見出し画像

やっていることは同じでも、役割が同じとは限らない

いつの間にか本厄が終わっていました。サイボウズでは定年がないですが、一般的な定年の65歳までを考えると、実はまだ折り返し地点でもないみたいです。まだまだ精進が必要だと思う今日この頃ですが、これまでの職歴について振り返ってみようと思います。

職歴は、新卒で広告代理店のデザイナーから始まり、フリーランスのデザイナー、Web制作会社のディレクター、現職のサイボウズと複業という流れです。

やっている事自体は一貫しているつもりですが、振り返ってみるとそれぞれの環境で役割は異なることが多かったと感じます。

なんでも屋だった広告代理店時代

Webの新規事業を始めるということで、Webデザイナーとして採用してもらいました。100名ぐらいの規模でしたが、デザイナーは初採用。よく新卒で採用していただいたなと、今となっては感謝しかありません。

新規事業のWebサイト構築をはじめ、各企業サイトのデザインやコーディングなどの業務をしていました。Webデザイナーといいつつ、実質は社内制作のなんでも屋さん的な役割で、プレゼン資料や雑誌広告のグラフィック制作なども担当していました。

制作業務をできるのが社内で一人だったので頼られることが多く、やりがいもあり、仕事自体は楽しかったのですが、「あれ、これって一人でもできるのでは」と思いはじめました。もともと独立願望もあったので、2年ほどで退職することになりました。

親戚付き合いのようなフリーランス時代

フリーランスとして働くようになると、お客さんからすると対企業ではなく、対個人として接する形に変わり、より近い関係性になり、やりがいも高まりました。仕事の関係ではあったものの、親戚のおっちゃん・おばちゃんみたいなフランクな付き合い方をしていただくことが多く、ランチや飲みにもよく連れて行ってもらいました。

ただフリーランスの立場だと、制作だけをすればいいわけじゃなく、営業やお金の管理など、制作以外の業務が増えました。また毎日の出社があるわけでもないので、コミュニケーションが激減しました。いまみたいにビデオ会議もなかったので、一週間誰とも話す機会がないときもあって、たまに会話するといえば行きつけのコンビニの店員さんぐらいでした。声を出すのが久しぶりすぎて、うまく声がでないときもありました。会社にいたときの何気ない会話が恋しくなりました。

Webの進化スピードも早く、1年前には全部自分でできると思っていたことが、専門性の深化と細分化によって、もう一人では抱えきれないと感じ始めました。本格的に学ぶため、制作会社に入ろうと考え、結局1年ぐらいで再就職することになりました。

当時は将来のことを考えると不安になり、震えて眠れないことも多かったですが、フリーランスの経験ができたのはいい機会だったと思います。

お母さんになったWeb制作会社時代

デザイナーとして応募しましたが、タイミング的にディレクターが不足しているということで、ディレクターとしての採用になりました。はじめてチームでWeb制作をすることになり、入社当初は勝手がわからず、まわりに迷惑ばかりかけていたように思います。

当時25歳か26歳ぐらいだったと思うのですが、その年齢でディレクター職をしているのは珍しく、経験不足もあり、なかなかお客さんに信頼してもらえなかった記憶があります。年齢以外の要素も多分にあったとは思いますが、それもあってか、いろんな知識・技術を必死に追いかけていた時期でした。

特に中小企業の場合、スペシャリストよりもゼネラリストとしての役割が重要になりがちです。当時の先輩から「ディレクターは、お母さんみたいなもんやで」と言われたのが、今でも心に残っています。

結局14年ほどお世話になり、制作業務全般はもちろん、組織運営について考えたり、マネージャーとしての役割も担ったりしていました。

仲介者としてのサイボウズ

サイボウズでは、社内に多数存在するWebサイトのオーナーを支援するチームに所属しています。オーナーと一緒にプロジェクトを進めたり、オーナーと外部パートナーをつないだりするのが主な業務です。

役割としては仲介者のような橋渡し役になるでしょうか。チーム内では相対的に技術面に詳しかったこともあり、技術面のサポートをすることも多くなってきました。今までそういったポジションにいたことがなかったので、役割としては新鮮さもあります。

また会社規模が拡大する中で、サイボウズから発信するWebサイト施策のスピードアップや、一定の品質を担保する仕組みも必要になります。今期は仕組み化に取り組む計画もあり、これも新鮮な役割の1つかなと思っています。

パートナーとしての複業

とあるメーカーさんのデジタル施策全般のお手伝いをしています。少数精鋭なこともあり、一人ひとりの役割の範囲も広く、完全にゼネラリスト的な関わり方をしています。当初は一外注先という位置付けでしたが、いまは一外注先を超えてパートナーとして接してもらっている実感があります。

施策検討・実施、サイト制作・運用、システム開発、外注先開拓・管理、撮影ディレクション、広告出稿、アクセス分析、モール運用、オウンドメディア運営、採用、日々の相談などなど。今までの経歴の中で、最も深い関わり方をしている気がしますが、それだけやりがいも大きいです。

やっていることを変えるのではなく、役割だけを変えるのもありかも

社会の中で生活していると「自分って役に立ってるのかな」「この会社に必要なのかな」と不安になるときがあります。そんな想いから自己否定する友人も見てきましたし、僕自身もそう感じることも多々あります。でも「やっていることを変える」のではなく「役割を変える」ことで、少しは解決できたりするのではと思います。

辞書で「役割」を調べると「割り振られた役目」とあります。役割があるということは「他者から期待・必要とされていることがある」とも言い換えられそうです。

マズローの欲求5段階説の3段階目の「社会的欲求」は、集団に属したり、家族や友人・会社などから受け入れられたいと願う欲求です。仮に1つの環境では満たせていなかったとしても、もう1つの環境で満たされているのであれば、不安感・孤独感も少しは和らぐのではと思います。

全く新しいことを始めるのは勇気が必要だと思いますが、やることは変えず、役割を変えるために、転職・異動・複業・独立などを考えてみるのも選択肢としていいかなと、自分の経歴を振り返りながら感じました。

この記事が参加している募集

転職体験記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?