思った。
そうして伴奏。瑞穂は左向きに歩き出し、長良は6話ラスト・12話序盤と同じ構図で歩き出す。
最後の対峙
次のカットでは希が友達と苺いっぱい乗ったケーキを食べる。これもまた希が望んだ未来なのだろう。
荻窪駅にて映る風景に赤、赤、赤。
振り返ると
・傘は赤
・ケーキの苺の赤
・荻窪駅のポスト、看板、ビニールルーフ、バスの模様の赤
・ネオンの赤
・信号機の赤
漂流世界での希のカラーとはどこか違う。そしてもうここは朝風の赤ということなのかもしれないとか色々考えるけれども、結局は美術的な映え方を追求しての赤だろうと今はそう思うことにする。
そして最後に希が映る。気がつくとどうやら雨が止んでいるようだ。
サラリーマンも傘を閉じて帰る。
そしていつもの街、電車の中眠りながら帰る長良。
そうして駅につくと、序盤で気になっていたツバメの巣をもう一度覗く。
そこには木の階段。2話でハヤトと木で組みながら作業していたシーンがよぎる。
無いことに不思議がりながら見つめるところに希が近寄る。
気づいて降りる長良に
「君も気になってたの?」
オエーー!!!!
ここまでの瑞穂・長良の切ない流れから、これが来ると本当にお腹が痛くなってくる。
加賀くんのような家族もなく、瑞穂との関係も監督いわく「ある時まですごく仲が良かったけど、いつの間にか他人に戻っている。そんな関係を描きたかった。」といった趣旨で語っているので、漂流という今までのことすら失い、最後に目の前の希も、もう縋っていい存在ではないことが分かる。
全てのハシゴを外され、長良は本当に一人になってしまった。
長良は吐いていいと思う。
「夜泣いてたもんねえ。」
それでも、希が2話でいった「誰かから見捨てられたことが、誰かを見捨てる理由になるの?」というのが彼女の意思でもあるのだ。
そうして、長良は漂流前と違い自分で鳥を救おうとしたのである。
失ったことが一番のテーマではなく、何もない中でそれでも何かを自分で掴もうとする。だから長良はここで嘆いたり吐いたりしない。
もう長良に希は必要ない。それは希も同じく、希が10話の時点で長良に救われたことから、次に誰かを救おうとなったときに朝風を救おうと思ったのだ。
彼女の意思、選んだ未来はまだ救われない誰かを救うこと。
だからこそ、もうそこに長良はいない。
彼女の意思はコンパスとして長良のもとに残り、現実世界の希もまた、漂流世界の希の意思通りに見捨てられた朝風を拾い上げた。
確かに希なんだけど、それは漂流世界での希ではない。そもそも別世界なのだから記憶とかそういうものは原理的に存在しない。
だが僕らはここまでずっと希を見ていたから、どうしても一縷の望みというかそれでもあの希じゃないのかと思ってしまいたくなる。思ってしまいたくなるが、だが絶対的にあの希とは違うのである!!
それでも。。この声を聞いてしまうとそんな希望を夢見てしまう。
だからこそ、このどうしようもない絶望故に僕は声を聞く度に吐く。
「親鳥はカラスにやられたかもって、駅員のお兄さんが言ってた。他の子はみんな死んじゃってたけど、この子だけ生きてた。」
生き残った子=朝風の象徴かもね。
「君が面倒見る?」
これは話すチャ~ンス!行くんだ長良!
「え?いや家、ペット禁止だから。」
それでも奥手になってしまい、そそくさと逃げ帰ろうとする後ろ向きな長良に
「君、同じ中学だったよね?」
それを聞いてもしかしたらワンチャンスあるかと振り返る長良。
ぐはああああ。辛すぎる。
「うん、君は中3のときに転校してきたんだよね?」
それで何か始まるかと思ったたときに〜〜〜
「希。」
朝風が声をかける。ウオオオオオオオオオオオオオオオ
「ハッ…!?やっぱり、親鳥が帰ってきてなかったんだって!」
つまり、駅員と話した後に長良を見かけて話しかけたのだろう。
長良は11話の約束をなんとかここから繋げて言おうとしたかもしれない。
だがそれは通らない。長良はまだ自分たちがしたことに気がついていない。
「この子だけ生きてたの。」
「ほーん。どうすんのこいつ。」
呆気にとられる長良。そこから落胆混じりか真顔になっていく。
「う〜ん。飛べるようになるまで私が面倒見ようかな。」
つまりだね、長良が6時からのシフトでバイト終わるとしたら10時ぐらいまでなるわけで。だとするとその間、希と朝風はあんなこと・こんなことしとるわけですよ。
ゲボ
そうして見つめる先には希。ハッとなにかに気づいたような顔をする。
これはもう一度何か言ってくれるか?
