見出し画像

異香ただよう

 雨の匂いのする薄曇りの朝、梅雨の木曜だった。口の渇きを感じながら、私たちは京都を車で走っていた。修理を終えた仏像群に随侍して、2年ぶりの上洛だ。古い御像の運搬は、運転にも相当気を使う。もちろん、梱包や積み付け、縛り方も工夫してはいるが、道路のちょっとした凹凸で肝を冷やしたりする。今回は道が空いていて幾ぶん気は楽だったが、夫も私も緊張していた。

 思いのほか早く安置先のお寺に近づいた私たちは、建物の10m手前で目を見張った。伽藍再建で、浄土宗寺院とホテル一体型の施設になると聞いてはいたが、想像以上に大きなビルがそこに建っていた。

駐車場で水を一口含み、作務衣の紐をキュッと結び直した。車を降りると、外は意外に明るかった。銀ねず色の空を見上げながら、「雨は大丈夫そうかな…」「作業中はもつか」と祈るような気持ちで言葉を交わす。境内は外構工事の真っ最中で、するどい機械音と職人の往来で活気に満ちていた。案内された本堂は、未完成ながらすでに神聖な空気を宿していた。

 お像の眠る箱を慎重に開けると、薄葉紙がサラサラと音を立てた。内陣に安全なスペースをつくり、ひとまずお像をお披露目することになった。

いやぁ、よくなりましたね、修理が施された本尊阿弥陀如来像を見て、ご住職の表情がパッと輝く。よかった……仕上がりを写真で共有していたものの、実物を見てもらうまでは安心できない。まずはホッとした。

 こうして、2年の休暇を終えた阿弥陀様は、無事帰宅されたのだった。

画像1

 この古い阿弥陀如来像について話したい。

 はじめて会ったのは3年前の秋口だったか、うす暗い本堂で相まみえた。懐中電灯で照らされた御尊顔が目に焼き付いている。めくれ上がった肌を下から照らしたものだから、余計に痛々しく見えた。

 製作年代は13世紀ごろにさかのぼる。開眼法要以来長らく非公開とされてきたそうだ。ご安置されている浄教寺は、平重盛(1138-1179)がその昔、自邸に建立した精舎「燈籠堂」をルーツとしている。建物の老朽化に伴って建て直しすることになり、一緒に仏像も修理することになった。ひょんな縁からうちでお預かりすることになったのだが、後から繋がりを感じるエピソードも出てくることになる。技術的な詳細は別なところで報告するとして、思い出話をここにそっと置いておこう。

 修理が決定し引き取りに上がったのは、たしか年末だった。寒かった記憶はないが、あの時も空は銀ねず色で、応接間にはガス暖房のにおいがしていた。作業は予定より遅れていた。運搬用の箱の寸法が合わなかったり、緩衝材が足りなくなったりして、近くのホームセンターまで資材を買いに走るなど手間取ったためだ。師走でごった返す京都を走り回っていたせいか、寒さの記憶がないらしい。

 作業が終わった頃には日が暮れて、空は搗色(かちいろ)に染まっていた。2tトラックに御像群を積み込んで、一路四国に向かった。「到着後、表面がすっかり剥がれ落ちてしまっていたらどうしよう」と気が気ではなかった。予防措置は講じてはいたが、それだけ阿弥陀様の肌は脆い状態だったのだ。

画像4

 このときは意識しなかったが、京都から高知へ旅された仏像群は、偶然にも、宗祖法然上人が辿られた道と似たルートを通っていた。鎌倉時代に四国へ配流となった法然上人も、もともと燈籠堂のあった京都小松谷の地から四国へ入られたという。

 さらに、私たちが今年(2020)春まで拠点を置いた高知県東洋町には、昔むかし法然上人が短期間結ばれた庵があったという説がある。そんな町で、阿弥陀様の修理は行われたのだった。ちなみに、高知県東部には平重盛ゆかりの落人がいたと伝わっている。平家の落人伝説は全国津々浦々にあってどこまで史実かは不明だが、重盛の別名「小松内大臣」から落人が小松姓を名乗って住み着いた、という話がある。高知県東部に小松姓がやたら多い(高知県で2番目に多い姓)ことは、重盛公と高知の繋がりを感じるには十分とおもわれた。

 阿弥陀様が、ゆかりの地を辿って長年の傷を回復されたと思うとしみじみする。輝きを取り戻した目に、四国はどう映っただろう。

画像2

 汚れや表面の劣化で痛々しい印象だった阿弥陀様は、修理を終えると元々の彫刻の美しさが現れてきただけでなく、経年変化も荘厳の一つとしてまとい始めた。修理の過程で、本来備わっていた威徳が発揮されていく様子を見られるのは、工房にいる人間の特権かもしれない。まさに仏像修理の醍醐味だと思う。

 修理前は、おいたわしい、とか、よくぞここまで、という気持ちが先立つ。が、修理が進むほどに、考えるより早くすっと心に働きかけてくださるようになる。それはまるで、香炉から昇る香気が部屋の印象を知らぬうちに変えてしまうような、穏やかだが抗いようのない作用に似ている。直接の視覚や嗅覚でとらえるものではないけど、仏像は香りのような何かを発しているのではないだろうか。拝むと拝まざると、お像の周りで私の心は、不思議に静まったり、解けたりすることがあった。起動していない状態でこれほどの感化を与えるのだから、開眼供養をされたらその霊験たるやいかばかりであろう。

