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京都で会いましょう~後編~

 『BLACKJACK』は私のバイブル。たとえ高橋一生に憑依されても、はざま黒男くろおの光と闇に魅せられて45年の、この思いは覆らない。「はてな」でブラックジャック考察の連載を始めようと思ったのに「1」で止まっているけど気にしない(書こうと思っている幻のトピックスを読むといますぐ書きたい衝動に駆られるけど、今はムリ)。先日、本棚から1巻を出して来たら今度は読むのが止まらない―――。

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京都の話です。
続きです。


「大極殿本舗 六角店(栖園せいえん)」さんでお茶

 名残惜しくも「恵文社」さんを後にして向かったのは、再び四条方面。

 天気予報は「次第に雨」。そろそろ雲行きもあやしくなり始めていて、方角も路線も全くわからない私は、dekoさんとRyéさんが「電車を利用するのはどこで」「どこから歩く」といった相談をするのをじっと眺めているしかありませんでした。ホシガラスさんは多少なりとも京都をご存じでしたし、私も流石にもう少し、勉強していけば良かったです。いろいろみなさんに申し訳なかったです。

 もうひとつの私の失敗は、傘。
 実は道に迷って遅れて到着したため、ホテルに荷物を預けるときに手荷物をしっかり確認しませんでした。感触で確かめたら傘が入っていた(と思った)ので、大きなバッグのほうをそのまま預けてしまいました。が。
 手荷物に入っていたのは、ペットボトル。アチャー
 傘は大きなバッグのほうに入っていました。

 確実に雨が降るのに、なんてこった。

 そう、予報どおり、四条あたりに着くころには、少し雨模様になっていました。結局、Ryéさんの傘に入れてもらいました(Ryéさんごめんなさい)。

 でもなんだろう、見知らぬ場所で頼れる人がいるってすごいことだなと思いました。タクシーに乗ることもあったのですが、そうするとdekoさんがさっと助手席に座られて、運転手さんとよどみなく情報交換をされていました。どこに行くにも、dekoさんとRyéさんがてきぱきと導いてくださって、私がもしアテンドする側だったとして、こんなにスマートにご案内することができるかなと、反省しきりでした。尊敬の念を深めました。

 さて、四条での目的は、お茶。
 でもそこは京都。ちょうどお茶の時間帯になっていましたし、どこもお店が混んでいます。
 それでも、おふたりのおススメのしっとり風情のある老舗お菓子屋さん「大極殿本舗 六角店(栖園せいえん)」に入ることが出来ました。
 dekoさんによると、本店さんも近くにあるとのことでしたが、お天気のこともあってそちらは今回、見送りです。「大極殿本舗」さんは、京都で初めてカステラを作ったお店だそうです。

 待ち時間は少しありましたが、そのあいだ、ホシガラスさんとたっぷりお話が出来たので、全く苦にならず。
 今回の旅のもうひとつすごいところは、待ち時間が全然、苦にならないことでした。とにかく話が尽きないので、むしろ話せる時間があってありがとうみたいな感じ。笑

「琥珀ながし」というゼリーのお菓子

 お店では、お店にはいってきたお客さんのほとんどがこの「琥珀ながし」を注文していました。これがさわやかでべらぼうに美味しいのです。かける蜜は毎月変わるとのことで、6月は梅酒シロップでした。ついている煎茶も美味しく、ホッと一息つけました。
 その間も、決して話は止まらないのですが。

 夜は、穂音さんと待ち合わせをしています。
 お天気が良ければ、街歩きやdekoさんやRyéさんご推薦のお店に行こうと話していましたが、雨もふったりやんだりで安定しないので、そのままお店に向かうことになりました。
 引用した「るるぶ」のサイトにもある通り、「大極殿本舗 六角店 栖園」の建物は、京都市の歴史的意匠建造物にも指定されている、慶応元(1865)年の建築だそうです。歴史あるお店の中から見る、霧のような雨がうっとりするような風情でした。

 といって、雨の中に出ると風情とはいっていられません(しかも私はRyéさんの傘に入れてもらっています)。錦市場の小道をちょっと通りましたが、凄い人だったので、あまりぶらぶらしなくてよかったかもしれません。

穂音さんと夜ご飯

 お店に着くと、穂音さんはすでにお席に。
 私は穂音さんとは文フリ以来です。
 顔を合わせたとたんから、メンバー全員、まるで毎日会社で会ってるみたいな雰囲気で、自己紹介なんてしなくても名前を言えばすぐにわかる、あの感じはたまりませんでした。noteで知り合った方とお会いしたことのある人はお分かりになると思いますが、あれは本当にnoteならではだなと思います。初対面なのに感覚は初対面じゃないんですよね。本当に不思議。

 marmaladeさんから穂音さんのお誕生日だと伺っていたので、お誕生日のお祝いも(ささやかながら)することができました。

 個室のお店だったので、盛り上がる盛り上がる。
 話はあっちへこっちへと自由自在に飛び回りましたが、とにかく話が尽きず。
 noteの話、創作の話、お仕事の話、文フリの話。
 文フリについては、なにしろ穂音さんは百戦錬磨のツワモノですから、この話は外せないところです。
 近々dekoさんと穂音さんが参加予定の「文学フリマ大阪」、Ryéさんとホシガラスさんが参加予定の「文学フリマ福岡」の話題が沸騰していました。dekoさんと穂音さんの打ち合わせもバッチリ、のようです。さすがサミット。

