もののけ姫と千と千尋の神隠し。

こないだ、映画館でジブリ映画が見れるということでもものけ姫と千と千尋の神隠しを観に行きました。いつもテレビやパソコンで観ていたジブリを映画館で見れる日がくるとは。。。大スクリーンで観るジブリはやっぱり最高でした笑

この二つの映画に限らず、ジブリ全体の共通して言えることは、メッセージ性の高さだと思う。子供でも楽しめるようにしつつ、深く考えると、あるテーマを元に映画を作っているのが垣間見える。

千と千尋ももののけ姫も元はと言えば、どちらも環境問題が一つのテーマになっている。前者はヘドロ(例えば、顔無しが吐く場面)、後者なら人(エボシ)vs動物(サン)という構図があり、そこにアシタカが仲裁しとうとする。

宮崎駿監督は1990年代に環境問題が深刻になるのをわかっていたのだろう。特にもののけ姫は非常に奥が深いある意味完成度の高い映画であると思う。

まず、時代設定が現代ではなく、縄文時代から室町時代にかけての設定になっている。アシタカが住んでいた村では高床式の建物が観られるし、アシタカが持っていた武器は弓矢だ。現代で弓を使う人はいないだろう。一方で、エボシ率いるタタラ場は鉄砲を作っていた。鉄砲が作られはじめたのは室町時代からだ。

森林を伐採して鉄砲を作るヒトとそれを必死で守る動物たち。押してヒトと動物が共存して生きていく方法を模索するアシタカ。もしかしたら答えのないかもしれないことを考え続けなければならないという点では現代にも通じる物があると思う。例えば、黒人差別とか。

そして、アシタカとサンは最後にシシガミの首を返上した結果、自然が蘇る。一見、ハッピーエンドのように見えるが、私は実はそうではないと思うっている。というのも、以前と同じ形で自然が蘇った訳ではない。緑が戻っても森林はなくなってしまった。それにシシガミも死んでしまった。

これはつまり、一度失った物はもう二度と全く同じ形では元には戻らないというメッセージなのではないかと思う。

最後、自然が蘇っていく場面で「アシタカとサン」という曲が流れるのだが、なんとも虚しさもメロディーから伝わってくる。おそらく久石さんは物意味合いも込めて作曲したのだろう。

この環境問題がテーマになっているもののけ姫は海外だとすごく人気が高い。私の友達はみんなPrincess Mononokeが一番好きだと答える。それだけ、海外では日本より、環境問題に対しての取り組みが進んでいるのかもしれない。

いずれにせよ、ジブリは何回見ても面白い。宮崎駿と久石譲。この2人が同じ時代に生まれてきたからこそ、ジブリが出来上がった訳で、どちらかがかけてもジブリは完成しなかったと思う。


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