画像5

 香りのような何か、といえば、浄教寺の縁起の中に気になるエピソードを見つけた。

 時は平安末期、お寺が「燈籠堂」と呼ばれていた時代。お堂では、四十八軀の阿弥陀如来像を祀り、四十八基の灯籠が灯され、華々しい法会が営まれていた。ところが、主である重盛公の病死、平家の衰退とともに荒廃し、ついにはお供えする人もいなくなってしまう。平家物語にうたわれたとおり、まさに春の夜の夢のごとし。

 季節は巡り室町時代、重盛公が亡くなって270年が過ぎた。その衰亡の様に発奮した僧がいる。浄教寺開山となる定意上人である。燈籠堂の再興を志した定意和尚は、自ら街頭に立って支援を募り、その情熱はいたく当時の人々の心を動かした。そして、ついに落慶法要の日を迎えるに至る。

 当日の様子が寺史に記されている。

「恭しく宣疏(せんしょ)を敬白して焼香し給ふや、香雲靉靆(あいたい)として四方に薫じ、香氣遥かに禁庭に徹したのである。畏くも後花園天皇にはたゞならぬ異香に御意を留めさせられ、侍臣をしてこれを尋ねしめ給ふたのである。侍臣香氣を逐て到れば則ち我が燈籠堂であった」
      -小松圓達編(1940)『燈籠堂浄教寺』, 燈籠堂淨敎寺, p.31

 定意和尚と和尚率いる僧侶達が、お釈迦様が悟りを開かれたことの功徳を讃える言葉を読み上げ焼香すると、その香りがはるか宮中まで届いたという。

 寺史にはつづいて、この香りがきっかけで、天皇から「浄教寺」という寺号を下賜されることになったと記されている。
 
 後花園天皇を動かしたこの香気、異香とは、どのようなものだったのだろう。後花園天皇といえば、香道の芽吹きがあった時代を生きた人であり、宮中には香りを司る「御香所」という機関があったという伝承もある。香りへの感度は高かったに違いない。定意和尚がどんなお香を用いたのかわからない。だが、後花園天皇が臣下を使いに出して香りの出どころを探させたくらいだから、何か特別な感応があったのだろう。

 阿弥陀様の修理を経た今、私はそこに阿弥陀如来像の「香りのような何か」を見てしまう。それに、落慶までの定意和尚の志と情熱、賛同した人の熱気もきっと無関係ではあるまい。当時の人々の高揚はちょうど、香りを拡散する熱源のようなものだったとおもうからだ。

 さて、令和の伽藍へ戻ろう。それぞれ荷解きを済ませた御像を、私たちは、順番にお厨子にお連れした。最後にもう一度刷毛で埃をはらい、別れの瞬間を迎える。

「これからも末永くお元気で、お大事に」

心の中で語りかけ、名残惜しくお姿を目に焼き付けた。そんな私を、阿弥陀様も脇侍の菩薩様も、ゆっくり閉じゆく扉の向こうから見送ってくださった。

画像4

 薫陶、薫育という言葉がある。人に使う表現だが、仏像はまさに、香り立つようなお姿で影響を与えてくださる存在だ。その思いを強くする2年間だった。これからまた長いお勤めが始まる阿弥陀様と、手を合わせる人の幸せを祈りたい。

 落慶法要の異香が四国まで届くとよいな……工房から見上げた梅雨曇の向こうに、もう間もなく会えるであろうくっきりした夏空を思い浮かべた。

仏像の束の間の休暇、
香りと香りのような何か、
再建されたお寺に関わる人々の未来、
その間で語られないまま消えて行った星の数ほどの物語。

これも、その中のひとつ。

三井ガーデンホテル京都河原町浄教寺 
参考文献:小松圓達編 『燈籠堂浄教寺』, 燈籠堂淨敎寺,1940.
【連載】ほりごこち
仏像が日本にやってきてから1500年の間、御像の数だけあったであろう幾多のエピソード。仏像を造ったり修復したりする造佛所で、語り継がれなかった無数の話。こぼれ落ちたそんな物語恋しい造佛所の女将がつづる、香りを軸にした現代造佛所私記。
前回の記事:千手観音の御手に山菜

【著者】吉田沙織

高知県安芸郡生まれ。よしだ造佛所運営。看護師と秘書を経験したのち結婚を機に仏像制作・修復の世界へ飛び込んだ。夫は仏師の吉田安成。今日も仏師の「ほりごこち」をサポートするべく四国のかたすみで奮闘中。
https://zoubutsu.com/

続きが気になる方は

OKOPEOPLEとお香の定期便OKOLIFEを運営するOKOCROSSINGでは、OKOPEOPLEの最新記事やイベント情報などを定期的にニュースレターでお届けしています。吉田さんの記事の続編もニュースレターでお知らせいたしますので、以下のフォームからご登録ください。

編集協力:OKOPEOPLE編集部

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?