 食事をしてお店を出た後も名残惜しく、どこかのコーヒーショップでも、と探しましたが、今度はこちらは、混んでいたり閉店だったりしてなかなかみつかりません。やっとみつけたスタバで、穂音さんのお帰りの時間ギリギリまで(というか延長はいりました)話に花が咲きました。

 それでもお開きの時は来る―――

 またの再会を約束して、解散になりました。

某スタバにて
宝石星人たちの集い
宝石星人たち
楽しそう


2日目。仏閣をめぐりつつ、さらに話す

 翌日は、朝食をホテルの近隣でとろう、ということになっていました。

 同じホテルに泊まっていたので待ち合わせはスムーズでした。
 私は枕が変わると眠れないタイプで、深夜激しい雨が降っていたのは知っていました。朝は少しましになっていましたが、やはり雨模様。

 駅に向かい、イノダ珈琲で朝食をとり、2日目の目的地『青蓮院門跡』に向かいます。

『青蓮院門跡』については、タカミハルカさんの記事に詳しく書いてあります。
 dekoさんはこのタカミさんの記事を読んで、この旅にはここを組み入れたい、と熱い心で思ったらしいのです。
 私は最初、その話を聞いてもボヤっとしていたけれど、お寺に入ってすべてを思い出しました。 
 そう!ここ!

 実は写真も撮ったのだけど、あらためてタカミさんの記事を読むと、明らかにタカミさんの記事の写真が美しい。さすがです。

 ここは全く持って私好みの場所でした。自分が書いた『春告鳥』の舞台は禅寺で、ぼんやりしたイメージは鎌倉の「建長寺」だったのだけれど、でも雰囲気はここ、と勝手に思い定めました。笑 後から、春告鳥をちらっと読んでくださったdekoさんも「ここ」と思っていたとおっしゃっていたので、間違いないかも。笑
 実際、『春告鳥』シリーズの最後のほうでは、ほんとに美術館みたいな寺になるので、建長寺とは雰囲気がちょっと違っていたんです。だからぴったり。うん、ぴったり。

 てな与太話は別にして、庭に出るときにはちょうど雨もやんでいたので、ゆっくり散策ができました。

 というか。

 皆さん、聞いてください。これは声を大にして言いたい。
 この旅には、なんと晴女がふたりもいたのです。
 Ryéさんとホシガラスさん。
 Ryéさんの晴女っぷりは、前回吉穂堂に来ていただいた時にも実感しているのですが、ホシガラスさんは「旅に出て傘を差したことがほぼ、ない」というくらいのツワモノ。
 梅雨に突入し、特に注意報や警報がでていた日だったので、雨は覚悟していたのですが、私たちが外を歩くときは、「降っていない」か「小雨」。
 ですので、「梅雨なのに、散策可」という奇跡のような旅になりました。

 お庭、素敵でした。

 ちなみに、お庭の奥にお社があったのです。「ああお稲荷さんなのね」と思ったその時、ホシガラスさんが「んっ?」という表情に。

 この旅で「例のおふたり」にはお帰りいただいたようです。
 お帰りになったのはここのお稲荷さんではないとは思いますが・・・
 なにか害があるようなことではないけれど、ちょっと不思議なお話(怖い話は苦手ですが、こういう話は大好き)です。

 青蓮院さんは、もともと天台宗の開祖、最澄さんがお住まいだったところだったようです。その後、平安末期~鎌倉初期には「愚管抄」を書いた慈円さんが門主を務められています(『鎌倉殿の13人』では声優の山寺宏一さんが演じていました)。そして、乱やその他で何度も焼失していますが、何度も再興しています。

知恩院、建仁寺

 そのあとは、知恩院と建仁寺に向かいました。
 知恩院は浄土宗総本山、建仁寺は禅寺です。
 知恩院さんはさすが浄土宗総本山の立派なお寺でしたが、滞在時間は短く、建仁寺は少しゆっくり拝観しました。

