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文鳥 【#シロクマ文芸部】

 「詩と暮らす」という雑誌を定期購読している。季刊誌だ。
 詩が巻頭を飾り、美しい絵画やイラスト、写真などと共にプロからアマチュアまでの詩が数多く掲載される。一般からリクエストを募った詩がランキングされたり、エピソードとともに推薦された詩も載る。いっぽうで、断捨離やDIY、料理のコツやランチの情報、ワードローブ指南やミニマリストのコラムまで、暮らしのあれこれも網羅している雑誌だ。
 詩は特別なことではありません、と編集長は編集後記に必ずしたためる。
 生まれてから死ぬまで、私たちは詩と共にあるのです。生活の中に、ハレとケの中に、私たちはいつも詩を感じて生きています――
 何気なく「春号」を購入したが、雰囲気が気に入って、夏号を購入するときには定期購読をすることにした。
 値段は決して安くはない。A4変形ワイドサイズで、紙質も上質。1,000円。表紙には、往年のパリコレモデル惟文華を起用したり、そろそろ母親役が多くなってきた女優なども採用される。ターゲットの年齢層は高めのようだ。時折特集が組まれると、著名なイラストレーターのうっとりする絵が表紙になることもあるし、有名な詩人や歌人のポートレートが表紙を飾ることもある。
 11月に発行された最新刊の冬号の表紙は、石垣りんだった。巻頭ページには代表作「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」が古民家の土間の写真と共に掲載されている。
 石垣りんは、まさに詩と暮らした人だなと思う。詩人の見つめている世界は、日常と地続きなのに、もっともっと先の世界だという気がする。
 雑誌ではプロだけではなく、市井の愛好家の詩も募集しているので、なんとなく自分も出してみたくなり、秋号から応募している。冬号ではどうか、と期待してみたが、今号でも自分の詩は取り上げられていなかった。
「やっぱり今回もだめでした」
 文鳥に話しかけると、文鳥のふうちゃんが小首をかしげた。風ちゃんを見ていると、詩を書きたくなる。
 いつからこんなに、詩が好きになったのだろう。
 いつからこんなに、詩を作るようになったのだろう。
 SNSも詩の投稿ばかりをフォローしている。朝起きると、心の中で推している人の投稿を見る。気がつけば、毎日詩を追いかけている。
 風ちゃんがピピ、ピピ、と呼ぶ。
 風ちゃんの催促に、いそいそと詩を朗読すると、風ちゃんがギギ、と喜ぶ。風ちゃんは詩がわかる。いい詩のときは満足げにギギ、と鳴くけれど、好きな詩じゃないとゲゲ、と嫌そうにする。そう言えば朗読をするようになったのは風ちゃんが家に来てからだ。
「風ちゃんは詩が好きなんやねぇ」
 そう声をかけると、風ちゃんは頷くような仕草をした。文鳥を飼ったのは初めてだが、こんなに可愛らしいとは思わなかった。風ちゃんは大人の鳥だ。元の飼い主から譲り受けた。入院するから飼えなくなって、とその人は言った。あの人も、詩が好きだったのだろうか。
 訪問介護の仕事をしていると、飼っている動物の世話を頼まれたり、ご本人がいなくなった後のことを相談されることがある。基本的にペットの世話は業務外だと断り、相談先を世話するのだが、人間関係が出来上がっていたり、ペット自身と親しくなっていたりすると、無碍にできないことがある。
 風ちゃんを飼っていたのは、亜里沙さんだった。
 私が生まれたころはね、亜里沙、って名前は珍しいほうだったのよ、と彼女は窓際に寄せられた風ちゃんのケージを見つめながら言った。
 病気になるとは思わず、風ちゃん飼っちゃった、ひとり暮らしなんだから動物を飼うのは止めよう、って思ってたのに、風ちゃんをみたらねえ――どうしても、そばにいてほしくなって。
 結局、会社には内緒で、彼女から風ちゃんを引き受けてしまった。
 亜里沙さんは、その後ほどなくして亡くなった。
 その日、風ちゃんはきゅぅきゅぅと鳴いた。悲しそうに泣いた。
 私はどうしたらいいかわからなくなり、ちょうど手元にあった「詩と暮らす」春号に載っていた詩を読んだ。それが風ちゃんに詩の朗読を始めたきっかけだ。

 あなたはそこに

 あなたはそこにいた/退屈そうに右手に煙草/左手に白ワインのグラス/部屋には三百人もの人がいたというのに/地球には五十億もの人がいるというのに/そこにあなたがいた
 ただひとり その日 その瞬間/私の目の前に/あなたの名前を知り/あなたの仕事を知り/やがてふろふき大根が好きなことを知り/二次方程式が解けないことを知り/私はあなたに恋し/あなたはそれを笑い飛ばし/一緒にカラオケを歌いにいき/そうして私たちは友達になった
 あなたは私に愚痴をこぼしてくれた/私の自慢話を聞いてくれた/日々は過ぎあなたはわたしの娘の誕生日にオルゴールを送ってくれ/私はあなたの夫のキープしたウィスキーを飲み/私の妻はいつもあなたにやきもちをやき/私たちは友達だった
 ほんとうに出会ったものに別れはこない/あなたはまだそこにいる/目をみはり私をみつめ/繰り返し私に語り掛ける/あなたとの思い出が私を生かす/早すぎたあなたの死すら私を生かす/初めてあなたを見た日からこんなに時が過ぎた今も

「あなたはそこに」谷川俊太郎『魂のいちばんおいしいところ』

 そんなことを思い出したので、春号を持ってきて再びその詩を読んでみた。風ちゃんはじっと耳を傾けて聴いているようだった。まるで「ビクターの犬」のように。
 初めて読んだときは気が付かなかったけれど、もしかしたら亜里沙さんと風ちゃんはきっとこの詩のような友達だったんじゃないかな、とふと思った。風ちゃんは、なにかを懐かしむような遠い視線を外に向けている。

あなたとの思い出が私を生かす

 まるで風ちゃんの心の声のような気がした。風ちゃんは今も、亜里沙さんの思い出と生きているんじゃないか――
 そんな気がした、秋の日の午後だった。

 了

#シロクマ文芸部

※引用:谷川俊太郎詩集(岩波文庫)kindle版