思い出の曲/POWER OF LOVE(JUDY AND MARY )
高校の頃から理由は覚えていないが、ジュディマリが好きだった。高校まで彼女はできず、高校3年生の終わりに、大学に行くために東京に上京するので出会いに大きく期待し、東京で大学に行くのなら必ずすぐに彼女はできるだろう、そしてものすごいパラダイスな生活が待っているとどこかで考えていた。留学など全く別の世界に行くと素晴らしいパラダイスや出会いが待っていると考えることも多いが、そのようなものに似ていた。
しかし、大学一年生の初めにいきなり恋に失敗し、彼女は全くできず、その生活への期待と大きなギャップに悩まされた。特に意識したこともなかった自分の方言にも気づいたり、いくら近いとはいえ名古屋と東京の違いも感じた。名古屋人は東京ではやはり田舎者、そして自分は何も世の中を知らないただの未熟者だった。
出会いを求めていろいろなサークルに入ったり、環境を変えたりしたが、二年生になってもちっとも大学が楽しいと思えなかった。19歳というのは情緒が安定していない特別な時期であると自分の中で認識している。そんな2年生の頃に朝学校へ出かける時にドアを開けた瞬間にポータブルオーディオで聞いていた曲がPOWER OF LOVEだった。歌詞の始まりは以下である。
独りぼっちのこの街で ひっそりと息をしている 上等な 青空うらはらに まるで死んだ小鳥のようよ 奪われて行く太陽を 早く取り戻さなくちゃ 8度7分の 高熱が 襲いかかるそのまえに…
未熟でもてない一人暮らしの田舎者が玄関ドアを開け朝日を浴び、学校へ向かう時に聞くと、曲も明るく、勇気づけられる歌詞で少し自分が強くなった気分になった。実際他人から見れば何も変わっていないのだが、本を読んだり、曲を聴いて何か自分が強くなった気分になる人も多いのではないだろうか。そのまま通学に使っていたモノレールの中でもその曲を聞いていると他の通学している大学生に対して自分の中でちょっとした無意味な優越感に浸れた。今考えれば、大学一、二年生の間も行動的でなかったとも言えないからたまたまだったかもしれないが、その後、いろいろと試行錯誤をし、大学3年生になると、自分は大学は誰かに楽しくしてもらう場所でなく、自分で楽しくしていく場所だということに気づき生活はガラッと変わった。
リモート授業ばかりになった今の大学生は気の毒と個人的に思うのは勝手な憶測かもしれないが、自分の感覚では、大学一、ニ年の頃なんて恋のことばかり考えていると思っており、大学で人と会うことができないのはとてもつらいのではないかと思う。恋の進展に焦る人も多いだろう。大学がオープンせずなかなかルールを変えないからストレスだけが溜まると愚痴を言う生徒も見かける。学外での交流も制限されているのでつらいのもわかる。ただ、考えようによっては通学時間もなくなり、自由な時間をより多く手に入れているのだから、コロナのリスクとも按配をとりながらうまく行動することもできるとも考えられる。ネット環境の改善で昔よりは選択肢は広がっているし、バイト先や紹介など出会いなんて無限にある。だから、自分の時とは大変状況は違えども、大学からの動きを受け身で待つのではなく、自分から大学生活を楽しくしていくことでかなり改善されるのではないかと思う。大学に楽しくしてもらおうという受け身ではなく、自分で楽しい場所、時間にする。それは、今も昔も根本的には変わらないのではないだろうか。
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