 建仁寺と建長寺はとても良く似ています。
 でも実は、禅寺もいろいろです。禅寺の最古の寺は、博多にある聖福寺です。なぜなら宋から帰ってきた栄西が京都にお寺を建てられなかったからです。
 当時、京都では禅は新興宗教のようなもので、天台宗で学べる学問の一流派的な扱い。はあ?禅だけの寺?建てるの?マジで言ってる?的な感じでした。しょうがなく、栄西は1195年に博多で最初の寺を建てたのです。
 その後、源頼朝が亡くなった1200年に政子が「頼朝さんの菩提を弔いたいの」ってことで鎌倉に栄西を招いて寿福寺を開山。1202年に二代将軍源頼家がやっとこさ京都に建仁寺を建てました。
 この時も京都(栄西はもともと天台僧だったので)としては「まあ、真言・天台・禅、ってこと(兼学)ならOK」という感じで、純粋な禅寺としては認められず、5代執権北条時頼が南宋から蘭渓道隆を招いて建長寺を開山し、初めて鎌倉に純粋な禅寺を建てたのが1253年です。なんと京都で建仁寺を建ててから50年も経って、鎌倉で初めて「禅寺」となったと。
 栄西が生きている間は、純粋な禅寺は聖福寺以外建てられなかったのですね。その数年後、蘭渓道隆は建仁寺に入り、建仁寺を兼学ではない禅宗道場にしました。以来、建仁寺は臨済宗建仁寺派の大本山です。
 禅、というと、最近は「ジョブスも禅にハマってた」などともてはやされているようですが、入ってきた当時はいくら最新流行の「宋」からの持ち帰りでハクがついているとはいえ、宗教はその当時の為政者とのつながり無しに広めることはできないわけで、禅の歴史もなかなか大変です。

 建仁寺の天井の龍の絵「双龍図」は、比較的新しく、2002年に建仁寺創建800年を記念して日本画家の小泉淳作さんが2年の歳月をかけて描かれたもの。小泉氏はその2年前の2000年に、創建750年を記念して建長寺でも「雲龍図」を描いています。
 ちなみに描かれている龍は5つの爪を持っています。「五そう」と呼ばれ、5つの爪は中国では皇帝だけに使用が許されていたもの。
 もともと日本には3本爪が伝わっていて、円覚寺の龍の爪は3本です。中国と日本の間にある朝鮮では4本……龍の爪ひとつとっても結構いろいろな「大人の事情」があるわけですね。
 ただこの区別は、建仁寺、建長寺が出来た当時の「宋」では厳密な違いはなく、明と清の時代に明確になったようです。明や清の時代にこの天井画を書いたとしたら国際問題だったかもしれませんね・・・実際、江戸時代に描かれた妙心寺の龍は3本爪。

 というわけで、建仁寺では、禅と栄西の人生と建長寺に思いを馳せたのでした。


お昼は、切通し 進々堂

建仁寺を出て、お昼は切通し 進々堂さんでサンドイッチをいただきました。

レトロな店舗で名物を食す

 舞妓さんごひいきのお店、ということで、昔ながらの喫茶店の店内には、舞妓さんの名前が書かれた紙がずらりと貼られていました。

 鎌倉では「切通し」といえばトンネルみたいなところを指しますが、京都の「切通し」はいわゆる近道のようなもの、らしいですね。知りませんでした。

  歩く道々、dekoさんが京都の街を色々案内してくださったのですが、ちょうど、後ろにツアーガイドさんがいて、dekoさんがおっしゃったこととまるっきり同じことをおっしゃっていました。dekoさん、すごいです。
 途中、「この先六条のほうに、地獄に通じる井戸があるという「六道珍皇寺」がありますが、行ってみますか?」と聞かれたのですが、少々疲れてしまったので、今回はやめます、とお断りしてしまいました。

 ちなみにdekoさん、あの時お話した小野篁の物語は、こちらです。

 元気だったら、行ってみたかったです。

また会う日まで

 この後、天候も不順ですしそろそろ皆疲れ始めていたので、ホテルに戻ってホテルのロビーでお茶にしました(といってもその時ロビーではまだ喫茶サービスの時間ではなかったので、ホテル内のベンダーで水を買ってきました)。
 この時の話は、特に創作についての話で盛り上がって、すごく勉強になりました。みなさんそれぞれの創作秘話、創作や記事を書くときの悩み事、みんなに聞いてみたいことなど、考えてみたらこの時がいちばん「サミット」だったかもしれません。笑

 この時もそうですが、穂音さんとお話した時も含めて、とにかくみんなが声を揃えて言ったこと。

 noteに「戻るボタン」が欲しい!!!


 これはぜひ、noteさんにお願いしたい改善のひとつです。
 消えてしまった文章を返して・・・と何度思ったことか。
 サミット決議です。笑

 さ、弾丸京都旅はここまでです。
 時間ギリギリまで話し、その後、それぞれに帰路に就きました。
 もう、名残惜しいのなんの。

 あれだけ話をしておいて、まだするか、というくらい、まだまだ、まだまだ、話は止まらないのです。
 こんな素晴らしい創作仲間に出会えたことに感謝、noteに感謝です。

 dekoさん、Ryéさん、ホシガラスさん、そして穂音さん。
 お疲れさまでした。
 素晴らしい時間をありがとうございます!
 また会う日まで、お元気で・・・!

 サミットは、定期開催です。笑

 ここまで読んでいただき、ありがとうございます!

 おまけ

いただいたり
購入したり
御朱印もいただきました
真ん中は
Ryéさん作成のしおりです
すごい完成度!

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