そう思ったが、ただ笑っただけ。こっちのことはもう何にも考えていない。
引きでこの無力さを見せつける。よく見ると朝風が希の赤い傘を持っている。そういうことだ。
ゲロ
それを見た長良は振り返って歩き出す。
今度は左向き(シモテ側)、未来に歩き出す。
つまり、瑞穂と別れてからの希との対話は最後の執着を断ち切るためにあったのだ。
そうして、長良は自分たちがこの世界を作り、そこでもう自分も希もお互いを必要としていない、してはいけないことに気がついたのだろう。
先程まで雨が振っていたが、長良が瑞穂に励まされてから晴れだし、最後に残った水たまりを踏みしめる。
これは打ちひしがれていた長良が最後にそれを前向きに超えていくことを示しているのだろう。
そうして、街並みを引きで見せる。雑多な世界。
そんな世界の誰にも見つからないような片隅で長良は
「人生はまだこれからだ。先はもう少しだけ長い。」
そう言って晴れ晴れとした笑顔で前を歩いてEDに入る。
完全に憑き物が落ちたようだ。
このセリフの意味
ただこのセリフの
「先はもう少しだけ長い。」
が何を指しているのかが良くわからない。
「人生はまだこれから」からの繋がりで考えるなら、何かのイベントが発生する、解消されるのが、もう少しだけ長いということになる。
長良が思う用意されたイベントとは何か?ざっと思いついたのは
1.高校生活も終わってようやく自活できる
2.希と友達になる(また駅で会えるだろう)
3.自分の人生の終わり(台までの道のり)
4.この辛い気持ちの終わり(踏ん切りは付いたが、まだ心はざわめく)
5.この作品の終わり(BD特典で補完されるまで)
ただ、2と3は先程見てきたとおり、長良はもうそこは越えている。
5は考察を書いていたときの自分の気持ちだった(最終回の考察を書くまで、先はもう少しだけ長い)。
つまり一番妥当なラインとしては1・4となるだろう。
だからこそ、最後に流れるEDがまさしく、そんな感情を歌い上げてくれているような気がするのだ。
ED
ここでエンドクレジットのキャストを見ると
うた 峯田和伸
ギター 加藤綾太
となっている。ただ、曲なので本来は音楽欄に記載すべき内容だが、敢えて役名として書かれている。
つまり、この”うた”、峯田氏の絶叫というのは、作品の登場人物の叫びそのものと言えるだろう。
うたの最後にもう一度「Don't Say Goodbye 〜〜!!!!!」と叫ぶ。
それは長良が振り切ったような顔をしていても本当は心の奥底では悔しくてそう叫んでいたり、瑞穂もまた本当は長良に対してそう思っていて、ほんとはずっと一緒に居たかったのかもしれない。
だが、現実的にはやがて離れていくのは分かっている。
そんな中で、二人が漂流を手立てに一緒になんていたら何のために帰ったのか分からなくなる。
依存しないために、前を向くために。頭ではそうと分かっても、でも本心は叫びたい気持ちで一杯。
それは自分が見終わった後に感じた想いそのものでもある。
だからこそ、さよならなんて言えないのである。でもいつかはそうならざるを得ない。
そういった感情を最後に峯田氏のうたが最後に代弁してくれたような気がするから最後に自分は救われたような気がしています。再考します。
つまりこの作品とは少年が現実において前を進める決意ができる作品なんだと思う。
結局漂流はなかったかもしれない。それはアニメを見た自分たちと同じく、どこかで前を向いて歩く中でそう思ってしまう。
でも確かにあったんだ。そこで前を向いていけると思ったから、ここでその残滓を見つけて後ろ髪引かれそうになっても、それはあのとき見たものとは違う。また別の誰かを救ってるんだ。
だけど心はざわめき立つ。そんな答えのないようなものでも、少なくともあの頃よりは前に進めた。それだけなんだけどそれだけで十分すぎるぐらい救われた。
僕にとってこの作品は自分の一部なんだと思った。
だからさよならは言わない。
Don't Say Goodbye 〜〜〜!!!!!
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